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ギャップイヤー体験記vol.4~カンボジア編~

大学卒業から就職までの半年間(2023年4~9月)のギャップイヤー体験記。

ついに海外旅編!

今回は、2023年6月10日~18日に滞在したカンボジアについて。
当初の予定では、NICEのワークキャンプを通して6月12日~23日でカンボジアの子どもに英語を教えるボランティアをするはずだった。
それを途中で辞退したのが一番の大きな出来事。

順を追って振り返ってみようと思う。

ここからは、だいぶ赤裸々な挫折物語です。
気になる方だけのぞいてみてくださいな。


6/10 カンボジア上陸

人生で初めて、ひとりで海外へ渡航した。

もうなんというかあまりにも怖くて、前日夜にインスタで応援メッセージを募集した。ストーリー投稿した瞬間は「なんて投稿をしてしまったんだ!?」と思ったけど、本当にありがたいことにたくさんの友達からメッセージをもらって、心の底から嬉しかった。ひとつひとつをスクショして、飛行機の中で見返しまくった。

バンコクでの乗り継ぎは別の空港に移動せねばだったので、連絡バスを使って移動。
スワンナプーム空港に降り立った瞬間、口角が上がるのを感じた。
「ひとりで海外に来たんだ!」というわくわくが初めて不安と恐怖に勝った瞬間だった。

無事乗り継ぎも完了し、カンボジアのシェムリアップ空港に到着。
ホテルに頼んでおいたトゥクトゥクに乗り込み移動。
道路の雰囲気、遠くに見える謎の観覧車、そこらにいる野犬、虫の音、気温と湿度、全身で感じる風、、全てがリアルだった。

日本人がオーナーだという大型ホステルに到着。
1階のラウンジでは、パリピたちが騒いでいた。
正直怖かった。

ドミトリーの自分のベッドに到着。
持参した南京錠が2つとも壊れて開かなくなる。
たまたま荷物取り出したタイミングだったからよかったが、ロッカーが開かなくなる事件。
同部屋の欧米系お姉さんが事態を察してくれて、壊すこともできるからねって教えてくれた。

6/11 既にパニック

ホステルでクメールスタイルの朝食を食べ思う存分ゆっくりした後は、シェムリアップの街を散歩。

ガイドブックに載っていたオールドマーケットは、見慣れなくて道も狭くてにおいもすごくて。話しかけられるのも怖くて、足早に過ぎ去った。

Old Market

その後はカンボジアでチェーン展開してるカフェ”Brown Coffee”に行った。
きれいなカフェの安心感よ。

暑すぎて全然歩き回れなくて、かつお腹も空かなかったので早々にホステルに帰ろうとした13時。突然雨が降ってきて、近くのJapanese100均的なお店に入る。バケツをひっくり返したような雨とはこのことか、というような大雨。

雨が止むまで1時間ほど待って、ホステルに帰還。
もう何もする気になれず、ベッドにこもる。
欧米人、結構昼間からベッドでごろごろしてるから、安心して寝てられた。

目に映るもの、肌で感じる空気、匂い、音、知覚する全てのものが新しくて、インパクトがすごかった。夢の中にいるような、宙を歩いているような、そんな感覚で、疲れてしまった。

夜ご飯は、ネットで検索して評判のよさげだったレストランに行き、クメール料理として有名なアモックを食べた。
ココナッツ味の、辛くないカレーみたいな?
わりとおいしかった。

ホステルでは、昨日声をかけてくれたお姉さんが心配してまた声をかけてくれた。
決死の思いでようやく「Can you help me?」とだけ絞り出したところ、一緒にレセプションに行ってスタッフに説明をしてくれて、無事鍵を破壊することに成功した。
名も知らぬお姉さん、ありがとう。
気にかけてもらえる嬉しさと、優しさやフレンドリーさに返せないふがいなさと悲しさでいっぱいだった。

あと、ボランティアの先輩からの連絡で、ワークキャンプの参加者が私ひとりであろうことが発覚した。
気分は最悪だった。
圧倒的恐怖と不安で押しつぶされそうで、日本の友達とのメッセージのやりとりに救われていた。SNSがなかったら本当に死んでいたと思う。

夜、日本の友達と電話をした。
電話し始めて、安堵からか涙が出てきた。
自分の考えている以上に自分はパニックになってるのかもな、と思った。
とりあえず、クメール語の挨拶を勉強した。

私的にこれまでは”旅=日常”だったけど、今回はまさに”冒険”だった。

6/12 やっぱりパニック

バスでシェムリアップからバッタンバンに移動する。
移動するだけでもうドキドキで不安で仕方なかった。

バッタンバンのバス亭にホストが迎えに来てくれた。
バックパック背負ってバイクの後ろに乗りいざ出発。
初めてバイクの後ろ乗ったけど、想像以上に安定していて風が心地よかった。

15分ほどでホームステイ先のお家に到着。
ここで、ボランティアは私ひとりだということが確定した。
ここらへんのお家は2階立てが多くて、1階のリビング部分がオープンになってるところが多い。ホストのお家もそのタイプで、私の部屋は2階に用意してくれていた。
あと、靴は1階で脱ぐスタイル。
トイレとシャワーは一体型で、虫やトカゲだらけではあったが、水洗式のトイレだった。

そして一番びびったのが、犬。
可愛い犬を飼っているのだけど、結構大きくて人懐っこくて。
狂犬病が怖いから犬には触らないようにしようと思ってたけど、不可能だった。
あと現地受け入れ団体のオフィスにも犬だの猫だのがたくさんいて、私は戦々恐々としていた。

で、スクールへは先生のひとりがバイクで連れてってくれ、教官室的なところでしばらく先生たち(だいたいみんな女子大生)とおしゃべりをした後に、オフィスでBossにスクールについての説明をしてもらった。
そんなに英語が得意じゃない私には3分の1程度しか理解できなかったが、丁寧に説明してもらった気がする。

ちなみにスクール近くのトイレは、バケツで水をすくって自分で流すスタイル。
これがうわさのトイレか!て感じ。

そしてその後は、なぜかコーディングの授業を一緒に受け、
授業が終わったら先生たちに連行されスナックを食べに行くことに。
屋台で出てくる得体の知れない食べ物たちにドキドキしながらもおいしくいただいた。

スナックを食べた後はまたスクールに戻り、再び先生たちとおしゃべり。
授業の休憩時間には子どもたちに囲まれて、
「What is your name?」
「Where are you from?」
「What is your favorite ○○?」
「Do you have a boyfriend?」
の4種類の質問にひたすら答え続けた笑
かわいかったな~~

19時頃には全授業が終わり、ホストが近くのご飯屋さんに連れて行ってくれた。
食べたのは、Fried Noodleとアボカドスムージー。
普通においしくて助かった。

夕食を食べながら、いろんな話をした。
大学では何を勉強していたのか、
仕事は何をするのか、
どんなことを考えているのか、
なぜこのボランティアに参加したのか、
このボランティアで何をしたいのか。

ホストは、ほんっとうに優しかった。
英語を教えられるか心配だと言ったら、
英語が完璧じゃない人が話してくれることで子どもたちにとっても英語のハードルが下がるから、英語が苦手でも意味があると教えてくれた。

何かを教える必要はない。
好きなこととかをシェアしてくれるだけでいいんだ。
プレッシャーを感じなくていい。
気楽にやってほしい。
と言ってくれた。

環境教育やってるという話をしたら、
それを授業でやってくれてもいい、と提案してくれた。

本当に優しくて、
正しくて。

私は、逃げ道を塞がれたような気持ちになった。

帰宅後。
シャワーを浴び、服を手洗いし、飲み水をもらい、蚊帳も設置して、就寝した。
ひとりになった瞬間、涙が出てきた。

途中から予想はついていたが、申し込み当初に私が想定していた国際ワークキャンプとは、あまりにも違った。
これまでの経験上、同じ立場のボランティアがいない環境は私にとってストレスフルだということは自覚をしていた。
やりたいことやっていいよスタイルのボランティアやインターンは苦手だとわかっていた。
ただでさえ慣れない環境で英語も得意じゃないから、できるだけ苦手要素を避けるために、まずはワークキャンプに参加しようと思って申し込んだ。
けれども、実際には苦手なことのオンパレードだった。

コンフォートゾーンから抜け出したいと思って海外に来た。
でもこれは、明らかストレッチゾーンを超えてパニックゾーンだった。

つい、インスタのストーリーで弱音を吐いた。
心配してくれる友達からのメッセージに、再び心を救われた。

6/13 限界突破

夜は家の隣からパーティーみたいな音楽と歌が流れてきて、
かつ動物たちの鳴き声もうるさくて、
さらには腹痛もあって、
よく寝れたとは言いがたい状態で起床。
蚊帳は効果抜群で、夜中に虫に悩まされることがなかったのが救い。

朝ご飯は、ホストがローカルマーケットに連れていってくれた。
地元の人は、毎日ここに買い物に来るらしい。
虫、コウモリ、カエル、小さいカニ、生肉、生魚、燻製魚、初めて目にする野菜や果物たち、、、
その匂いも相まって、目が回りそうだった。

ホストがいろいろな話をしてくれた。
この町での食べ物はほぼ自給率100%であること、
海外から輸入してくるものはちゃんと高いこと、
魚の保存方法、
数十年前に起きた大虐殺の影響、
などなど。

私が来ることを知らされたのが前日だったらしく、何もやること準備できてないんだよね、ということで、
この日はスクールの授業が始まる14時までフリータイムだった。

昨日に環境保全興味あるという話をしたから、
ちょっと上に相談してみてもし活動があったら今後この午前の時間に参加できるかも、とも話してくれた。
本当に優しい。

とういうことで自由時間をもらったので、
環境教育をクラスでやるとしたら、というのをひたすらに調べて考えた。
JICAの協力隊向けの資料がとても参考になった。
十八番のサウンドマップをやるか、
ゴミについて考えるワークをやるか。
手書きで企画書的なのをつくってみたりもした。

こどもたちの生活環境も英語レベルもまだわからなかったから未確定要素多すぎたし、自分にできるかどうか不安でもあったけど、わくわくしながらできる道筋が少しだけ見えてきた気もした。

お家の一階で考えてたら、ありえん量の蚊が寄ってきて。虫除けしてても数匹。最初虫除け忘れてたら数十匹群がってくるレベルだった。
見かねたホストマザーが、蚊取り線香つけて、薬も塗ってくれた。
ホストマザーもシスターも英語わからないのだけど、「オークン(ありがとう)」って言ったり合掌すると微笑んでくれた。

お辞儀みたいなノリで合掌するんだよね。カンボジアのみなさん。ありがとうでもこんにちはでもさようならでも、ちょっと礼儀正しく言うときは合掌してる。
とてもわかりやすい。

お昼は、午前仕事に出ていたホストが一度お家に帰ってきて、一緒にマザーがつくったお昼を食べようとした。
けど、私はどうにもお腹が空かなくて食べれず。
ホストが食べている間ただおしゃべりをした。
カンボジア人の働き方や生活について教えてくれて、
私も自分の国内旅の話をしたりした。

午後は、自力で自転車使ってスクールに行った。
授業が始まるまではまたひたすら先生たちとおしゃべり。
日本のアニメや映画の話をした。
何かクラスでできそうなゲームない?て聞かれて、
”猛獣狩り行こうよ”を説明しようとした。
でもなかなか伝わらなくて。とりあえず何か考えといてって言われた。
ここらへんから、英語で話すことへの抵抗がだんだんと薄れてきた感覚があった。
英語力が上がったわけじゃないんだけど、一度で伝わらなくても頑張って伝えようと文法とか気にせず言葉を重ねるようになった。

そしてこの日は、ついに授業に参加した。
参加したのは、小学生のクラス。
5歳から12歳ぐらいのこどもたちが10人ほどのクラスだった。
アルファベットを一文字ずつ教えていて、この日は最後のWの回だった。

私の自己紹介をし、みんなの自己紹介をしてもらったあとは、
Wの書き方を教え、ひとりずつ黒板にWを書いてもらった。
初手から、私に授業を進めさせようとする先生。
「自己紹介して」「自己紹介させて」「W書かせて」と都度都度横から指示をくれた。

こどもたちに囲まれ質問攻めの休憩時間を終えると、次は2限目。
同じクラス相手に、今度は各アルファベットを使った単語を唱えていった。
Aa is for apple.
Bb is for ball.



て感じで。

それが終わると先生に、「何かゲームやって」と言われる。
や、確かに授業前聞かれたけども。無理やで!?と思いながら、
head, sholders, knees and toes、、、のあの歌をみんなで歌った。
渾身の歌は、数分で虚しくも終わってしまった。

次に、タケノコニョッキをやってみた。
うまく説明できなくてルールが伝わらなかったけど、
数字を英語で言う練習的な何かになった。
これも数分で終わってしまった。

本格的にネタがつき、
残りの時間は先生がいくつかやってくれた。

子どもたちはかわいかったし、私もできないなりに頑張った。
けど、私にとって地獄のような時間だった。

教官室に戻ると、疲れ果てた様子の私を見かねたのか、次の時間はここで休んでていいよと言ってくれた。

机に伏せて休んでたら、
「なんかもう無理だ」となって泣けてきてしまった。
「体調悪いことにしたら休めるかな」という悪魔の囁きが聞こえてきた。

様子のおかしい私に気づいてくれた先生に、
「ごめん、体調が悪いから一旦ホストの家に帰ってもいいかな?」
と私は告げた。

不思議なことに、口にすると本当に体調が悪いような気分になってきた。
優しい先生がとても心配してくれて、家までついてきて面倒を見てくれた。
ホストも、英語を話せないマザーも、みんな心配してくれた。

ただただ、申し訳なかった。
自分より前に来てたボランティアの存在を知っていてる分、とにかく不甲斐なかった。
でも、どうにもできなかった。
これ以上授業をすると思うと吐き気が止まらなかった。

ひとりで部屋に閉じこもって、日本のYouTube見て漫画を読んで過ごすと、安心できて調子も良くなった。

でも、完全に糸が切れてしまっていた。
これ以上続けるのは不可能だと心が言っていた。
頭の中は、いかにここを抜け出すかでいっぱいだった。

再び日本の友達に電話しながら、号泣した。

6/14 脱出

周りの物音でよく眠れないまま、朝を迎えた。
体調は、そこまで悪くなかった。
でも、メンタルがしんどいから帰りたいって言って「大丈夫だよ」と説得されることが怖くて、正直に言えなかった。
だから、吐き気がしてくるまで意図的に自分を精神的に追い込んで、体調を悪化させた。

一旦、エアコンつきのきれいな部屋でひとりで休みたいと申し出た。
本当にみんな優しくて、Bossの家なら街にあってエアコンもあって、英語話せる妻が看病もしてくれるからそっちにしなって言われた。
でもどうしてもひとりにしてほしいとお願いして、ホテルに泊まることにした。

ひとりになると、だんだんと自分が回復していくのを感じた。
やっぱり、ボランティアを続けることはもう不可能だと悟った。

夜、ホストにメッセージをした。
体調は回復しそうな感じだけど、メンタルがやられてもう無理だと。
チャット上ならまだ、伝えることができた。

I respet your dicision.
と返ってきて、安心した。

6/15 優しい世界と嘆き

朝、ホストからメッセージがきた。
優しさが溢れるメッセージだった。
私は、涙が止まらなかった。

つらいと認めることも、
弱い自分を受け入れることも、
逃げることも、
もうできると思ってた。

できてるんだけど、
でもやっぱりそれは、
痛みや悲しみを伴うものだった。
ちょっとぐらいのストレス楽しめる自分でありたかったし、
優しい現地のみんなと一緒にすごせる自分でありたかった。

みんな本当に優しくて親切で、たくさんのメッセージをくれた。
優しさに触れる度に、涙が溢れてきた。

この日のうちに、バスをとってシェムリアップへと戻った。
途中休憩で寄った売店でおばちゃんにもらったフルーツがアリだらけで大惨事になった。

予定を繰り上げて次はベトナムに行こうと思い、数日後のベトナム行きの飛行機ももうこの日にとってしまった。

あ、あと夜ご飯に食べた生コショウとイカの炒め物が抜群においしかった。

6/16 休息

少し課金して個室に泊まった。
思う存分ごろごろしてすごし、だんだんと回復をしてきた。

カンボジアに来てから1日2食しか食べられなかったご飯が、3食食べられるようになった。
ここの土地の空気に、ようやく少し馴染んできた感覚があった。

元気になってきたら、
ただメジャーな観光地にいくだけじゃ物足りないと感じてる自分がいた。
この頃から、「観光って何?」「私の好きな旅って何?」と頭を悩ませ始める。

夕飯は、クメール料理のロックラック(牛肉の甘辛味ステーキ)とアンコールビールを楽しんだ。カンボジアに来て最も幸せを感じた時間だった。

6/17 アンコールワット

アンコールワットのサンライズツアーに参加した。
曇っていて朝日を拝むことはできなかったが、なかなか楽しいツアーだった。
遠い地の昔の知らない人たちの王朝というのはあまりにも自分からの距離が遠くて難しかったが、外国人だらけの中でひとりの外国人として英語のガイドになんとかついていけてる自分が嬉しかった。

それと後から気づいたけど、このときのガイドさんは、空気のつくりかたとか説明とかが本当に上手だった。

Chong’s Family!

6/18 ボランティア仲間と

色々相談に乗ってもらっていたボランティアの先輩がいるカフェに行った。
そしたらなんと、NICEのぼらいやーやってる女の子も同じタイミングで来店。

奇跡的なタイミングにテンションがあがり、
すっかり話し込んでしまった。

ワークキャンプを1日半で辞退した私が、ワークキャンプとか中長期ボランティアをして渡り歩いているおふたりと話すのは少し気が引けていたのだが、話すうちにその緊張が解けていき、とても楽しい時間だった。

GOEN COFFEE

彼女もこのnote読んでる可能性があるのでちょっと気恥ずかしいけど、私は彼女のことが本当にすごいと思った。初対面の人の話をそんなに興味をもって聞けて、リアクションもできて、第一印象でもう圧倒的に人から好かれるタイプ。カウチサーフィンをよく使ってることも、私からしたら信じられないコミュニケーション力とバイタリティだった。

けどきっとタイプの違いなんだな、ということも同時に感じていて。
私もわりかしアクティブと言われる類いではあるけども、得意なのはプロジェクト系を着実に進めるサポートだったり、時間をかけて関係性を積み重ねること。一発でフレンドリーに接するのは、私の苦手分野。

あと私は、できないことでも頑張ってチャレンジするというのができない。
できない状態の自分への耐久性がなさすぎる。
だからきっと、これからもひたすらに、半歩分の挑戦を繰り返していこう。

最後に

そんなこんなで、私のnote史上最も長文ができあがりました。
ここまで読んでくれた方がいたら、ありがとうございます。

挫折物語とは言ったものの、失敗したとはあまり思っていなくて。
もちろん、いろんな人にご心配ご迷惑をおかけしたことは申し訳なく感じているけども、ただ壁にぶつかってだめだっただけ。
トライしてみたから出せた結果。
全てが、行ってみたからこそわかる感覚だった。
大事にしていきたいと思う。

さて、次回はベトナム編。
再び体調崩します。笑

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