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分娩32時間の格闘。


出産時の記録。
ずっと、ちゃんとした形にして振り返りがしたかったのだけど、なかなか振り返れずにいるうちにもう息子は1歳8ヶ月になっていた...。
当時のメモをもとに思い出してみる。


臨月。

熟睡できない日が続いていた。
お腹が大きくなりすぎて、寝返りがうてない。何度も起きてしまう。妊娠してからの体重増加は10kgぐらいが目安のところ、17kgも太ってしまったから、それも理由かもしれない。
今考えると、本気で「寝れるだけ寝ておいてよ!」「体力つけておいてよ!」と、思う。

陣痛がきた日のこと。(1日目)

0:00 
おしるし(出血)がきた。
すでに40週。予定日を迎えていたので「ついにきた」という気持ち。

4:00 
お腹が痛くて起きる。起きたついでに楽しみにしていたNiziプロジェクトの最終メンバー発表を最速で観る。(余談。)

7:00 
お腹が痛い。陣痛アプリで痛みの間隔を測ってみる。10分〜30分とかまちまち。まだ陣痛は来ないのか...。

10:00 
痛みが引き始めた。朝も早かったし、寝れるうちに昼寝しておこうと思う。

19:00 
また痛みはじめる。間隔を測るけどまだ10分を切らない。「10分を切ったら連絡して」と病院に言われているのでそわそわ。

21:00 
痛みの間隔が10分を切りはじめる。
お風呂に入っておく。このままだと夜中入院...?焦る。

23:00
痛い。7分間隔くらいになった。
妊婦健診は翌日。翌日まで待つか、迷う。


入院した日のこと。(2日目)



2:00 
陣痛の間隔が7分になり痛みも増してきたので病院に連絡。
親に送ってもらい、夜中に入院することに。(里帰りのため、夫はいない。)
コロナ禍で立ち会い・面会禁止のため、ここでお別れ。まだ子宮口2センチで愕然。


9:00 
結局陣痛間隔5分のまま進まず、寝れずに朝を迎える。子宮口はまだ3センチ。愕然。
「初産婦は時間がかかるから!今日夕方〜夜に生まれれるといいね。」と言われる。

18:00 
体勢を変えたり、助産師さんがついて色々してくれたが、お産は一向に進まず夜になる。全く寝ていないので体力はすでに限界。
陣痛の間の5分間で寝ることに集中。
分娩室から一度個室へ移動する。痛みに耐えつつ、シャワーをあびる。(夏だし、汗だく。)


21:00 
夫と親に現状を連絡。
陣痛に耐えつつ、必死で自分で自分の腰をさする状況が最高に寂しい上に、上手に産んであげられないことが悔しくてひとり個室で泣く。

生まれた日のこと。(三日目)

2:00 
自分で腰をさすりながら痛みに耐えていたが、限界を迎える。

“これは尾てい骨が折れてるのでは?”と思い始める。(助産師さんには折れていないと言われた。)

破水をしていたっぽい?のでまた分娩室にいく。
まだ子宮口が4センチで、早くて産まれるのは昼と言われ、メンタルが完全崩壊する。(何度目?笑)

日曜の夜中なので病院も人手が足りないのか、ちょいちょい助産師さんがいなくなる。
精神崩壊しすぎてすぐナースコールで呼びもどす。(迷惑。笑)


〜ここから時間を見る余裕も、陣痛間隔を測る余裕もなくなる〜



骨折してると思っている尾てい骨が痛すぎて、「もう無理です〜できません〜」と泣き叫ぶ。(多分朝方。)

「でもねー、チヒヲさんしか産めないんだよ〜。」と、助産師さんに冷静に言われる。
全くその通りでぐうの音もでない。


多分子宮口7センチになる。「いきんでいいよ」と言われた気がする。必死でいきむがもう体力が限界で多分いきめてない。 

この間、痛いーとか、なんやかんや叫んでたと思うが、残念ながら今となっては全く思い出すことができない。断片的な記憶。

声を出さずに静かに産みたい...と思っていたけど全くそれどころではない。何でも良い。


へとへとになり、酸素マスクをつけられる。
赤ちゃんの心拍が、弱くなってしまったらしく、吸引分娩になる。

吸引分娩とは、カップを赤ちゃんの頭に当て、カップ内の空気を抜き、吸引力によって赤ちゃんをひっぱり出す分娩法。(文字にするとびっくりするぐらい原始的な方法だな...。)

吸引分娩をするためにはある程度大きく会陰切開する必要があるとのことで、局部麻酔をして会陰切開する。
痛かったかもしれないけど、振り返るとこのときの痛みは全く覚えてない。



7:12
産まれた。

産まれた喜びと開放された安堵で一回無になる。

つづく...。



※ここまで読んでくださった方、本当にありがとうございます...。

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