本当はすべてがどうでもいいことで、だからこそ、とうでもよくない。
どうも。
ようやく
忙しさから解放されて我に返ったChii。
です。
(自分でつけたタイトルが
世間様に喧嘩売ってやしないかとちょっとひやひや……。
そんなつもりは毛頭無いです……汗)
人には
譲れないモノの1つや2つは存在するモノだと思っている
のですが。
その譲れないモノによって、
その人自身が苦しむのもちょっと変な話かな
とも思うのです。
勿論、
譲れないモノを大切にしていくのはとても素敵なこと
だと感じます。
それによって、
満足感、充実感や達成感などを味わえるのもよい
でしょう。
けれど、
その譲れないモノという大義名分によって
日々の自分が削られていくこともあるかもしれません。
ダイエットをしたいから、
あの新作のお菓子が食べたいけど我慢する。
→ダイエットが成功した頃には売り切れてたり、
別の商品に切り替わっていたりした。
貯金をしたいから、
旅行に行きたいけど延期にする。
→体調を崩したり、世界情勢的に既出ができなくなったり
した。
1人時間を大切にする穏やかな生活がしたいから、
人からの食事の誘いを断る。
→人さみしくなっても、誰からも誘われなくなった。
……これは1つの例でしかなく、
→のような結果が悪いように思える書き方をしているので、
誤解を招きそうではある
のですが。
要は
大きな目標や目的は大切だけれども、
それとは別の小さな希望や願いも
同じくらい大切なんだ
とも思うのです。
そして、
究極に考えて極論を出すと、
大きな目標や目的も、小さな希望も願いも、
どちらを叶えようがどちらも叶わなかろうが、
本当はどうでもよいこと。
……というと、
何か殺伐とした結論になってるよ〜って思いますよね 笑
このどうでもいいという言葉ですが、
投げやりや諦めの意味ではなく、
どのようでもいい、どちらでもいい
という意味で使っています。(日本語難しい……)
そして、
どのようでもどちらでもよいからこそ、
そのときの自分が望むような方向へ
自由に舵をとってもいいんだよ、
ということが伝えたいのです。
(説明長っ!!)
だから、
本当は
すべてがどうでもいいことで、
だからこそ、
とうでもよくない。
どのような選択をしようと極論良い
わけで、
だからこそ、
今の自分に合ったものをきちんと選択していくことが大切
なのかなと思います。
何か、
狐にでもつままれたような話をしましたが。
よく分かっていると思っている自分自身が
自分で気持ちを誤魔化したり、
無理を強いたりしていることって、
意外とよくあることだと思う
のです。
だからこそ、
今の自分を大切にする選択をしてほしいな
と思う今日この頃。
最後までお読みくださり
ありがとうございます。
また次の記事でお会いしましょう♬
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