卒哭忌

夫が亡くなってから今日で100日。
納骨のときの法要は百箇日法要として行ったのでした。
数日前に義母が「4月9日は百日ですね」と言われて思い出した。
法要の際に聞いたお話があまり脳に残っていない。
骨だけ残して消えてしまった夫を前にしていたのだから、それはきっと仕方がないですよね。

100日目は卒哭忌とも言うそうです。
慟哭(声を上げて泣くこと)を卒業し、前を向く日なんだとか。
「泣き納めの日ですよ」とご住職さんが仰っていました。
最近の子どもたちの様子を見ると、時間薬がうまく効いてきた感じで泣き納めの時期なんだな、と納得できるものがあります。
反面、わたしは手続きがようやく終わってきて気が抜け、メソメソする日が増えてしまいました。
子どもたちに心配かけたくないから、一人だけでこっそりと。

どうして死んでしまったのだろう。
死を思うほどの苦しみはどんなに辛かっただろう。
誰かを恨めたらいいのにと思うこともあります。
恨めたら少しは気持ちが楽になるかもと。
だけど恨めそうな人はわたし自身しかいないのです。
わたしがわたしを恨んだら、きっと生きていくのが今よりもっと辛くなるから、恨むのはやめておきます。
そのかわりにしっかりと生きていく。
涙を拭いて、前を向いて。

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