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批判的は主体的。消費社会の中でブレずに生きる。
「批判的」って難しい
「批判的に文章を読む。」
「批判的に考える。」というと、
その対象の上げ足を取ったり悪口を言ったりすることだと思われることがけっこうあります。
「いやいや、相手のことが嫌いとか気に入らない、とかじゃなくて・・・」
と「批判的」ということについてなんとか説明しようとするのですが、なかなか伝わっていないような気がして、とりあえず何でも反抗するめんどくさいやつ、みたいに私が非難されたような気分になることもあります。
「批判的という意味が分からないなら、君とは話ができない」と言ってみたいものですが、そうするとどんどん友達が減っていってしまうので、自粛しています。
長い間、ビジネス書の類では「批判的思考(クリティカルシンキング)」という言葉が流行っています。
「物事や情報を無批判に受け入れるのではなく、多様な角度から検討し、論理的・客観的に理解すること」
Wikipediの説明には、「相手のことを非難して論破する」みたいな攻撃的な意味はありません。
ですが、いざ私が「批判的」という言葉を使うと、反抗的・攻撃的みたいなネガティブなイメージを与えてしまうようです。
おそらく、使う場所、言い方、タイミングを私が間違えているのでしょう。
「批判的という意味をうまく伝えられなくてごめんね。私の勉強不足だね。」と言える人になりたいです。
消費社会の中で消費されないためには批判が必要
私は「批判的=主体的」だと考えています。
消費社会の中で、絶えることなく常に新しい情報や商品にさらされています。
そんな中で、無批判にあれもいいかも、これもいいかも、そっちも気になる…という態度で生きていたら私は身も心もボロボロになっていまいそうです。
批判的に捉えることで、その商品にはどんな価値があるのか、何から作られているのか、誰が作っているのか、どのようなルートでそこで販売されているのか・・・など、一つのものについていろんな面から検討することになります。
そっちの方が疲れそう、と思われそうですが、
一度考えることで、自分は何に価値を感じるのか、何が好きなのか…ということに気付くことができます。
また、商品が作られる過程で犠牲にされている様々なことがあるということにも気付きます。
一度だけでも、一つのことについて批判的に検討するだけで、自分の求めているのはこれだ、というように選択において一つの軸ができます。
そうすると、絶え間なく流れる消費社会の中で、流されることなく主体的に生きている実感が出てきます。
良好な人間関係を保ちつつ、ブレずに批判的に生きていこうと思った土曜日の午前でした。
最後まで見ていただきありがとうございます。 また是非読んでいただけると嬉しいです!