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かつて秋田県横手市増田町に存在した吉乃鉱山の朝鮮人徴用工虐待問題

私の実家は秋田県横手市の増田町というところにあるのですが、かつて実家が属する地域の隣の地域に「吉乃鉱山」という、クソ田舎にしては大規模な鉱山がありました。

増田町が山間部のクソ田舎のくせになぜか景気が良かった理由は、ちょうど一年前のエントリにも書いたのでそちらをご覧頂ければと思うのですが、この吉乃鉱山も町の経済を支えていた柱の一本でした。同鉱山は1720年頃には発見されていたそうでしたが、大正時代に大日本鉱業による本格的な開発・運営が始まり、以降秋田県南部を代表する鉱山として隆盛を極めました。最盛期には町外だけでなく県外からも3000人以上の労働者が集まり、地元の小学校では移住者に合わせて早期から秋田弁ではなく標準語の使用を奨励する語学教育を行っていたほど。大日本鉱業も積極的に地元への利益還元を行い、前述の小学校では彼らから寄付されたグランドピアノで毎日歌を唄っていたそうです。想像できますか?大正~昭和初期の秋田県のクソ田舎の子供達が標準語を喋りグランドピアノで音楽を習っていたなんて。
また、工業化による人口および世帯収入の増加に伴い、町民の稼ぎを合理的に管理する必要性から町の中心部に銀行(現・北都銀行)が設立され、さらに労働者の憩いの場として飲食店も軒を連ねるようになり、夜になっても商店街の灯りが煌々と光り輝く様から、かつて増田町の商店街は「蛍町」とも言われていたとのこと。それは戦時中でもさほど変わらず、一日三食白米を食べ、加えて酒まで飲み、食糧は自分達で食べる分どころか買い出しに来た人に売る分もあり、商店街に行けば日常生活に必要なものは一通り揃い、一方山間部のクソ田舎という地の利から攻撃目標にもならず空襲などどこ吹く風、戦時中も普段どおりの生活を続けていたとか。勿論、家族や親類縁者が兵隊に取られた、戦死したという話もあるにはあるのですが、子供の頃に年寄りから聞いた戦時中の話は、学校の授業で習ったり図書館の本で読んだ話とはずいぶんかけ離れており、だいたいどれも呑気なものででした。

しかし、そんな呑気な町にも戦争の暗い影が全くなかったわけではありません。その中でもとりわけブラックなネタが、私が小学生の頃に今は亡き祖父から聞いた吉乃鉱山の朝鮮人徴用工の虐待問題です。祖父は足が悪かったので徴兵されず、代わりに工場で金属加工の仕事をしていたのですが、町の店で会った鉱夫から「ここだけの話」とこんな話を聞いたそうです。

・山(鉱山)でたくさんの裸同然の朝鮮人が働かされている。
・働きの悪い朝鮮人は現場監督が棒で叩いて働かせる。
・彼らが移動するときは腰を縄で縛って数珠繋ぎにして現場監督が引っ張っていく。
・朝鮮人は柵で囲まれたところにいる。
・新しいダム工事と発破作業はだいたい朝鮮人の仕事。日本人がやって万が一事故で死んだら金がかかるから。
・たまにダムに入水自殺する朝鮮人もいる。
・朝鮮人が死んだら他の朝鮮人に死体運びと埋葬をやらせる。
。朝鮮人の墓はただ土を盛っただけの土饅頭型で墓標のようなものは何もない。

そして、祖父が町でその話を聞いてしばらくした後、鉱山から脱走してきた朝鮮人が家に駆け込んできたそうです。事前に鉱夫から話を聞いていた祖父と、前エントリで書いた「東京から疎開してきた絵描きさん」に何かと差し入れをして世話を焼いていた曾祖母は彼を哀れに思い、家で余っていた古着を着せておにぎりを持たせ、「汽車さ乗って逃げようと思ってもすぐに町さは行ぐな。一旦違う山さ入って山伝いに人のいねえ駅さ行げ。まさが山がら逃げてもっと山さ行ぐどは誰も思わねべ」と教えたそうですが、果たしてその人がどうなったかは遂に分からず仕舞いだったとか。

毎年このシーズンになると、よくTwitterやFacebookに「朝鮮人徴用工などいなかった。彼らは皆自分の意志で日本に働きに来た労働者だった」と主張する右寄りなアホが湧いて出てきますが、では祖父は私に作り話をしたというのでしょうか?それにしては随分と話のディティールが細か過ぎます。特に鉱山の作業風景や朝鮮人の墓の形状などは、内部の人間でなければまず分からない情報です。また、仮にもし彼らが自らの意思で鉱山に働きに来た労働者だったとしても、果たしてこの待遇は正当なものだったと言えるでしょうか?

なお、この吉乃鉱山は1957年に閉山しましたが、後に鉱滓のカドミウムが町の土、特に田畑を汚染し長い間町は土壌改良に苦心することとなります。その際、鉱滓ダムの工事中に土中から大量の人骨が発掘され、近隣住民は「鉱山で死んだ朝鮮人徴用工の骨でねえが?」と噂しましたが、特に何をするでもなく、ただ埋め戻されて終わってしまいました。

現在、吉乃鉱山のあった地域の地元住民有志が朝鮮人徴用工の共同墓地を作り、無縁供養塔を建てて供養をしています。そこで提案なのですが、いっそ横手市がここをもっとちゃんと整備して管理と供養を行ったらどうでしょうか?幸い近隣には「真人公園」という秋田県ではそこそこ知られた公園があり、既に国道などインフラは整っています。そこでこの共同墓地と供養塔ももっと綺麗で立派なものにし、閉山して以降放りっぱなしの吉乃鉱山跡の廃墟も、敢えてその雰囲気を残したまま「廃墟公園」にして誰でも行きやすい場所にしたらお参りに行く人も増えると思うのです。吉乃鉱山は大日本鉱業という企業が経営していた鉱山で、朝鮮人徴用工の虐待も彼らがやっていたことで現在の市の責任ではありませんが、だからと言って供養を何もかも地元住民任せにするのはあまりにも薄情だと思うのです。そもそも彼らの犠牲の上に町の景気は成り立っていたのだから。おそらく当時の町民は皆そのことを知っていたでしょう。しかし、鉱山のお蔭で町の経済は潤い、他の町よりも良い暮らしができていたのもまた事実。かつ戦時中という状況で、鉱山の朝鮮人徴用工の待遇改善を主張できる人がいたでしょうか?もしかしたら、祖父に朝鮮人徴用工の話をした鉱夫は自らの罪悪感から鉱山の実情を誰かに話さずにはおれなかったのかもしれません。

今、横手市増田町は当時の好景気が嘘のようなボロクソっぷりとなっていますが、かつての豪商と富裕層が築いた「内蔵(うちぐら:家の内部に蔵を作る豪雪地帯独特の建築様式)」を観光資源に一発当てようとしており、今では海外からの観光客も訪れるようになりました。その中にはもちろん韓国からのお客さんもいます。やれ国際交流だインバウンド需要だと騒いだところで、過去のブラックな歴史と向き合わなければそんなものは薄っぺらい画餅でしかないと思うんですがね。

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