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哀し憎しと愛おしむ


愛して、憎んでいた父が死んだ。
もう数年前の話だ。

父に愛された記憶はない。
友達のように、どこかへ連れて行ってもらう事はなかった。家族旅行だって要望は通らない。ある程度は聞いてくれたかも知れないけれど、覚えていない。
そもそも家族旅行すら少なかったから、そんな事実はなかった気もする。行った気になりたかったのかなとすら思う。

有名なテーマパークに行ったよと笑う友達に、共感ができなかった。
子どもの憧れ。女の子が好きな可愛いものが詰まった、夢の国。
ワクワクする私や姉たちに人がごった返す場所は嫌だと言い放って車に引き返した父の背中を、みんなで追いかけたのを覚えている。

姉妹は全員、父のサンドバッグだった。
その中で一番私が酷かった理由は、私が勉強ができること。たったそれだけ。それでも、家庭の事情で学校に行くことができなかった父の気に障ったのだろう。

子どもらしくないと、面白みがないと、人としても女性としても尊厳を奪われる日々。
それでも諦められなかった。一回でいい、笑って欲しかった。
ただ、いい子だと言って欲しかった。

テストで100点を取ったり、慣れない運動もがんばった。
家の手伝いもして、お酒が切れたら走って買いに行った。
今思えば逆効果だし、ただの奴隷だ。でも子どもにできることなんてたかが知れていたし、とにかく必死だった。

高校生の頃に、心臓病になった。
手術を受けた。たくさんの血が出て、輸血をした。生死を彷徨ったと後から聞いた。
父は最後まで見舞いには来なかった。そんなにがっかりはしなかった。私は病気になったのだから。健康でいることを頑張れなかったのだから。


最初からおかしかったものが、壊れてしまいそうだった。壊れてしまいたかった。死のうとして、死ぬ直前で見つかって、そうして入院した。

薬でぼうっとしてベッドに横になる私のもとに、父が来た。
あの父が、車で、ひとりだけで病院にきて。


「育て方を間違えた」


それだけを言って、父は行ってしまった。
わたしのことは一度も見なかった。

それから何も変わらないまま、ある日の冬、父は前科持ちになった。
そしてそれから、家に帰ることなく、突然死んでしまった。

わたしを褒めることなく。
復讐をさせてくれるわけでもなく。
壊しかけて、壊し切ってくれるわけでもなく。

そうだ。私は、父が嫌いだったんだ。
愛してもくれない、理不尽な理由で私から色んなものを奪っていく父が嫌いだ。
それをわかりきっていたはずなのに、心を壊すまでがんばってしまった自分も大嫌いだ。
火葬場の煙を見ながら、ようやく気付けた。


今の私は、友人に恵まれていると思う。
私を好きだと、過去を知った上で、いずれは一緒に暮らそうと言ってくれる人もできた。
とても幸せだ。
生きてきた中で一番、素晴らしい時期だという自信がある。

それでも、夢を見ているような気持ちなんだ。
決して普通の人生ではなかった。10人に見せたら半数以上は目を伏せるだろうし、席を立つ人もいると思う。
私は、わたしたちは、そんな最悪の人生を生きて、そのくせそれを大事に抱えて、どこか気が向いたら死ぬのだと信じていた。
誰に理解されなくてもいい。手を離されてもいい。見ているものだけが最善であると思い込むことで、なんとか生きていたのに。

あんなに愛されたかったのに、いざ愛されると、こんなにも怖い。
精一杯頑張らなくてはと、悪癖が出ては心配させる。
不安になったら言えと言われても、電話をかける手が止まる。そうして相手が寝たと確信してから、ひとりで泣いて、また笑っている。

育て方を間違えられた子どもだ。
それは違うと何度言われても、こびりついて離れないんだ。
ようやく見つけた愛せる人に、間違えたなんて言われたら、どうしたらいい?


でも、我儘だけど、もう少しだけこのままでいて。
初めて、手を叩いて笑うような喜劇を見ている気持ちなんだ。
誰だって楽しいものを見たいでしょう?私もだよ。

いつか手を離して構わない。私はひとりでいい。
不安だけど、怖いけれど。
今あなたたちに愛されているだけで、あの頃の私も、怖がりの私も、きっと報われるはずだから。

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