窓を磨いて視界もココロもクリアに
私は掃除が苦手だ。大掃除もほぼしたことがない。気になったときにがんばってキレイにして、なんとかそれなりの状態を保ってきた。
が、さすがにヤバい。
最初にそう思ったのはリビングの窓の汚れ。
晴れた朝、爽やかにカーテンを開けると目に飛び込んでくるのは窓の汚れ。
晴れてるのに景色がかすむ。
キッチンカウンターのペンダントライトの傘も気づけばホコリだらけ。
でもまだ料理に落ちるとこまではいってない。
大丈夫。(ちがう)
それでも、見て見ぬふりを続け、今年も大掃除はするつもりはなかったのだけど、いつ変えたかわからないキッチンの換気扇のフィルターだけは変えようと決めてて、重い腰をあげた。
すると、新しいフィルターの白のまぶしいこと!
必然的に目につくのは換気扇の下の壁の油のハネ汚れである。気づいたら手が動いてた。
うすうす気づいてた。
冒頭の窓の汚れも電気の傘も。それに、収納に入りきらずに部屋の片隅に詰まれた夏服や夏ぶとん。引っ越してきたときにとりあえずで押し込めたモノたちの取り出しにくさ。
数えだしたらキリがないぐらいある、家中に放置された「なんか嫌だけど、とりあえずこのままで」という不便さや汚れ。
とりあえず、今日は天気が良かったし、毎朝顔を合わせるリビングの窓を磨いてみた。(網戸もね。)
窓を拭きながら思い出していたのはZINEで取材した、家事セラピストの石野祐子さんの言葉。
本当にその通りだ。家事で身体を動かすって気持ちがいい。いつもは、仕事と家事育児に追われて、こなすだけの掃除。気持ちよさを感じたことなんてなかった。
とりあえず掃除機かけておけば何とかなるけど、見て見ぬしてる汚れや家の使いづらさや、「ここいつ掃除したっけ?」っていちいち思うことがなくなると、もっと毎日がスムーズで、生活に追われてる感がなくなるのかもしれない。
自分がしんどくならずに、いい加減にそこそこきれいに、片づいた家をキープできるって、すごいこと。確かにそれだけで十分、自分に自信を持てそうだ。
窓を拭きながら、そんなことを考えた。
そして、もうひとつしみじみと思ったのは、やっと大掃除をする余裕ができたのだなぁということ。よいしょっと腰を上げて窓を拭けるフットワーク。そんなの去年まではなかったなぁと、大掃除をしながら、育児も少しひと段落したことを感じる。
ここ数日の夜の日課は、2024年にやりたいことリスト100を書くこと。書いたことを見ると、暮らしを整える系のことが目に付く。今年は仕事をがんばった分、やり残したのは家のこと、ということかもしれない。
大掃除の後、掃除の気持ちよさを感じるのはきっと誰でもそうだろう。この状態をキープしたいと思うのも。
この気持ち、一過性のものにせず、来年は自分にとっての家事(特に片付けと掃除)のリズムをつくっていきたい。
とりあえず、1月は書類整理をやる。子どものプリントも。自分の書類も。
そして確定申告がんばる。そういう月にしようと思う。
BASEでZINE「暮らし、はたらき、生きていく」を販売中。
ZINEの詳細はこちらからどうぞ。