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決断
僕の記憶が正しければ、小学生の思い出のなかで修学旅行は最も楽しかった学校行事だった。(気がする)
気がする、と付け加えたのは37年前の記憶なんて曖昧なものだと気づいたからだ。いや、気づかされたのだ。
確かに、楽しかった。でも映像が浮かんでこない。
2泊3日の修学旅行は函館で、いろんな主要観光地へ行った。がしかし、函館山の夜景も、展望台から眺める五稜郭の形も、洋風な建物や急な坂も、レンガ倉庫で買ったお土産も、海の匂いも、何を食べたかも、クラスの誰と一緒の班だったかも思い出せない。
すべてはモザイクがかかったはっきりしない記憶でしかない。果たして修学旅行は本当に楽しかったのだろうか。先述したように“正しければ”と書いたのは、どこか模範解答のように「思い出第1位はやっぱり修学旅行だよね」と主張したいだけじゃないかと気づいたからだ。
そのことに気づかせてくれたのは、娘だった。
娘は小学6年生で今年の6月に函館修学旅行が予定されている。コロナ禍での修学旅行とあり、いまは家族の同意書がいる。てっきり行くものだと締め切り前日の同意書を読みながら娘に聞いてみた。
「修学旅行、行くよね?」
返事が返ってこない。最初は行きたくないなどあり得ないと思い込んでいた僕は不思議に思った。ひとつ間を置いて首を傾げながら娘が重い口を開いた。
「コロナが、怖い」
一瞬、空気が張りつめた。僕も妻も状況を飲み込むのに少し時間がかかったが丁寧に聞き返した。
「コロナ怖いよな。でも後悔しない?」
「だって、コロナになったら、いやだもん」
「そうだけど、みんなと楽しい思い出つくれないよ?」
「いいよ、あとで聞くから」
淡々と発する娘に若干押され気味になる。最初はクラスで何かあったのではないかと心配になり、問いかけたが違うようだ。何度も何度も聞くうちに娘の意思はかたく、尊重しなきゃなと思うようになっていった。
いままで自分から決断して行動を起こすことはなかった娘が、自ら選択して決断したことに驚きを隠せなかった。
いま思えば恥ずかしい言動は僕の方だと気づいた。修学旅行は行くことを前提で考えていた。押し付けがましい自分に腹が立った。
僕は同意書に「参加しません」のところへマルをして認印を押した。そして、コロナが終息したら家族で旅行にいく約束を交わした。
*
翌日、担任の先生から電話があった。もちろん修学旅行の件だ。クラスで参加しないのは娘だけだと告げられ、その日に班決めがあったのでクラスメイトには行かないことを話さず、班に入ってもらったと先生から聞かされた。娘の気持ちはどんなだっただろう?
コロナの心配を拭うように、感染防止対策するから大丈夫だよと2人で話し合ったらしい。先生からすればクラスメイト全員で修学旅行という思い出を共有させたいのが本心だろう。だから説得は当然のことだ。もちろん100%コロナにかからないとは言い切れない。正解はないのだ。
その夜、娘に先生とどんなことを話したか聞いてみた。先生の説得がどのような感じだったかは知る由もないが、娘も少しづつ不安から解消されていったようだ。
本人(娘)が納得して行くならいいんじゃない。と言うと、小声で「行く」と言った。
この件について思うことが幾つかある。
1 コロナ禍での修学旅行の選択は自由である。
2 弱者の意見を尊重し、強制はあってはならない。
3 修学旅行の新しい形を考える。(多様な学び)
今回の件で選択の自由をまざまざに感じたのは言うまでもない。人生には幾つもの選択肢があり、自分で決断しなければならない時がある。特にコロナ禍になってからの選択肢は増えた。
そんな帰路に立ったとき、自分自身の意思を忘れないでほしい。且つ、大人の事情で強制的に決定してはならないし、小さな意見を吸い上げる教育が必要だ。
修学旅行の新しい形を模索するとき、場所に特定してはならない。そもそもクラスの仲間と楽しむ時間を共有するのが目的だ。リアルであろうがバーチャルであろうが、その土地の歴史や文化を学ぶ機会を増やすことが先決で、各自治体は地域の魅力をプロモーションし、観光地だけではない物語を創造するべきだ。そうすれば地域創生と修学旅行のマッチングも可能ではないかと思う。
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