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21歳で双子の母親になるはずだった私へ

最初の結婚は、21歳だった。

双子を出産し、その子たちの母親になるはずだった。

いま現在、二児の母で、双子みたいに顔がそっくりな男の子たちを育てているけれど、21歳のときに産んだ双子ではない。最初の結婚をしたあと、すぐに流産してしまった。

バツイチであることを隠しているわけではないが、聞かれることもないのでわざわざ自分から言わないし、そうしているうちにバツイチであることすらたまに忘れている。

でも最近になって、あの頃のことをふと思い出すことがある。
そして、あのときの自分にどんな声をかけてあげられるだろうと考えている。

21歳で親の反対を押し切って結婚した

新卒で旅行会社に入社した私は、直属の先輩(1歳上)に恋をした。

仕事のできる人で、フォローしてもらったとか、素早い入力処理の仕方を教えてもらったとか、本当に些細なことで好きになったと思う。そこから、トントン拍子で付き合って、半年後くらいには妊娠した。

それが、一卵性双生児だった。

高校3年のときに病気で彼氏を亡くしていたので、反動のように激しく恋をして、そして、命というものに強烈な魅力を感じていたのではないかな、と、当時を振り返って考える。
その頃はいわゆる“デキちゃった婚”と呼ばれていて、まぁ、まさに“デキちゃった”なんだけど、自分から招いたようにも思う。

結婚するまでにも一悶着(というか体感としては50悶着くらい)あって、まず親に反対された。

「あなたはやりたいことがたくさんある子なんだから、まだ早すぎる」

というようなことを言われた。いまになると親の気持ちが痛いほどわかるけど、当時の私は聞く耳を持たなかった。

そういうわけで、半ば駆け落ちのように入籍した。11月11日、ポッキー&プリッツの日だった。

親には

「もう、うちの子だとは思わないようにする」

と言われ、絶縁されたようなかたちだ。

当時 夫になった人の実家に入って、子育てをしながら、義父の家業(小さな旅行会社をやっていた)を手伝っていこうと、義理の親たちと話し合った。

双子を流産して

たしか妊娠12週の検診のときだったと思う。
心拍が確認できない、と医者に告げられた。8週のときには、ピコピコと動く心臓を確認していたのに。

一卵性双生児は繋がっているから、最初に一人の心臓が止まって、次にもう一人にも血が回らなくなって心臓が止まったのかもしれない。二人の大きさが違うのは、心臓が止まった時期の差だと思う

そう言われた。
そこから、双子を掻き出す手術を受けて、私のお腹の中に宿った命は、あっけなく消えた。あの当時のことは、泣いていた記憶しかない。

空が崩れたと思った

韓国人留学生だった歳上の友人が流産したときに、たどたどしい日本語で話していた言葉が、しっくりきた。ぐにゃりと空が崩れたような感覚だった。

それでも、どんなに私の世界の空が崩れようと、外の世界では日常が流れていた。

21歳のうちに離婚

結局、そのときの夫とは1年も経たずに離婚した。順調にいっていれば、双子を出産したくらいの頃だ。

理由はいろいろあったけれど、当初は、私の親に対して

「いずれ認めてもらえるように頑張ろうよ」

と言っていた夫が

「もう縁を切るしかないんじゃない」

と投げやりになったことが大きい。まだ21歳で、自分の親に親孝行もできていないのに、20年間育ててくれた親より、数カ月前に親になった人たちを大切にしなきゃいけないというのがしっくりこなかった。

それから、自分の人生をあきらめて、子どものために生きようとしていたことに気づく。目が覚めたように

「ああ、私まだたくさんやりたいことがあったわ」

と心底思った。むしろ、いまから何にでもなれるじゃん!と思った。
一度あきらめた人生を取り戻したことは、まさに生まれ変わるような感覚だった。

私の署名済みの離婚届を当時の夫に差し出したとき、彼は

「千尋は言い出したら聞かないもんね」

と言って受け取ってくれた。

優しい人だった。私のことをよくわかっていた。でも、引き止めるほどの強さはない人だった。

いまになってこんな話をしている理由

別に感傷に浸りたくてこれを書いているわけではない。

最近、やっぱり子どもが産まれてから虐待のニュースに敏感になっているのだが、虐待死させてしまう親の多くは若年出産が影響していると知ったからだ。

自分の、あのときの環境を思うと、少しだけ理解できる部分がある。私の経験から何か役に立つことはないかと、それからずっと考えていた。

・実の親に縁を切られて頼れる場所がないこと
・若くして結婚したから、必要以上に幸せに見えるような振る舞いをしていたこと
・やりたいことを全部がまんして、子どものために生きなくてはいけないと思い込んでいたこと
・まだ若くて、自分ができないことについて、認めることができなかったこと

実の親と義理の親は考え方がまったく違っていたから、同居して子育てしても、考え方の違いに悩んだだろうし、とても窮屈だったんじゃないかと思う。しかも、義理の家庭の中で完結する人間関係なので、相談する場所がない。

自分の親を責めたいわけじゃないが、この状況は追い詰められるよな……と思ってしまう(うちの親は、双子を連れていずれ帰ってくるだろうと踏んでいたらしいんだけど)。

だから、もし若年出産を決めた人の親は、突き放すのはできればやめてあげてほしい。30歳で妊婦になったときですら、精神的には不安定だった(ホルモンに支配されるし)。それが余計に、若くて、見栄を張らなきゃいけなくて、周りに頼れる人がいない状況って、かなりしんどい。

もし友達の立場だったら、少しだけ配慮した上で、変わらぬ付き合いをしてほしい。なんなら子どもを連れて居酒屋やカラオケに行ったっていいと思うんだ。いまはタバコの煙がモクモクの居酒屋ばかりじゃないし。

環境が変わって、自分の身体も変わって、何より子どもという命が重くのしかかる。そのときに孤独だったら、どんどん内へこもってしまう。その辛さの矛先は、もっとも弱くて大切な我が子かもしれないのだ。

もちろん、若年出産=虐待ではないし、虐待親に自分を重ねすぎるのはよくない。若くして結婚・出産したことで早くに子育てを終えて、趣味を楽しんでいる人を知っているし、できるだけ、成功したケースを集めておくのがいいと思う。

21歳の私に言いたいこと

いまの私が、21歳の私に言えることがあるとすれば

あなたの人生はあなたのものだよ

ということだ。必要以上に幸せなふりをしなくてもいいし、辛いときは誰かに思いをぶつけていい。「子どものために」と自分の人生のすべてを諦めるのではなく、自分がやりたいことをできる環境を模索してほしい。

いまの私には、あなたの選択を受け止めるだけの力がある。それは、あなたが選択してきたことの結果だ。

渦中にいるときは辛かったし、苦しい思いもたくさんした。もちろん、そのときはそれしか選べなかっただけかもしれない。でも、そんな自分も認めて、抱きしめてあげたい。

あなたの人生は、他ならぬあなたのものだ。そして、幸せに導いてあげられるのは、あなた自身しかいないのだ。

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