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20年の思い② ライブラリアンのたまご

司書の資格は二十年前の夏、地元の大学の司書講習に約二ヶ月間通学し、「笑いながら」取った。
「笑いながら」というのは、文字どおり、日々楽しく大笑いしながら司書講習の日々を過ごした、という意味だが、決して楽に資格取得できたという意味ではない。授業を理解し試験を受け、レポート提出をし、単位を取る。
受講終了までには、学習そのものに対する苦しみはたくさんあったし、再試を受けた科目もあった。
ただ、そういうことすら「楽しい」と思えるほどに司書講習での学びが自分にとって魅力的なことで、それを助け合って励まし合える友人ができた。
そういう日々だった、ということ。

二十年経った今でも思うのは、あの司書講習は、もしかしたら自分史上一番大笑いした二ヶ月間かもしれなくて、
人生で一番、楽しい夏だったのかもしれない。ということ。
グループ内の女性は、「ライブラリアン」という言い方が好きらしかった。
ライブラリアンのたまご、という言い方をよくした。
ライブラリアンになるための学習だからたまごもまだ早いけどね、とシニカルな大学生君が訂正することもあった。

その年度、受講生は150名以上いた。私は地元からの参加だったが遠方から来てマンスリーマンションなどで暮らしながら受講する人も多かった。

たくさんの受講生がいても、気の合う数人には自然に巡り合えるもので、一週間もすると広い教室の中でもなんとなく顔見知りができた。
なんとなくいいな、とお互いに感じた数人と挨拶をするようになった。
それから、会話をし、昼食をともにし、一緒に下校し、飲みに行く。
段階を経て少しずつ仲良くなって、最終的には五人グループができた。
県外から来ている同年代の女性。
県内外の大学四年生の男の子三人。
それに、地元から通学する二十六歳の私。

暑い夏の日々だった。
駅から大学までの坂道は傾斜がきつい。
当時気にいって使っていた革のトートバッグはテキストやお弁当、水筒でずっしり重くなり、それを肩にかついで十五分ほど、ただ、坂をのぼる。
通学時はひとりでのぼるその坂を、下校時はグループのみんなと一緒に弾むような足取りでかけおりる。
そんなことの繰り返しで過ぎていく日々が、たまらなく楽しかった。

「本が好き」で「司書資格をとりたい」という共通点を持った新しい友人との出会いは、ふたたび始まった地元での生活をいっそう豊かにしてくれた。
地元にいて昔なじみの友人とつるむことも変わらず楽しいものだったけれど、本当に学びたいことを学ぶために県外から集まってきた新しい友人と、自分の地元で出会うことができたのは、また違う種類の喜びだった。

平日は学友と、休日は旧友と。
地元での新しい日々がフル回転で動き始めた。
こないだまでニートで、ごろごろ、いじいじ、うだうだしていたのに。
祖母に司書講習が楽しいことを打ち明けると、
「やっぱり、あんたには本があったら間違いないんだわ」と嬉しそうにしていた。

約二ヶ月間の司書講習が修了し、無事に資格取得を果たしたグループのメンバーはそれぞれの地へ戻っていき、ひと夏が終わった。

そして資格がとれたものの、ニートに変わりなかった私は、これからどうしようかと再び悩むようになった。


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