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未来に繋がる街づくり

私の職場では今、集合住宅建設という事業に取り組んでいます。職場といっても、百年近く続いて老朽化した宿を今春閉めて従業員はゼロ。私はその宿の元女将、社長の夫と今は夫婦二人だけの小さな会社です。

全ての建物を解体すると敷地面積は千二百坪ほど、最寄り駅までは徒歩七分、東京都心までは電車で三十分、車なら道路が程よく渋滞していても一時間以内という好立地です。

何故、もう一度宿泊施設を建てずに集合住宅にするのかというと、その理由は大きく二つあります。

まず一つは、この街が変化したということ。

かつて、日本橋まで続く街道沿いのこの街は、宿場町として栄えていましたが、その役割は随分と前に終わり、街道沿いに軒を連ねた宿も昭和の終わりにはほとんど廃業していきました。閉館した我宿が残存する最も古い宿だったのです。街道沿いという以外、特段優れた名所も特産物もない街。その街道沿いは、ビルが建ち並び、宿場町の面影はどこを探してもありません。

「閉館をもっと早く知っていれば最後にもう一度泊まりたかった」

「再開したらまた泊まります」

そんな電話が何件もあって、自分たちの意思とは別の新型コロナがもたらした引き際にほんの少し後悔がありました。しかし、宿泊施設を建て替えたところで、さほど需要はないのが現実です。

もう一つの理由は、この地域にファミリー向けの賃貸物件が少ないこと。

近くに複数の大学があり、街の四方に工業地帯があるため、ワンルーム賃貸は有り余るほどあるのに、ファミリー向けの広い賃貸物件はほぼ皆無。都心に近いことや文教地域であることで、子育て世代がこの街を好むのに、肝心の物件がない。さらに言えば、ペット需要がとても多いのにペットと暮らせる賃貸物件がない。高齢者が増えているのにバリアフリー物件もない。

宿の女将をしていた頃の私は、特に何もないこの街に宿泊したお客様が「来てよかった」と思ってくれることが何よりの幸せでした。駅の反対側にある新しいビジネスホテルのような快適さも美しさもありませんでしたが、古くても手入れの行き届いた客室で、板前の心を込めた手料理を仲居がもてなし、大浴場で足を伸ばして一日の疲れをとる。温かい出来立ての朝食をお腹いっぱい召し上がっていただいて、従業員が揃って感謝を込めて見送る。そんなごく普通の日本の宿屋に少しだけ誇りがありました。

しかし、今のこの街に、今のこの時代に、それは通じるものではない。

そこで考えました。「来て良い街」ではなく、「住んで良い街」を目指そう。これから取り壊す現存の宿には、創業から続いた大きな梁があります。立派な床柱があります。磨き上げた床材があります。これらを上手く活かし、子育て世代、ペット共存、完全バリアフリーの集合住宅を建てみようかなと。構想の時点から、子供の安全や快適なペット共存のパーツを最大限組み入れてしまおうと。居住者のコミュニティも考慮して、敷地内に小さな公園を作ります。屋上にソーラー発電を置き、備蓄庫も用意して万一の災害にも備えます。徹底的に拘った結果、総事業費は十五億円を超えてしまいました。

ただ集合住宅を建てるとか、その空地を活用してくれる企業に売ってしまえばそれで済む話ですが、私はここに住む人にこの街を好きになってもらいたいし、ここで子育てを楽しんでほしいし、ここでペットと共存してほしいんです。お金を持っている、人に優しい良い企業が、私の代わりに夢を叶えてくれたらよいのかも知れませんが、この地で宿の創業者が拘り続けた「心を込めたおもてなし」を、たとえ形が変わっても、その意志だけは継続したい、後世に繋ぎたいと考えるのです。

今、少しくじけそうになっていますが、息子たちと相談しながら、金融機関と相談しながら、実現に向けた一歩を踏み出したいと思っています。

もしも新型コロナが無かったら、もしももっと早くに閉館を決断していたら、資金の心配は今ほどなかったのかも知れません。そんな風に考えると後ろを向いてしまうので、今はどうやってこれを実現するかという思案中。

私たちが未来に残せる希望溢れる街づくり。特段優れた名所も特産物もない街が、住み心地の良い街になっていくことを願いつつ、今日も打合せを続けます。


#未来のためにできること

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