これでよかったんだって、思いたくて

夫が亡くなって100日と少しが経ちました。
日を追うごとに、あれが本当のことだったのかがわからなくなる。
最初に見つけた姿、なんとか助けようとしたこと、
救命措置をしてくれたお医者さまの顔、
刑事さん
葬儀社の担当者、
棺に入った夫の姿
参列してくれた人の誰もが泣いていたこと、
火葬場で夫が入った棺にが入っていった場所
同じ場所から出てきた骨。
全部覚えています。
忘れられない。
でもまだ、夫が亡くなったことが受け入れられない。
3人での生活にも慣れてきた。
仕事はまだこれからだから、本当の再出発はまだ少し先になるけれど。
たくさんの手続きに翻弄された。
遺産相続に少し詳しくなれた。
毎日お水とお線香をあげている。
いい加減なわたしが、毎日忘れずに。
お花だって切らさない。
定期的に生花を買ってきて、お供えしている。
夫は死んだんだ。
頭ではわかってる。
でもこころがそれを受け入れたくなくて、一生懸命にもがいている。
もし命が助かったとしても、障害が残っただろう。
夫は、きっと、そんな姿を受け入れたくないだろう。
もっともっと苦しんだだろう。
どうして、死ねなかったのかと、悔いて、助からなければよかったと、きっと、思うだろう。
障害が重ければ、もう自分から死ぬこともできなくて、きっと、もっともっと苦しんだ。
もしも命が助かったら、わたしだって、きっと今以上に大変で、助かってよかったなんて、言えなかったかもしれない。
たぶん言えない。
だからこれでよかったんだって思いたい。
夫はもう生きていくのがとてもできないほどに辛かったのだから、きっとこれでよかったんだ。
だから、メソメソするのはやめなくちゃ。ね。

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