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未来につながる「点」を探して、けれども「本質」は変わらない。という話

人生のおりかえし地点は何歳だろう。

人ってやつは何歳で死ぬかなんてわからない。だけど生きている以上、死に向かって生きていると言ってもいい。

生まれた時代がどうこうとかじゃなくて、生まれてから死ぬまでが、その人の時代であり、歴史になる。

現在を生きている僕らにとって「今」があるのだけど、これまで生きてきた時間のなかで要所要所、経験値がつまれてきた。それが「点」だと思う。

その「点」と「点」をつなぎ、次の「点」はどこにあるのか考えるのが「今」だろうなと。

まあ、あたりまえのことといえばそうなんだけど、歴史をふりかえってみれば、おりかえし地点はすでに過ぎたかな。なんて思いながら、次の着地点がうっすらみえてくる気がする。

時代は変えられないから、時代によせていかなきゃならない。それはときに残酷かもしれないが、自分を変えたきゃ、時間や場所や人間さえも選んで変えなきゃならないときもある。

今まさにあたらしい「点」をみつけるチャンスだと、動きだすにはちょうどいい頃あいなのかもしれない。

亡くなった父は印刷業をしていて、小さい頃からちょくちょく顔を出させてもらっていた。インキの匂いが染みついた工場は暗く、ちょっと怪しげな雰囲気がある。

汚れた作業着に身をまとった職人の大人たちがかっこよくみえた。大きな印刷機を回すすがたは海賊船を指揮するジャック・スパロウのようだ。

誰もいない休日の現場に刷り上がった印刷物をみたとき、ゾクゾクしたことを覚えている。それが本との出会いだった気がする。本一冊をつくるために、こんなに人が携わっていることをはじめて知った。

そんな環境で育った僕は、自然と「本」が好きになっていく。

いつしか僕も父の会社で働くようになった。本を読むことから、本をつくる側へと変わったことは自然なことだった。本当に感謝している。

これからの未来、たくさんの変化があるのはわかる。きっと形も変わっていくだろう。でも、自分のなかにある「本質」はそんなに変わらない気がしている。

僕らは、過去も今も未来も「点」と「点」をつなげることで生きている。無駄なことな何一つない。ひとつひとつの経験がいつかはつながる。

あたらしい「点」すなわち「経験」は、どんどん僕を変えていくだろう。けれども「本質」は変わらない。それは僕にとって大きな意味での「本づくり」だということ。

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