音楽家の話:ギュンター・ヴァントの誕生日

指揮者ギュンター・ヴァントは1912年1月7日に生まれました。
毎年この頃になると、一緒にお祝いできた最後の誕生日を思います。

ヴァントさんは2002年2月14日に90歳で亡くなりました。

しかし2002年1月7日の最後の誕生日はもう死の床にあったので、ヴァントさん本人が元気でお祝いできた誕生日は2001年1月7日が最後になりました。

2001年の、この誕生日のお祝いにスイス、ウルミッツの自宅に招かれました。
招待客は私たち夫婦と村の郵便局長夫妻だけでした。2人はヴァントさんの生活の細々としたことのお世話をしていました。

郵便局長夫妻の話ですが、実は、アニタ夫人は自分のお気に入りを招待しようと思っていたそうです。
ところがヴァントさんは「私の誕生日だ!招待客は私が決める!」とテーブルを叩いて激昂したそうです。

「1月7日17時に来るように」ということだったのですが、直前にアニタ夫人から郵便局長夫妻に電話があり、「18時に来てくれ」ということになりました。

私たち4人は言われた通り18時にヴァントさん宅に伺いました。

居間ではヴァントさんが悲しそうに座り、上目遣いで「遅かったね、残念だ」というのです。横の椅子にはヴァントさんの帽子とエンジ色のマフラーが掛けてありました。
横に立つアニタ夫人は「彼は明るいうちに庭を見せたかったのに、こんなに遅く来るなんて!」と怒鳴るのです。

これはつまり、アニタ夫人の復讐だった、と後から聞きました。

しかし、何が何だかわからないままに、私はヴァントさんに「まぁ、残念!今度、お天気の良い時にお庭を見せてくださいね!」と言いつつ、部屋の奥の方に歩を進めました。奥の隣の部屋にはグランド・ピアノが見えました。

「そこは私の仕事部屋だよ」と言いながらヴァントさんがやってきました。

小さな部屋の真ん中にはグランド・ピアノ、脇には小さな机がありました。
ヴァントさんはピアノの上にスコアを広げ、立って勉強すると言っていました。
この時広げてあったスコアはブルックナー《第八交響曲》。
この後、1月のベルリン・フィルとのコンサートの準備でした。

スコアには書き込みがたくさんあり、私が覗き込んでいると、ヴァントさんはニヤッと笑い、スコアをバサッと閉じました。
仕事モードではない、と言うことでしょう。

ヴァントさんは、壁にかけられた写真の説明を始めました。
中にソ連でのコンサートの写真がありました。
ヴァントさんは戦後、ソ連に招かれた初めての西側の指揮者でした。

ところで、私がヴァントさんと仕事部屋に居た時、夫は居間に居たのですが、ある時、仕事部屋のドアが(風のせいか何かで)バタンと閉まったそうです。
私はヴァントさんと話に夢中で、気がつきませんでした。
キッチンから出てきたアニタ夫人が「あの二人は中で何してるの!!」と大激怒。
夫は「『ディスカッションしてます』と答えたよ」と、後で笑っていました。

さて、お料理はヴァントさんが大好きな鹿の背肉の煮込みでした。
これは郵便局長夫人の計らいで、近くのレストランからの取り寄せでした。
不満と不機嫌いっぱいで料理をする気のないアニタ夫人。
この状況を利用して、彼女が「手配をした」と言っていました。

そうこうしているうちに、電話がなりました。
電話に出たアニタ夫人は「今、食事中なの!伝えておくから!」と不機嫌そうに電話を切りました。
「誰から?」というヴァントさんの問いに、アニタ夫人は「ヨハネスよ!ヨハネス!」というのです。
「ヨハネスって、どのヨハネス?」というヴァントさんの問いに、夫人は「ラウよ!お誕生日おめでとう、だって」と言うのです。

ヨハネス・ラウ、当時のドイツ連邦共和国大統領です!
国家元首から直々の電話です。
ヴァントさんの悲しそうな表情、今でも忘れることができません。

デザートは、これもレストランからの取り寄せの特別なアイスクリーム・ケーキでした。

甘いもの大好きな私のことを、ヴァントさんは以前から気遣ってくださっていました。
いつかミュンヘンのホテルで一緒に食事したときに、私が注文したデザートが忘れられたことがあります。私はもういいや、と思っていたのですが、お開きになりそうな雰囲気に、ヴァントさんがみんなに、「お待ちなさい。彼女のデザートがまだ来ていない」と制したことがあります。

このお誕生日の時も、ヴァントさんは「あなたはもっとたくさん食べたいでしょう?!」と、自分のお皿から私のお皿にアイスクリームを移すので、「プロフェッサー(ヴァントさんのことをみんなこう呼んでいました)、一緒に食べましょうよ」と戻すと、ヴァントさん、いつものようにニヤッと笑って口に運んでいました。

2001年7月、ヴァントさんはシュレスヴィヒ=ホルシュタイン音楽祭でNDR響を指揮しました。
しかしこの時は体調がひどく悪く、ヴァントさんが口にしたのはアイスクリームだけだったそうです。

さて、ヴァントさんは食後、葉巻を吸います。
ヴァントさんが葉巻をくゆらしながら、郵便局長さんに「モーツァルトの《ポストホルン》をかけてください」と頼みました。

その後、ヴァントさんは夫に「あなたはベートーヴェンの交響曲で何が一番好きですか?」と訊きました。
夫は「4番です」と答えました。

この後の2001年4月、ヴァントさんはハンブルクでNDR響を指揮しました。

この時のプログラムはモーツァルト《ポストホルン・セレナーデ》とベートーヴェン《交響曲第4番》でした。

このプログラムは郵便局長さんへのお礼、そして、夫の好みに応えたものだと思います。


さて、お誕生日の食事中の話に戻ります。

私はヴァントさんに、「オペラは何が最も良いと思われますか?」と訊きました。

ヴァントさん、「《コジ・ファン・トゥッテ》、《オテロ》。でも・・・なんと言っても《ドン・ジョヴァンニ》だね」と。

さらに、ヴァントさん、「最近、カルロス(・クライバー)はどうしてる?」と。
続けて、「カルロスは本当に素晴らしい指揮者だよ。(父親の)エーリヒはダメだけど・・・」と。

また、「あの英国人の優秀な指揮者は?彼はよく私のリハーサルを見に来ていた」と言うので、「ラトルのことですか?」と言うと、横からアニタ夫人が「そう!!あのモジャモジャ頭の男!」と叫ぶので、またまたヴァントさんは悲しい目をしてうつむいてしまいました。

あれから21年が経ちました。
今でも昨日のことのように覚えています。

しかし忘れないうちに、ここに記しておきます。

大切な思い出です。






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