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街と家族と、本と

そもそもというもの、私の覚えている日本の光景が丸々1年前で止まっていて、久々に街に出た時、流行りがよくわからなかった。なんせ灼熱のバングラでは普段はもうサロワカミューズを着る一択で、同じ形のものを探しては柄違いや色違いを買って楽しむで十分だったのに、日本の商店街に行ったらいろんな種類の服があって、どうしようかと思った。街には、全体的にちょっと平成ポップな服装をしている人が増えた気がした。まだ少し暑さが残る時期だからと、短いトップスを着て、ハイカットのスニーカーを履くと、バングラで消失していた開放感と大胆さが少し戻ってきて嬉しくなった。またこれも自分だと思った。

どこに行っても懐かしく、そのままで、同じ匂いがしていて、同じ人がいた。少しだけ変わったこともあったけど、一年なんて大したものではないなと思った。

一年前、「しんどくなったら帰ってきなさい」と言われたのを、何度も向こうで反芻するくらい苦しい時期もあったけど、とにかく粘った。こうして帰ってきて、ああ懐かしいと思えているのは、頑張った証拠だと思う。

岡山に帰った。こんなに人が少なかったかと思った。実家に帰ったら歩き疲れた私の足に、母が湿布を貼り続けていた。むくみでパンパンになっている私の足を見て「これ糖尿病ちゃうん」と大騒ぎし、病院に連れていかれそうになった。よくそんな心配性で娘をバングラに送り出せるなと感心した。コテコテの関西弁と、ドスのきいたツッコミ。私の中にある毒舌は100%この人からもらっている。普段、涙が出るくらい爆笑するのは大抵母と話している時。人間界で一番面白い人やと思う。

父は、娘の帰国と同時期に、グアテマラに出張ということで、私のスーツケースの横にまた別のスーツケースを広げてせっせと準備していた。家がスーツケースまみれになった。久々の海外を、非常に楽しみにしている。思えば、私の性格は一番父に似ている。頑固でいつも自分の時空間を生きているタイプ。なんとなく、自分というものと外とをキッパリと分けている感じがする。そんな父の料理が食べられたことだけでも、本当に日本に帰ってきてよかったと思う。まさかの日本にいた3週間で4キロ太った。

大学生の妹が、必要以上にいい格好をして、ピオーネと桃と一緒に帰ってきたので、一発でいいバイトをしていると思った。聞けば、お金持ちの家庭教師をしているらしい。素晴らしい。安定志向で慎重な妹は、親に怒られることもほとんどなく、小さい時はよく羨ましく思っていた。けど正直妹は、根っからの変人だと思う。そもそもLINEのトプ画が、ここ5年ずっと若い頃の銀シャリの宣材写真のまま。もう鰻が鰻じゃない時のやつ。毎度、内なる狂乱を感じる。その独特なセンスがまた味があって良いなと思う。

そもそもここ数年は神戸に下宿していたし、そんなに実家に頻繁に帰る人間ではなかったけれど、実家はやはり特別だった。ずっと実家に入り浸ったわけでもなかったが、何者でもなく受け入れてもらえる場所があって強い安心感に包まれた。どんな場所に行こうとも、誰と一緒にいようとも、結局は急がなくていい、と言ってくれる人がいる場所を大切にしたい。分かってはいるものの、どうも忙しなくなってしまう自分だからこそ、そういう人や場所が必要だと思う。

神戸でいい気持ちに酔っ払った帰り、外気が少し寒かったのでやたら目が覚め、ホテルに帰って昔好きだった短編を読んだ。現実と非現実の混ざり合う繊細な物語、その独特な世界観がとっても好きだったのに、今読んでみたら、何がいいのかさっぱり分からなかった。なんか小難しいことが書いてあって、どうも以前感じた脆さとか緊張とか、じめっとした後味を感じなかった。仕方ないとはわかっていても、それはそれで悲しい。自分は変化するものだから、二度目がいつもいいとは限らない。

久々に人に会うと、感じることがたくさんある。ああ、この人はこういうこと言うようになったんだな、この人のこういうところが好きだったんだよな、とか。そういう改めて気づくことが、これまた楽しかったりする。次はどんなふうに感じるだろう。

もうそろそろ描き終えたいところだが、今空港に座って、なぜか緊張で吐きそうになっている。バングラの時もそうだったけど、普段は死ななければいいというスタンスなのに、いつも気づいたら急にナーバスになっている。何度も経験したはずなのに、やはり自分のコンフォートゾーンを抜けるというのは、本当に体力がいる。纏うレッテルもなく、素っ裸をジャッジされ続けることに了解して、受け入れなくてはいけない。でもそれを超えて、やっとまた新しい自分がそこにいると思うと少しやる気が出る。やっぱそうだな、死ななければそれでいい。飛行機が来たので、ゆく。


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