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旅の話:ルートヴィヒ2世の遺体発見場所〜シュタルンベルク湖、ベルク


現在、ドイツ観光のメッカとなっているノイシュヴァンシュタイン城などを建設し、ワーグナー、そしてワグネリアンにとっては、感謝しても感謝しきれないルートヴィヒ2世は1886年6月13日、シュタルンベルク湖で亡くなりました。

1886年6月12日早朝、ルートヴィヒ2世はノイシュヴァンシュタイン城からシュタルンベルク湖畔のベルク城に連行されました。

6月13日、グッデン教授と散歩に出た王は予定を過ぎても帰らず、その夜、グッデン教授と共に、水死体となって発見されました。

死因については暗殺、事故死、病死などさまざまな噂や推測があるものの、現在に至るまで判明していません。

現在、ベルク城は個人所有のため見ることはできませんが、その敷地に沿った森の中の道を通って、ルートヴィヒ2世の水死体が見つかった場所に行くことができます。

発見場所には十字架が立っています。


ルートヴィヒ2世のために建てられた礼拝堂、Votivkapelle。

これは下の地図の黄色の x にあります。
左下の○で囲んだのは《薔薇島》。

対岸にPossehofen(ポッセンホーフェン)という地名が見えます。
ここはハプスブルク皇妃エリザベート(シシ)が結婚前に過ごした懐かしい場所でした。シシもルートヴィヒ2世もこの辺の地理には詳しかったといいます。

そこでルートヴィヒ2世の死因の一つの仮説として、逮捕されたルートヴィヒ2世をシシが助けようとした。しかしグッデン教授と揉み合ったルートヴィヒ2世は逃げることがかなわず、水死、あるいは心臓麻痺で亡くなったというものです。

ルートヴィヒ2世が亡くなった日にはシシが近くに滞在していたということもあり、この噂は根強くあります。


裏側から見たところ


礼拝堂の入り口から天井を見上げたところ


礼拝堂の内部


礼拝堂を背にシュタルンベルク湖の中の十字架を見る


FOTO:©️Kishi

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