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バングラ生活、この半年のこと

こんにちは、千尋です。

なんか最近「いつnote更新するの?(血眼)」という愛の圧力が各方面からかかってきたのでそろそろ書こうと思います。2ヶ月もサボっててごめんなさい(微汗)

正直なところ、1月後半から2月下旬まで、非常に精神的にも肉体的にもきつい時期を過ごしておりました。バイタリティだけが取り柄のような私でも、よく体調を壊し、その割にただただ多忙という時期でした。(今は無事元気してます、アリガト)

仕事の傍ら、オンラインで進めていた大学の研究や授業なども一通り終わり、無事卒業することになりました。ありがとう、親、友人、先生方。最後に神大の綺麗なキャンパスに顔出したかったです。(結構普通に寂しい、笑)あとイギリスの大学院進学が決まった。これはまた今度noteにでも。いろんなことが一気に起こりすぎて全く頭がついてきてないです。まあとりあえず生きてりゃいい。

それで今回は、バングラデシュに来て、もうすぐ半年を迎えるので、この半年間のことを雑多にかけたらいいなと思います。(ほとんど仕事のこと書くかもしらん)

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喜怒哀楽でバングラを知る

バングラに来たのは10月の半ばでしたが、最初の3ヶ月程はバングラデシュの文化や人、環境に慣れていくので精一杯だったな、と思います。いつも必死で慣れようと、いろんな人や物を徹底的に観察してたのを覚えてます。バングラ人の話し方とか表情とか。街の匂いも、人の熱気も、油っこくて辛い味付けも、全て新鮮で全て楽しいと思いました。

いろんな衝撃も沢山ありました。当時は毎日物乞いの風景に心痛めていて、日記には、おばあちゃんにお金を渡したものの、向かいに座ってたおじいちゃんに渡せなかったことや、子供にお菓子を渡したら次の日もその次の日も来たから渡さなくなったこと、そして子供が悲しい顔をするのを見て、ひどく自分を無責任な人間に感じたことなどが丁寧に書いてあって、ちょっと今笑うてしまうくらい正直だった。

許せないと感じたこと、どうしてこうなるのだろう?という思ったこと、でも仕方ないのかと諦めたこと。途上国には慣れているはずなのに、喜怒哀楽以外にも、初めて出会う沢山の感情でいっぱいいっぱいでした。最初は、誰に悩みや本音を言っていいのか分からず(というかわかってもらえないだろうな、と勝手にこちらで諦めて)沢山溜め込んでいたなと思います。総じて、バングラデシュという国に慣れていくまで、沢山怒られて、沢山慰められて、その都度いろんな新しいことを学びました。

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仕事が好きだな〜と思った

仕事面でも、いろんな成長があったと思います。日本ですら就職したこともないのに、突然海外の企業に入って、現地の人との人間関係を構築し事業を進めていくというのは、なかなかに大変なスタートでした。唯一の日本人インターンということで、皆さんとても優しくしてくれますが、仕事の成果については非常にシビアにジャッジされるので、常に緊張もしていて毎日家に帰ってすぐ爆睡するくらい疲れてました(笑)

私はどこまで行っても働くのが好きなんだな、と思いました。日本でもそうだったけど、「何もしていないことが怖い」という典型的な生き急ぎ妖怪。でもなんでもするんではなく、やりたいと思える仕事に出会えていることはとても有難いことだなと思います。仕事がうまくいかず、自分が未熟な事を痛感するたびに、情けないことによく泣いていたけど、その度に、あ〜頑張るのが好きなんだなあ、とぼそ〜〜っと思いました。(こういう人が日本で働くと、きっと社畜まっしぐら棺桶)

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橋の苦悩を知る

現地企業で働いていてよくぶち当たる壁が、ビジネスおける日本とバングラデシュの価値観の違いです。バングラデシュでアパレルブランドを立ち上げた方がおっしゃっていたことですが、日本人はまず「相手を信じ敬う」ことから始まるに対し、バングラデシュ人はまず「相手を信じない」ところから始まるそう。(これはもちろん人によるかとは思いますが、傾向として一理あると感じます)思えば、バングラデシュでは、学歴(と職歴)を日本以上に非常に大事にします。どんなバックグラウンドを持っている人なのか、まず信頼できる人なのかを判断し、相手からも信頼を獲得する。それが全てのスタートです。市場参入にももちろん「信頼と実績」は絶対条件になるというのです。

私が現在、着手しているグローバルな教育サービスも、今後のビジネス戦略について、ついこないだもなっが〜〜〜い議論をしていました。特定の需要を徹底的に探り当て、慎重に勝ち戦略を立てたい日本側の意向と、サービスを大量に無料配布してから需要を作りだし、徐々に市場を成長させていく現地パートナー側の意見。議論中は白熱して、理詰めしてしまったりして申し訳なかったなとも思いつつ、後で考えてみればとても面白い議論だったと思いました。これからもこんな場面に沢山ぶつかっていくのだろうと思うと、冷静な頭を鍛えていこーと思いました。(難しいよね)

総じてこの半年は、日本とバングラデシュの間に立って、事業を進める難しさとチャレンジの機会を存分に経験しました。橋になることは誰でもできることじゃないけど、少なくとも現地パートナーのいいところを誰よりも知っている人、と胸を張って言えるくらいになりたいです。そのためにも、現地の考え方を尊重し、動きに寄り添いつつ、冷静な戦略的思考を大切にしていたいところです。

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もっとバングラを知ってほしい

最近考えてることです。とてもシンプル。果たしてどれくらいの日本人が、しっかりバングラデシュを知っているのだろう、と思うわけです。

実は私が初めてバングラデシュの人に出会ったのは、小学校の時。クラスに2人、バングラデシュの女の子がいて、よく一緒に遊んでました。こっちにきて知ったんですが、地元の岡山はバングラデシュとさまざまな繋がりがあるそう。でもそれを知っている人はとても少ないと思う。

バングラデシュは、超がつくほどの親日国。こちらでも、日本人だというととても喜ばれるし、もちろんアニメも人気です。バングラの東大と言われるDhaka大学には、数年前に「日本語学科」が設立され、日本への留学生や技能実習生も年々増えています。日本からの大規模な開発援助協力は、目覚ましい経済成長を遂げるバングラデシュの開発を下支えしています。長い友好の歴史もあって、バングラデシュにとって日本という国は、古くから最大の信頼をおく友人なのです。

先日、バングラと日本をつなぐ教育事業の式典に参加しました。そこに集まった数十人のバングラデシュの学生や社会人は、日本の高校生の英語添削を行なっている先生達でした。彼らの丁寧な添削作業と、その素晴らしい功績もさることながら、日本の文化をもっと知っていこうという意欲に感銘を受けました。ゲストで来ていた日本大使が、彼らを「Ambassador of Friendship」と呼んでいたのも印象的で、私もそれと同時に、バングラデシュの魅力をもっと日本の人に伝えたいと感じたわけです。

こうやってnoteに書いて誰かが読んでくれるのでも、十分です。(というかこんなに長いのにここまで読んでくれるとか愛。シェイシェイ🙏)あ、先日はオンライン留学プログラムっていうので、日本の学生さん達にバングラデシュの様子を紹介できました、嬉。こういう機会を自分からも、もっと作っていきたいなと感じます。


ということで、今日はここまでです。書くのが疲れたので(笑)思いついたことばかり雑多に書いちゃったけど、ここまで読んでくれてありがとうございました。少しづつバングラデシュの血と魂が(言い方。)流れてきてると思いますけど、これからもどうぞご贔屓に〜〜〜。


またnote更新するのでお待ちお待ち!


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