ここで学んでいくこと

素直に言葉にすること
伝えていくこと

特に「嬉しい〜」や「私それやりたいです!」はどんどん口に出していったほうがいい。口に出さなくても、心ではそう思っているのかもしれない。なかには、そう思っていない人もいる。そうすると、側から見れば口に出さない人はみんな同じなんだ。「あの子はああいう性格だからさ、口には出さないけどほらあの表情、口角が少し上がってさ、きっと喜んでいるんだろう」察してくれる人もいるかもしれない。それでも全部が全部察せられるわけではないし、そもそも察するというのは心労する作業だ。察してくれる人間に甘えてばかりでは、自分の人生を人に任せて放棄していることに近いのではないか。いつまでもその人が察してくれるとは限らないよ。幼い頃はまだ自分の気持ちを言葉で上手に表現できないから、それを理解して表情や態度、言葉の裏にある気持ちを読み取って接してくれる大人はたくさんいるだろう。歳を重ね、色々な経験を積んで、大人になったとき、自分のことは自分でできるようになる。自分の言動は自分で責任を負うようになる。周りの人と自分は違う人間であり、「私はこうして思っているのだからあの人もそうでしょ?」などという傲慢さは通用しなくなる。

自分の気持ちは自分で守るしかないのだ。

時はとめどなく流れていくから、今感じた思いは自分で受け止め理解して考え人に伝えるというところまで瞬時に行う必要がある。「まあー今言わなくても誰かがまた聞いてくれるでしょー」とか「また今度話が出たら言ってみてもいいかな」とかゆっくり時間を眺めてるうちに、本当に大切にしたいものたちはあっという間に他の人の手へ渡っていく。あの人の心は移ろいでいく。時は人の心は待ってはくれない。じっくりと考えることを否定しているわけではない。でも、「感じる-考える-行動する」は途中で終わっちゃ、なかったことになっちゃうよということ。大きな事象を想像しなくていい。

お昼時、どこのお店に行こうかと友達と話している。スマホの画面でオムライスのお店が目に入る。おいしそう(感じる)。このオムライス食べたいなここから歩いていけるな行けそうだ(考える)。「ねえここのオムライスおいしそうじゃない?行きたい!」と友達に伝える(行動する)。とってもシンプルな日常の中で行われるサイクルだ。このとき「感じる-考える-行動する」を途中でやめていたら、オムライスが食べられないただそれだけだ。他の場面ではそれだけでは済まないこともあるかもしれない。心がしゅんと萎んで、ひりひりと傷むような感覚が残る結果があるかもしれない。

後悔のないように生きたい。

伝えることが苦手な人は毎日後悔ばかりではないのかな。普通に疑問。大丈夫なのかしら?普通に心配。もっと色々言っちゃえばいいのに。簡単ではないのだろうな。全部言わなくてもいい。ここぞというときに伝えられる人であれたらいいなと思う。あなたの周りの人たちはあなたの言葉を声をきっと待っているよ。

自分の感受性くらい 自分で守れ ばかものよ

茨木のり子

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