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ピラティスインストラクターになった理由

ピラティスインストラクターの千尋です。

ピラティスインストラクターとして、毎日たくさんの方の健康、美、目標、人生に関わる日々。この仕事を選んでよかったと本当に思っています。そこで今日は、なぜピラティスインストラクターになったのかを書いていきたいと思います。

同じように悩む方の参考になると嬉しいです。

将来の夢に出会えなかった子ども時代

愛媛県の田舎に生まれ、何にもない町で育ちました。クラシックバレエの教室が奇跡的にあり、6歳ではじめることができました。クラシックバレエを始めた子どもたちが一度は夢見るバレリーナ。東京では海外留学を目指し、どこかのカンパニーに所属しながらダンサーとして活躍していくことは身近にあるものですが、田舎に過ごす私たちにとっては遠い物語の世界のことのようでした。自分はバレリーナにはなれないんだなぁ・・・。と思ってからは、特に「夢」は見つからず過ごしていました。看護師になりたい。教師になりたいなど、明確な夢を持っている友達を羨ましく思っていました。

中学生の時に経験した"職場体験"では、当時の担任の先生の進めで小学校に行き、子どもたちに水泳を教えたりしていました。その当時から人に何かを伝え、教えて、成長を見守っていくことが好きなタイプだったのかもしれません。


しかし、今振り返ると田舎の仕事はとても限られたもの。その中からやりないことを見つけ出すというのはとても難しいことのように思います。今田舎で生きる子どもたちも、たくさんの夢をみられるようになったらいいなと思っています。

自分が仕事を通して"やりたいこと"


明確な夢が見つからないまま大学進学。大学は教育学部のスポーツ健康科学課程に所属し、高校体育の教員免許を取得しました。大学時代にはダンスのインストラクターとして子たちに指導したり、バレエの大人クラスを担当させていただいたりしました。誰かの目標に向かって一緒に進んでいく楽しさを感じられた日々。インストラクターの仕事は、自分にとってやりがいを感じられたものの、それ一本で過ごしていくということは当時の自分にとって現実的ではなく、そのあとは一般就職の道を選びました。地方の環境や、新卒という状況からそう感じたのかもしれません。

新卒から出版社、IT企業で働き、営業、編集、ライター、ユーザー・クライアントサポート、コミュニティマネージャーなど(笑)たくさんの業務に取り組んだ中で、一番楽しくやりがいを感じたのは"サポート"の仕事でした。お困りごとを解決して、安心や笑顔を作る。自分が誰かの役になっているということがとても嬉しく感じたのです。


そんなふうに働きながら「もやもや」が続いた日々。自分にとって誰かの役に立つことが自分のやりがいと気がついた時、やるならスペシャリストとして自分がより誰かのお役に立てる場所を見つけたいと思いました。出版社もIT企業もすごく楽しい職場だったのですが、自分の勝てる場所ではなかったように感じます。その時に、今一度スポーツに立ち戻ってみようと思いました。

やっぱりここだと思った

スポーツに立ち戻りたいと考え、ダブルワークでフィットネスクラブに所属しインストラクターになりました。目の前にお客様がいて、自分のできる全力でレッスンをして「ありがとう」「気持ちよかった」「また来ます」そんな言葉に、やっぱりここだったんだなと感じました。そしてより深く身体について学び、たくさんの人のお役に立ちたいと考えた時に、バレエ のレッスンで体感したことのあったピラティスが自分にフィットするんじゃないかと直感的に感じました。

仕事を通して誰かの役に立ちたいと考えた結果、ピラティスインストラクターにたどり着きました。今後も形は変わっていくかもしれませんが、自分の全力でお役に立てるものとしてピラティスと出会えたことはとても幸せなことです。

もし自分のやりたいことが見つからない人は
・何が好きなのか
・仕事を通して何をやりとげたいのか
考え続けることが大切だと思っています。
明確にやりたいことが見つかっていない人は、子どものころの私のように出会えていないだけなのかもしれません。


もやもや、ぼんやり。その輪郭をクリアにしていく作業を根気強く、自分と向き合いながらやり続けることが、やりたいことに出会える秘訣だと思っています。探し続けた人にしか見つからないものだと思うからです。

やりたいことに出会える人が増えていきますように。

chihiro

#ピラティス


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