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働くモードにスイッチを入れる

さて、次女が一時保育に慣れ始めたものの、それも週1回数時間のことでなかなか働くことが現実化していかない。まだ自分が何をしていくのかも見えなくて、一時保育を増やそうという気持ちにもなれずにいた。ところが「私、働けるかもしれない」、そうイメージできたのは、たった一つの出来事がきっかけだった。

母になって仕事を辞めても、ずっと続いてきた前職からの縁。母になってからはいつも子連れで会ってきた仲間たち。たとえ子供と一緒でも、子供への接し方だったり、他愛ない会話からいつも刺激をもらってきた。それは私にとって、少しだけ母から離れて、個人としての自分を取り戻すかけがえのない時間でした。

電車にもほぼ乗らず、自転車圏内で暮らす私を連れ出してくれるのはいつも前職の仲間。その日も久々に会おうよと誘ってくれたのでした。場所は以前働いていた表参道。そういえば、表参道に出かけるのは帰国後初めてのことだった。

私は以前、「大きく学び自由に生きる」をテーマに多様な学びを展開する「自由大学」で働いていた。場所は表参道どまんなか。「COMMUNE」という施設の中にある。仲間とランチした帰りにふらりと立ち寄った自由大学。平日の昼下がり、そこにはガランと誰もいない教室があった。ついさっきまでお昼を食べながら、「自由大学でまた講義つくればいいじゃん」「まだ無理だよー」なんて会話をしていたのに、その教室を見た瞬間に「またやれるかもしれない」という気持ちが湧いてきて、帰りの電車で、もし講義をやった場合の1日のスケジュールなんかを皮算用したりしていました。

それから8か月以上経ったけど、自由大学で講義をやることは実現していない。そんなに簡単なことじゃない。それでも、あの日が始まりで、何かが動き出して、今こうしてnoteを書いている。

ちなみにあの日は、一時保育の日ではなくて、次女も連れて表参道に行ったのでした。暴れ馬の1歳児を連れて電車に乗るのはハードルが高くて、といつも通り敬遠していたら、開けなかった扉。でも行ってみたら意外となんとかなった。

・いつも刺激をくれる友達をもつ
・ちょっと無理めと思われる誘いに乗ってみる
・以前働いていた場所に行ってみる

この3つで働くことがぐぐっと近づいた。自分が働くことがイメージできるようになった。そんな去年の冬。私の働くモードにスイッチが入った出来事でした。

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