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多分本当の未来なんて

サザンオールスターズの代表曲に「マンピーのG★SPOT」という曲がある。

この曲、このアヴァンギャルドなタイトルのせいでコミックソング枠に入れられてるのが非常に勿体ないと常々思っていて。サウンドは太くてソリッドでカッコいいし、バンドサウンドとしてもとても完成されていて、ほんとめちゃくちゃ音楽としてカッコいい曲なのよ。

この曲がリリースされた1995年に僕は中学3年生、絶賛思春期ど真ん中。当時は自分の性別のことで1番苦しんでた時期で、親との関係も拗れに拗れてまったく勉強しなくなった頃。ぶっちゃけそこまではそんな成績悪くなかったし、なんなら割と良いほうにいたのに一気に学年の落ちこぼれリストの常連に名を連ねることに。
今思うとよく高等部進学できたなと(笑)
まぁ成績のことは置いといて、そんな出口の見えない時期に5歳の頃から大好きだったサザンオールスターズがこの曲をリリースした。

普段歌詞なんてほとんど聴かない俺が出だしの歌詞に衝撃を受けた。

"多分本当の未来なんて 知りたくないとアナタは云う
 曰く曖昧な世間なんて 無常の愛ばかり"

なんかね、この部分だけで勝手に桑田さんに見透かされてる気持ちになったよね(笑)。実際のところ全編通して歌詞聴くと割と支離滅裂だしいつのも桑田さんの言葉遊びかな、ってのがわかるんだけど。
でも2番のAメロ終わりにまた厨二病が寛解しない当時の俺に突き刺さる歌詞が出てくる訳で。

"多分本当の未来なんて 空っぽの世界"

いやぁ、シビれたよね。
まぁこういう生き方してると、周りの人達が考える「普通の人生」てのが、当時の俺には全く想像ができなくてな。この部分でそれこそ勝手に「桑田さんわかってるね!」とか思って、なんだか妙に救われた気分になった記憶がとても鮮明にある。それだけで妙な安心感があった。当時の俺はこの部分をそういう風にとても刹那的に捉えてた。

でだ。
あの当時から25年以上を経て、あの頃考えてた「未来」に立っている俺が何を思っているのかというと、

未来が空っぽの世界だってのは事実

ってこと。

…これ、決してネガティブな意味じゃないよ。
当時の俺にとっての『未来』はまだまだ空っぽだったんですよ間違いなく。そこに至るまでの生き方で未来の空白を埋めていくってだけの話だったんだよね。
だから当時空っぽだった「42歳の俺」には現在、めちゃくちゃいろんなものがぎっしり詰まってる。多分この詰まり具合の密度の濃さはなかなか自慢できるんじゃないかって思ってるほど(笑)。

つまりね、空っぽの未来を埋めるのって、結局自分自身の生き様なんよね。

僕は今42歳、気付けばトランスフォームして10年になった。男として生きてくって決めた当時、10年後の未来なんて想像もつかなかったけど、男としてうまいこと社会生活を営めてるし、うまいこと社会に埋没して生きてる。それなりに生活もできてるし、仕事も楽しくやれてるし、歯医者としても割と成功してる部類だと思うし、日々楽しく遊べてる。それは過去の俺が今の俺の人生をいろんなことで埋めてきたから。

でもこっから10年後の僕はまだまだ空っぽ。
それをどうやって埋めていこうかって思うとワクワクする。10年後また大爆笑してられる生き様を貫こうと思う。

"多分本当の未来なんて空っぽの世界"

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