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地球をよくする人①

2、3年前、
私は自分が地球をよくする人間であるべきだと思った、
というか、
地球をよくするということは、
私のライフパーパスだと思った。

私にとって地球をよくするとは、
一体どういうことなのかというと、
自分を含む誰にも必要以上の負担をかけず、
自然環境にも必要以上の負担をかけない生き方を広めること。

自然環境に負担をかけない生き方を意識しすぎて、
私は自分に負担をかけた経験がある。
そして、
それを正義だと思っていたことで、
他人に押し付けるような言動をし、
負担をかけたこともある。
もちろん負担をかけられたこともある。

これは、
環境に負担をかけることと何が違うのだろうと、
ある時思った。

私は、自分を含む誰にも必要以上の負担をかけず、
自然環境にもできるだけ負担をかけない生き方がしたいという
ステージに上がった。

つまり、
自分や人々の心も体も喜び、
自然環境も喜ぶ生き方をすることが、
私が言うところの「地球をよくする」ことというわけなのだけれど、
いきなり地球という大きな視点で考えてしまうと果てしない。

よって、
ひとまず注力するのは自分でいい。

自分が喜ぶ生き方とは?
と考えると、
グッとシンプルにならないだろうか?

美味しいものを食べる。
ゆっくりと楽しい時間を過ごす。
大切な人と旅をする。
休みたい時にはちゃんと休む。
言いたいことは言う。

などだろうけれど、
ここをひとつひとつ深い喜びにしていくことで、
他人と繋がっていること、
自然と繋がっていることに気がついていく。

どういうことか?

例えば
美味しいものを食べる。


私はアイスクリームが大好きで、
1日に1個から2個くらい、
市販の袋に入ったアイスを食べていた時期がある。
心はとても喜んだ。

しかし、
体は喜ばなかった。
急激に太り、
疲れやすく、
定期的に偏頭痛が起こり、
体は常時水に浸かっているように冷たかった。

もともと胃腸系が弱かった私は、
心の満足に重きを置いた食のせいで、
花粉症を発症、
SIBOになり、
もはや通常、腸活に良いとされるものを受け付けられなくなった。


これを元に戻すのは本当に大変だった。
だから心と体、両方が美味しいものが重要なのだけれど、
体にいいものを食べたくない私がいたので厄介だったのだ。

ね、なかなかでしょう?
そしてたぶん、
これは私だけじゃないはず。

なぜ体は喜ばないと知りながらも、
健康を害すようなものを欲し、
それを食べることで心は喜んでしまうのか?

万人に当てはまるような、
決定的な答えを知っているわけではないけれど、
自分の心と体が同時に喜ぶとはどういう事なのかを
知らないからだと思う。

育ってきた環境、
教えられた思考などで、
自分にとっての当たり前が
「おやつはポテチとアイス」だったら、
「豆乳ヨーグルトと甘酒とフルーツ」のおやつがあることには
なかなか気がつかない。

そこにすぐに気がつくには、
固定観念とか、
執着、思い込みがなければよいのだけれど、
それすらも染み付いていたりするから、
私は、
心は喜ぶのに体が喜ばないものを好んで食べていた。

そこには我慢とか
無理をするとか
自己否定とか
責任転嫁とか
現実逃避とか
いろいろなこじれ案件も内在している。

心と体両方が喜ぶバランスの取り方なんて、
当時誰も答えを教えてくれなかったから、
やっぱり知らなかったから、ということになるんだと思う。

とはいえ、
バランスの悪い人間だったからこそ、
「地球をよくする人」というところに
辿り着けたんだと思うので、
バランスが悪いことが人生において悪いことなわけではない。

そう、
むしろバランスの悪い私という、
どうしようもない部分を受け入れることで、
様々に影響し合い、
バランスを取り合っているこの世界の美しさが見えた。

私のバランスが悪いことで、
きっと誰かが喜ぶはず。
実際私は誰かの「できない」に出会うと安心する。
そして俄然共感してしまう。
そんなこともあるよね、私できます!と
優しい気持ちにすらなる。

みんながみんなそう思えたら、
地球は良くなると思わないですか?

さて、
ではなぜそのような心境になったか?

環境問題、食の安全に敏感な母のもとで育ったこと、
母になったこと、
農業を経験したこと、
主にこれらが原因かと思われるんですが、

それはまた今度。


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