音楽の話:コロナと新ウィーン楽派

3月23日、ドイツは新型コロナ・ウィルスの感染拡大のため封鎖措置を施行しました。ただイタリアやスペイン、フランスのような外出禁止や規制ではなく、接触禁止ですが、スーパー、薬局、郵便局、銀行など以外は閉鎖されました。

この閉鎖期間をどう過ごすか、まず自宅の片づけをした人はとても多かったようです。個人の車で粗大ごみを集積場に持ってきた人も多く、捨てるのに2時間待ちというのも珍しくなく、また行政や赤十字などが回収する古着は膨大な量になり、保管場所に困っているというニュースも目にしました。

私がこの期間、まずやったことは、『ブルックナー≪第七交響曲≫の室内楽版をオーケストラ版のスコアと比較勉強すること』でした。


ちょうど100年前、音楽史は大転換点を迎えていました。それまでの調性音楽と違い、無調音楽へと動いていたのです。もっともこれも実はワーグナー作曲≪トリスタンとイゾルデ≫での『トリスタン和音』に遡ります。

1921年、アーノルト・シェーンベルクが『十二技音法』を確立、無調音楽の世紀ー20世紀が始まりました。シェーンベルクは弟子のアントン・ウェーベルン、アルバン・ベルクなどと共に『新ウィーン楽派』と呼ばれます。

3人は1918年11月、公とは違うプライヴェートなコンサートを行うグループを設立、そこで大編成のオーケストラ曲を小編成の室内楽版に編曲して演奏しました。彼らのグループ活動は経済的理由により3年しか続きませんでしたが、その間ウィーンで118回のコンサートを開いています。

上述のブルックナー≪第七交響曲≫室内楽版は解散1か月前に完成しました。第一楽章と第三楽章をハンス・アイスラー(旧東ベルリンの音楽大学の名前にもなっています。)、第二楽章をエルヴィン・シュタイン、第四楽章をカール・ランクルが編曲しました。

さて、このエルヴィン・シュタイン、昨日のベルリン・フィルのヨーロッパ・コンサートの後半、マーラー作曲≪交響曲第4番≫室内楽版の編曲者です。シュタインは1920年10月頃に編曲を決心、クリスマス頃には完成させました。世界初演は1921年1月10日、自身で指揮、シュタインは「聴衆には気に入ってもらえたようだ。私自身は満足していない」とシェーンベルクに書き送っています。

それから100年、ーコロナのせいでー、この編曲版は小さなグループを越えて世界80か国にライブ中継されました。

また、1918年~20年は当時の世界人口の4分の1が感染したとされる『スペイン風邪』パンデミックの年でした。


以下の写真は私が愛聴している室内楽版のCDです。両方とも「リノス・アンサンブル」の演奏です。

上は、マーラー≪交響曲第4番≫(2000年3月録音)は≪さすらう若人の歌≫とカップリング。下は、ブルックナー≪第七交響曲≫(1999年7月録音)。

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