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過去の記憶(多分前世というやつ)

以前私は前世療法というのか催眠療法というのかなやつを
友人と一緒に受けたことがある。
その時に見えた景色や、
感じた感覚をちょっとお話ししようと思う。

その療法をかけてくれる人ひとりに対して、
かけられる人は私を入れて5人くらいだっただろうか。
かけられる前に説明があり、
その中で、
自分の中で見えてくるイメージとか、
感覚を疑うことなくそのまま受け入れてください、
と言われた。

横になって目を閉じて、
療法士の方の誘導で、
草原の丘をくだり、
小川を飛び越え、
徐々に森に入っていく。

そこから空に吸い上げられるように浮上し、
雲の中を高速で移動した。

そしてにわかにスローダウンして地上にふんわり着地。
「そこは西暦何年ですか?」
と聞かれ、

えぇ〜わからないなぁと思うやいなや、

極太のゴシック体の黒文字が
1876
と浮かび上がってきた。


こんな感じで自分の視野いっぱいに浮かび上がってきた

えぇ〜!?!?!?!?

と素の自分がやいのやいの言ってましたが、
とりあえずこの光景を見てる自分を否定せずに誘導に任せました。

そして次に、
「どこにいますか?」
との質問にも、

そんなことがわかるわけが・・・

と思う自分の思考にかぶる勢いで、

「ネバダ」

と浮かびました。
知らない自分に驚く自分。

どうやらアメリカにいる様子な過去の自分。
ちなみに私がアメリカに行っていた時、
うちから1時間もしない距離にネバダシティという可愛い街がありました。

どうやらそこで、
農業をしているような私。
しかも年老いた男性で、
デニムのくたびれたオーバーオールを着て、
藁をすくう時に使うフォークのような農器具を持って、
冒頭の写真のような、
広大な土地に広がる夕陽を一人で静かに眺めていました。

実写赤毛のアンの映画の中のマシュー、
リチャード・ファーンズワースのような感じ。
でも、あんなに温かい感じではなく、
むしろ同じ役者でもストレート・ストーリーのような、
静かで、一人で淡々と、な雰囲気。

1日の作業を終え一人で眺めていた夕陽

夜、一人で夕食を食べている時。
片付いてはいて、
なかなか綺麗な家の中ではあったけれど、
とにかく静かで、
かちゃかちゃと食器の音が妙に響く、
薄暗い寂しい感じだった。

なんとなく、
その時の悲しみを今もぐっと堪えているような気分でした。
ひとりぼっちで生きるしかなかった自分に涙が出そうな。

とても悲しいことが起きた時の記憶が蘇りそうで、
少し怖くなりました。

その1、2年後、
なぜ怖かったのか、
なぜ悲しかったのかが分かったような気がしました。
これも、疑わない方がいい自分だけの感覚、
という曖昧なものでしかないわけですが、
自分の中でなんとなく確信がありました。

その恐怖とか悲しみが引き起こす
根拠のない妄想で、
私はなかなか苦しみました。

しかしそれが現世の自分のものではないことに確信を持てたことで、
さよならできました。

とても面白い経験でした。
信じるも八卦、信じないも八卦。
でも、私は自分を信じる。
そして苦しみからは解放する。
それができるのは私だけだからね〜。

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