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教師の1流・2流・3流

理想の教育とは、一体何だ?

世の中には数え切れないほどの教育者(指導者)が存在する。世界で換算したら、一体何人なんだろうか?何かを人に教える人、それは保育園・幼稚園の先生、小中高の学校の先生だけではなく、会社の社長や部長などなど、何かを人に教える人・指示する立場の人の、本来あるべき「理想像」とは、果たしてどのようなものなのだろうか?

今回は「学校の先生」についてお話ししていく。

私も、大変恵まれた環境のおかげで、これまでたくさんの「教師」と出会ってきました。担任の先生以外にも、部活の顧問・副顧問の先生や、校長・教頭先生、学年主任、他学年の先生たちと、交流する機会が何度もありました。これまでであってきた先生たちを、分類分けすることは大変失礼なことではあるが、私が出会ってきた中で1流と呼ぶことができる先生は、たったの「2人」だ。私が中学校3年生の担任と、高校2,3年の時の担任の先生だ。振り返ってみると、ほとんどの先生が2流だった。

では、1流の教師・2流の教師・3流の教師の違いとは、一体どこにあり、何が違うのだろうか?

ここからは、あくまでも私の一意見であるため、皆さんも考えてみよう。

教師の3流とは?

まず、3流から見ていこう。ここでいう3流は、一言で言うならば「最低」。生徒の考えを真っ向から否定してくる、話をも聞かない、態度が偉そうで完全に上から目線、生徒の人間そのものの存在を否定する、生徒の夢を潰すような教師。まだまだ挙げたらきりがないくらいだが、このような教師は3流ではなかろうか?ここまで来ると、もはや「教師」と呼んでいいのかという疑問が出てくる。これは担任の先生というよりも、部活の顧問の先生に多い傾向があると考えられる。

私が所属していた中学時代の野球部。私も含め、チームの誰もが経験があるが、何かミスをするたびに浴びせられる罵声。そのミスだけを指摘してくれるのであればまだしも、その顧問の先生はその生徒の人間的存在をも否定し始めたのだ。「お前は○○な奴だからミスするんだよ」「お前は○○だから、ちょっとは期待してたけど、大したことねえんだな」などの言葉を浴びせられる日々が続いたときもあった。至近距離で、故意に狙って自分でトスであげたボールを、生徒をめがけて打ったりなどもされた経験がある。生徒たちはもちろん、各保護者たちも、みんな顧問を嫌っていた。それは他の学校まで噂されていたほどだった。

こんな顧問についていくことがあほらしくみんな感じてしまい、ふてくされてしまったことを良く覚えている。そんな彼の口癖でもあった言葉の1つとして、「悪いことをしたらすみませんでしたと謝れ」というのがあった。「なんであんな奴に頭下げなきゃいけないんだよ」と言っている者も多くいたし、実際私もそう思っていた。

自分の都合しか考えておらず、校長や教頭が来たときだけかしこまっているだけの顧問。こんな先生には誰も従うことはない。

教師の3流とは、生徒に深い傷しか与えない人ではないだろうか?

教師の2流とは?

続いて、教師の2流を見ていこう。おそらくここに属す先生が、世の中には1番多いのではないだろうか?


一体どんな先生か、詳しく見ていこう。


こんな先生に、今まで出会った人はいないだろうか?

「宿題が少なかった先生」

「授業がめちゃくちゃ楽だった先生」

「まったく怒らない先生」

「多少の失態は見逃してくれた先生」

・・・・・・などなど、このようにいわゆる「楽」な先生はいなかっただろうか?

私も何人も見てきた。そしてその先生の授業を受けていた。実際、めっちゃ嬉しいものだ。いい意味で緊張感を持つ必要がなく、先生と絡みやすいからである。要するに、生徒の自由性が高いと言うことだ。

では、なぜ生徒は緊張感を持つ必要がないのだろうか?なぜ、絡みやすいのだろうか?

それは、先生自身が「生徒に嫌われないようにしようとしているため」である。

何か口うるさく注意・指摘することで、生徒を傷付けてしまうのではないか、生徒に嫌われてしまうのではないかと思っている可能性が高い。それから、よくこのような発言をしていた先生は過去にいなかっただろうか?

「先生たちだって、大きい声を出すのは疲れるし、嫌なんです。私たちに、大きい声を出させないでください」といっていた先生たちを。

これは言い換えると・・・

「先生たちだって、大きい声を出すのは疲れるし、嫌なんです。私たちに、大きい声を出させないでください」=「面倒くさい」

ということになるのではないだろうか?

そう、教師の2流とは、「面倒くさいことを避ける」のである。

教師の1流とは?

そして最後に、教師の1流を見ていこう。ここに属する先生は、ほんの一握り。

では、一体どんな先生か、詳しく見ていこう。

冒頭にも述べたが、私が出会ってきた教師の中で、1流と呼ぶことができた先生は、中学3年の担任と、高校2,3年の時の担任の先生2人だけだ。

では、私が尊敬するこの2人の先生には、どのような特徴があるのだろうか?特に高校2,3年の時の先生は、大尊敬している。

この先生は、とにかく不器用で、手際が良くないことで有名であった。そして、みんなからも、「うるせえな」「面倒くせえな」と、陰口をたくさん言われていた。「他の先生が担任が良かった」と、年度始まりでは言っていた生徒も何人かいた。そんなこともすべて知っていた先生。普通であれば、もうメンタルやられっぱなしで、教室に足を運ぶことすらためらう、もしくは入ってこれないだろう。恥ずかしながら、私も2年生の4月5月あたりまでは、「噂通り、ちょっと面倒な先生だな」と思っていた。

しかし、その先生は毎日生徒の前では笑みを浮かべながら過ごしていた。そして、その先生が何度も口にしていた言葉がいくつかあるが、私が鮮明に覚えている言葉が2つある。それは・・・

①「努力は必ず報われるんだよ」

実は、その先生は、教員採用試験に何度も落ちていたという過去を打ち明けてくれたのだ。それも1回2回だけの話ではない。普通の人であれば、「自分には才能がないんだな」「他の道に進もうかな」と、投げ出してもおかしくない状況だ。きっと私もそうなっているだろう。しかし、先生は自分の才能云々ではなく、ただ自分の夢の実現に向けて、ひたすらに努力を続けてきたのだ。先生は当時を振り返って、私たちにこう投げかけた。「あの時期は泣きながら勉強していたよ。でも、私には絶対に教師になるんだという志があったから、勉強を続けることができたんだと思うよ。多少時間はかかったけれども、こんな私でもできたんだ。みんなにできないはずがない。努力は必ず報われるんだよ。報われる日が来るまで頑張ろう!」

こんな素敵な言葉をくれる先生が、この日本にはいるんだ!私は本当に恵まれている。私のような思いを、これからの子どもたちには味わってもらいたい。そんな思いから、私は情報発信を始めた。

②「みんな本当にありがとう」

「ありがとう」と、素直に生徒たちに対して言える先生ってかっこいいな!そう思わされたのを良く覚えている。この「ありがとう」は、ほんの些細なことに対しての「ありがとう」だったのだ。教師は、子どもたちから「ありがとう」と感謝をされたいと思っている先生は、おそらく多いと思う。これは当たり前のことだと思うし、それが仕事のやりがいでもあると思う。しかし、私の担任の先生は、自分から生徒たちに「ありがとう」と言葉を贈っていたのだ。私も数え切れないくらいの「ありがとう」を、先生からいただいていた。


1流の教師というのは、生徒たちの「今」を見ていない。10年後、20年後の「未来」の生徒たちを見ている。未来の生徒たちに問いかけている。「今」嫌われていようとも、その子たちが「未来」で大きく羽ばたいていけるための教育をしている。

結論:3流は「ただ傷を与え」2流は「嫌われないように面倒なことを避け」1流は「生徒に感謝を伝え、今ではなく未来を見据えている」

これが、私の今の結論である。しかし、その議題に正解は存在しない。そして、理想像というものは、あらかじめ作るのではなく、作り上げていくものなのではないだろうか?




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