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「これからの生き方図鑑」を読んで

樺沢紫苑先生の新刊「精神科医がすすめる これからの生き方図鑑」が発売された。
手に取って早速読み始めようと思ったが、まずその分厚さに驚いてしまった。

さすが、「図鑑」とタイトルに書かれているだけのことはある。

樺沢先生のいままでの本に書かれてきた内容に、さらにこれからの時代を「幸せに生きていく」ための実生活に役立つエビデンスと具体的なノウハウがどーんと詰めこまれた書籍だ。

ただ幸福になるためのテクニックを並べた本ではなく、幸福を得るためには心の在り方や生活のあり方を変える必要があるという視点が明確に示されている。

気になったところから読むことができる、生き方の提言の宝石箱!
まさに「図鑑」なのだ。

「はじめに」には、こう書いてある。

あなたは今幸せな人生を送っていますか?
自分らしく生きていますか?
毎日が楽しいですか?
いつも笑顔でいられますか?
「いいえ。 幸せじゃないし、 自分らしくもない。毎日が辛い、 苦しい。 最後に笑ったのがいつか思い出せない ……」
そう、答えたあなた、「今の生き方を変えたい」と思いませんか?

「今の生き方を変えたい」と思いませんか?

その問いは、私の記憶が過去に遡らせた。

「生き方を変えたい」
それは、私が強烈に渇望していたことだった。


7年前、私は病室にいた。
とある手術をして、2週間入院生活を送っていた。
大病ではなかったが、命に係わる病気ではなく、そのまま退院できる予定だった。

当時、私はこの状態だった。

「幸せじゃないし、 自分らしくもない。毎日が辛い、 苦しい。 最後に笑ったのがいつか思い出せない ……」


夫との関係も冷え切っていて、いつ離婚してもおかしくない状態だった。
そして、仕事といえば、お金を稼ぐための義務であった。

生きては、いた。

けれど、生きているのが楽しいと思ったことは、ほとんどなかった。

ただ、命があるから生きている……
なんのために自分は生きているのだろう
生きていていいのだろうか

日々、自問自答を繰り返す日々だった。

やがて退院まで2日になったとき、思いがけないことが起きた。

発熱したのだ。

どうやら術後の状態が悪く、手術した場所が化膿している可能性があるとのことだった。

退院は延期された。
抗生物質が投与された。
しかし、1週間、2週間投与されても、熱は下がらなかった。

「3日、抗生物質が効かなかったら、もう一度傷口を切開して処置をしましょう」

ドクターの声は、冷たく、耳に突き刺さり、私は不安で涙を流した。

咄嗟に、母が同じような経緯で生死をさまよったことを思い出した。

母も、何でもない外科手術後に同じように発熱し、敗血症を起こし、3週間意識がない状態になった。
幸い、元気にはなったけれど、あのときは家族全員が生きた心地がしなかった。
入院していたとき、身体中に点滴の管をつけ、酸素マスクの下、苦しそうな母の姿が思い出された。

私は母と体質が似ているではないか。
ということは、私も同じように敗血症になるのではないか……?

そのあと、沸き上がってきた感情を、私は今でもはっきりと覚えている。

いやだ

このまま死にたくない……

生きたい……

生きて、幸せになりたい……

生まれて初めて沸き上がってきた、切実な感情だった。

家族ともっと笑いながら生活したい
本当にしたいことを見つけて充実して生きていきたい
ここで、人生を終わらせるわけにはいかない……

そう、心から願った。

「死」を意識して、生まれて初めてONになった「生きたいスイッチ」だった。

「生きたいスイッチ」は早速、私を変えた。

私は、その日、見舞いにきた夫にまず、感謝の言葉を伝えた。

夫は私が長期入院し、家事と仕事を両立することになり、忙しいというのに毎日お見舞いに来てくれていた。
けれど、私はそれまで感謝の念さえ抱くことはなかったのだ。

「いつも来てくれてありがとう。思いやりのあるあなたと結婚して本当によかった」

そう伝えると、夫は最初、豆鉄砲をくらったハトみたいに驚いた顔をしていた。
けれど、しばらくすると照れくさそうに下を向いて笑っていた。
そんな夫を見て私もうれしくなった。心がじんわりと温かくなった。

そうだった。
夫は優しいけれど、不器用な表現しかできない人だった。
その表情をみて、私は思い出した。

今、考えてみると、それまでの私は、ゲームやお酒など、この本で言う「ドーパミン的幸福」ばかり追っていた。
家族の存在など、当たり前くらいに考えて、顧みることさえなかったのだ。

けれど、夫に感謝の言葉を伝えることで、家族とのつながりを大切にする「オキシトシン的幸福」を味わったのだ。

それはこの本に書かれている「これからはパートナーとの関係を強くする」をそのまま実行していたことになる。

それからは常に感謝の気持ちを伝えるようになり、夫との関係はオセロの駒が黒から白に一気に変わるように、良好になっていった。

本に書いてあるように、浮き沈みの激しいドーパミン的な刺激のある幸せとちがい、人とのつながりから起こるオキシトシン的幸福はじんわりと心に染み込んでくる。
もっと早く気が付けばよかったと今になって強く思う。

強く感情が動き、願ったためだろうか。
そのあとあっけなく抗生物質は効いて、熱は下がり、私は無事に退院した。

退院してからの私はまるで別人のようだった。

変わりたい、と願ったが、自分のしたいことがまず、わからず途方に暮れた。
けれど、情熱だけはフツフツと日々わいてくる。
なんとか、手がかりやキッカケを求めて、がむしゃらに動くようになった。
この人すてきだな、と思う人には迷わず会いにいくようになった。
かなり遠くのセミナーや講演会、勉強会など、これではないか、と思うものすべてに足を運んだ。
本も必死に読んだ。

今まで生きてきたコンフォートゾーンはあの日を境に、すべて抜け出したと断言できる。

つまり、この本で言えば「ちょい難に挑戦する」「非日常的なことにチャレンジする」をそのまま実行していたのだ。

そして、七年後の私は、というと……

大きな夢を持ち、その目標に向かって邁進している。
その夢がかなうかどうかはわからないけれど、あのときよりも格段に、夫との関係もよくなっているし、毎日が充実していて、とても幸せだ。

この本を読み進めるうち、書かれていることは、7年前から今に至る自分と、次々にリンクした。

だから心の底からわかる。
この本に書いてあることは、幸せに生きる指南書にちがいないと。

そして樺沢先生の願いを込めた渾身の一冊なのだと。

もし、あなたが今、「幸せじゃない」「自分らしく生きてない」としたら私のように生き方を変えて楽しく幸せな人生にしてほしい、自分らしくやりたいことをやってほしい
そう願って書いたのが、『これからの生き方図鑑』です

環境やそのときのタイミングもあるので、書かれた方法が全部が当てはまることはないかもしれない。
けれど、この本には47にものぼる、さまざまな実践すべきノウハウが書かれている。
自分に当てはまる幸せを築くためのヒントは必ずその中から選びとることができるはずだ。

私も自分の未来をよりワクワクさせる生き方に変えるための手引きとして、これからも何度も大切に読み返していこうと思う。


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