コンサートとオペラの記録:9月30日、エッセン・オペラ、グルック作曲《オルフェオとエウリディーチェ》新制作

9月30日、エッセン・オペラの新制作《オルフェオとエウリディーチェ》を観ました(プレミエは9月26日)。

エッセン・オペラのメイン劇場は設計者アルヴァ・アールト(1898~1976)の名前をとって、アールト・ムジークテアターと名付けられています。
20世紀を代表する建築家の一人、アールトは劇場の完成を見ずに他界しました。
バウハウスのシンプルな様式美と明るさ、なにより音響の良さと見やすさで、ヨーロッパのオペラハウスの中でも最も好きな劇場のひとつです。
もちろん公演と制作の中身のクォリティーの高さは言うまでもありません。

劇場入口です。

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クロークです。コロナ対策がとられています。

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2階部分フォワイエに続く階段。
オペラハウスは歴史的にも重要な社交場のひとつでした。平面のフォワイエでは人々がよく見えないため、階段は大きな役割を果たします。
たとえばパリ・オペラのガルニエ宮の中で大きく最も素敵な場所は階段なのですが、これは階段が社交場であることのひとつの証です。
「階段の重要さ」を熟知したアールトは、このシンプルな劇場のフォワイエをつなぐ階段を中心に据えています。

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階段を上ったところから下を見たところ。
食事・喫茶部門も上から見え、誰が来ているかわかります。
写真の左上部分は3階なのですが、ここからも2階がよく見えます。
また、奥のドアの向こうは広いテラスになっており、公演とコンサートホールのフィルモ二―、さらには左下部分に関係者用食堂とテラスも見えます。休憩時に衣裳をつけたままやフラックを来たオーケストラ・メンバーがいるのも人間的です。ただ今は、コロナ対策のため、いろいろなところが閉鎖されています。

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2階部分のフォワイエです。

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フォワイエから隣接するフィルハルモニーが見えます。

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客席内部です。左に見えるのはまだ下りている巨大な防火扉です。18世紀、19世紀の劇場は照明がろうそくだったため、火災が多かったことも思い起こさせます。

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カーテンコール。最後のオルフェオの有名なアリア(小学校や中学校の音楽の授業でも聴くので、みなさん聴いたら、「あ、あれね」と知っているアリアです)が終わった後、オーケストラがピットからせりあがってくるという演出でした。ただ、オーケストラがステージと同じ高さに留まっていると、カーテンコールで歌手が見えないので、またピットを下げている途中です。

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オーケストラ・ピットが下がり、指揮者(同オペラ音楽総監督トマシュ・ネトピル)がオーケストラのメンバーを起立させ、コーラスと歌手と共に拍手を受けています。

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これがプログラム。

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オペラの始まりはフィレンツェでした。1597年、ぺーリ作曲《ダフネ》が最初とされていますが、残っていません。1600年のぺーリ作曲《エウリディーチェ》から1607年のモンテヴェルディ《オルフェオ》に至るたった7年間で、オペラの作曲技法は驚異的な進歩を遂げます。

《オルフェオ》の題材やモチーフは様々なオペラ作品で使われており、枚挙に暇がありません。有名なモーツァルト《魔笛》やオッフェンバック《天国と地獄》も同様です。

オルフェオは音楽の名手、人間や動物の心も慰めます。
上に書いた有名なアリア、エウリディーチェを永遠に失ってしまったオルフェオの嘆き(森鴎外も翻訳しています)を聴くとき、『救済』を考えざるをえません。この演出では、そこでオーケストラが上がってきます。

そう、私たちには音楽という宝物がある。そう思い、劇場を後にしました。

FOTO:©Kishi

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