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復活のゾンビ

ゾンビは、思えば、物心ついたときにはすでにゾンビでした。
空気を読み、相手の顔色を伺い、全てに優先されるのは、
「郷に入っては郷に従え」というルール。

そう、人生がはじまった瞬間に、ゾンビはすでに呪いにかけられていたのです。
一番古い記憶は、歩道橋の上。
ここから落ちたら、あなたの体なんてすぐにぺしゃんこになるんだよ。
そう、ささやく声と、耳にあたる、生あたたかな息。
生みたくなんてなかったのに、間違って生まれてきたんだよ。
だから、早くいなくなってしまうのが、一番の親孝行だ。それを忘れないようにね。
当時のゾンビの母がどうしてそんなことを言ったのか、ゾンビにはわかりません。
当時の話になると、言葉を濁して答えてはくれないのです。
話したくないことを、人は決して話してはくれないものです。

人の人生には浮き沈みがあります。
ときには道を見失うこともあるでしょう。
けれども、呪いをかけられた側は、その呪いを解かない限り、ずっと呪いを背負いながら生きてゆかなくてはなりません。
そして、いつのまにか、人生とはそういうものだと自分で自分に暗示をかけ、流されて、時間ばかりが過ぎてしまうのです。
間違った生命なのだから、なにかを願ったり、望んだりすることは、きっと許されないことなのだろう。
そんな呪詛の堅牢な塔が、ゾンビの心をすっかり閉じ込めていました。

呪いのささやき声は、人生の節目節目で、なにかがはじまる瞬間に、どこからともなくゾンビにささやきかけて、心をがんじがらめに縛るのです。
そんな呪いに閉じ込められたまま、ここで暮らし、ここで死んでゆくのだろう、とどこか絵本を読むような、他人事のような感覚で、ゾンビは生きていました。
生きているのに死んでいる。
死んでいるけれど、生きている。
そう、まさしくゾンビそのものの毎日でした。
生き生きと走り回る同世代の子供たちが、きらきらと輝いて見えました。
なんて眩しい世界なのでしょう。
生まれ変わったら、今度はあんなふうに生まれてみたい。
ゾンビは、もうすっかり「今」をあきらめていました。

ゾンビとして生きていると、すべてのものが、希薄です。
陰影も、凹凸も、薄ぼんやりとして、世の中すら、ぼんやりしたものに映ります。
喜びも、嬉しさも、感じません。
そんなふうにただ、流されて生きていれば、当然、出発点はありません。
出発点が無いので、目的地も定まりません。
定まらない限り、ゾンビはその場所に繫ぎとめられたまま、どこにもたどり着けないのです。

そんなあるとき。
驚くべき言葉が、ゾンビに投げかけられました。
「完璧にできなくていいんだよ。失敗してもいい。失敗の中から、取り出せるものが必ずあるから」
ゾンビの中に、その言葉はどこまでも波紋を広げました。
その人は、完璧な人に見えました。
きらきら輝く、別世界の人。
けれども、本人が語るには、できるまでやり続け、何度も何度も、何年も何年も、失敗し続けた、というのです。

ゾンビは、はた、と考えました。
自分ははたして、繰り返し、挑戦しつづけたことがあっただろうか。
――ありません。
そう、一度もなかったのです。
そして、一度もなかったということを考えたことすらなかったのです。
ゾンビが、初めて味わう衝撃でした。
まるで雷に打たれたようです。

「胸に手をあてると、元気に心臓が動いてる。今、あなたは生きてる。ゾンビなんかじゃない」
そうつづけられた言葉は、ゾンビの乾いた心に染み渡りました。
けれども、長くゾンビとして生きすぎて、他のやりかたを知りません。
今日から一体、どうしたら良いのかもわからないのです。
「一時間でできること。一週間でできること。一ヶ月でできること。そう区切って、一歩一歩、進んでいけばいいんだよ」
その人は、登山にたとえました。
目の前の坂道を、十歩、二十歩と進んでゆく。
それを毎日繰り返してゆくと、一週間後、一ヶ月後、一年後……、気づいてみれば、いつのまにか歩きはじめた場所から、はるか遠い高みを歩いていることに気づく、というのです。

一時間でできること。一日でできること。
一歩の歩幅をできるだけ、小さく定める。
なんだか、それならばできそうな気持ちが、わくわくと湧いてきました。
一歩を踏み出そうとすると、あの、いつものささやき声が響いてきます。
けれども、ゾンビはもう、ゾンビのまま生きたいとは思わなくなっていたのです。
呪いが解けてゆくのを、ゾンビははっきりと感じていました。

はじめての挑戦は、できなくて当たり前。
それは、ゾンビにとってお守りのような言葉でした。
誰もが生まれてすぐは、歩けません。
何度も転びながら、転ぶタイミングや、受け身、歩き方のコツを、体で体験しながら、育ってきたのです。

ゾンビを卒業したい。
ゾンビが、生まれてはじめて抱いた願いでした。
自分にはあるはずがないと思っていた心のエンジンは、本当は、生まれつき、ゾンビにも備わっていたのです。
ただそれに気づかなかっただけだったのです。

一度かかったエンジンは、ぐんぐんまわります。
ぼんやりしていた世界はくっきりと見えはじめ、きれいなもの、そうでないもの、そのすべてが目の前に鮮やかに広がります。
この手で触れ、この目で見て、この心で感じる。
それはなんと楽しいことでしょう。

もう、そこにゾンビの姿はありませんでした。
そこにいるのは、好奇心と未知へのかすかな不安を目に宿した、ひとりの子供が立っているのでした。

#エンジンがかかった瞬間

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