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銭湯の起源は卑弥呼の時代から?

魏志倭人伝に描かれた日本風呂文化の前身となった慣習

一般的には江戸時代に普及したと言われている銭湯ですが、その起源は、3世紀、卑弥呼の時代まで遡ることができます。
3世紀ごろの日本を描いた「魏志倭人伝」には、神に祈りを捧げるときに髪と身体を洗い身を清める行為「禊(みそぎ)」の姿が描かれています。
魏志倭人伝といえば、卑弥呼の時代ですね。
銭湯のようなお風呂文化は、こうした文化的背景があったからこそ、日本人に浸透したと考えることができます。

仏教文化と公衆浴場

その後、日本に仏教が伝わり、聖徳太子が仏教による安定した政治を行う中で、公衆浴場の前身となる文化が登場します。
聖徳太子は、天皇を中心とする中央集権国家形成のため、規模の大きな寺院をいくつも建立しました。
仏教経典の「温室経」には、入浴に必要な七物を整えると七病を除去し七福を得られる、神仏に祈る前に水を浴びて心身を清めよと記されており、その教えに基づき、寺院の中に「浴室」または「温室」が必ず設けられました。
浴室は湯槽のある部屋で、温室は現代のサウナのような部屋です。
浴室は、当初は僧侶が身を清める場所として使われましたが、次第に法会に集まった民衆にも使われるようになりました。
人々は、川や海での水浴よりも爽快で、病も回復しやすいと知り、利用を熱望した結果、寺院の浴室や温室を民衆に無料で開放する「施浴(寺湯)」が始まりました。
奈良時代の光明皇后が寺院の温室で1000人の身体を洗ったという逸話もあります。
これが公衆浴場の起源です。
奈良時代に建立された東大寺には、「大湯屋」という施設が残っており、施浴に使われていた浴槽が現存しています。

東大寺大湯屋

町銭湯の登場と武士への広がり

平安時代末期には、寺院ではなく町なかに湯屋が登場したと言われています。
平安時代に書かれた書物に「湯浴み」という言葉が登場しており、この頃から京都の町なかに銭湯があったと考えられます。
鎌倉時代にも、施浴は続き、各地に広がっていきました。
そのうち、寺院の負担が大きくなったためか、有料化されるようになりました。
鎌倉時代までは、施浴はあくまでも仏教に紐付いたものであり、心身を清める目的で行われていましたが、安土桃山時代には娯楽的な目的でも使われるようになってきました。
宮中や上流公家、武将の屋敷にも温室が作られるようになります。
秀吉が建てた京都の西本願寺飛雲閣にある黄鶴台の浴室に蒸し風呂が付いています。

参考文献:銭湯検定公式テキスト

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