《ものおもい日記》1004*恵

常々、ラッキーだとか、運が良いだとか、脳内お花畑発言をかましております。

でも何がなんと言おうと、ラッキーで運が良いことに違いはないと思っています。

世の中に様々な幸せがありますが、自分の幸せを定義し掴む努力をしてきた自負はあります。ですが、同時にたくさんの人が私に繋げてくれた幸せでもあるわけです。

幸せの糸を手繰り寄せる腕力は自分事ですが、その糸を見つけるのは環境や運があると思います。

何度も何度も言うようですが、私はラッキーの連続の中を生きています。

私の力ではなく、大きくてたくさんの力が集まった結果です。

これは一生言い続けることでしょう。

私はきっと、とても恵まれた環境で育ってきました。

当時「そんなに私の未来は暗いものなのか」と悲観的になった「大学までは通わないとね」という言葉は、
大学を通わせる程の余裕や必要十分以上の学びを受けさせたいという想い・文化、大学進学を可能とさせるだけの学力向上への投資が無ければ言えない言葉です。

私は小中高こそまともに通うことは出来ませんでしたが、「大学へ行きたい」という意志があればいける環境は恵まれているそのものだと実感しています。

もちろん努力はしてきたと思います。不登校の期間は荒らした自室で勉強を進めましたし、未来への不安もありながらも学びをやめませんでした。

それすらも今思えば、「学びたい」という思いを潰さなかった周りの環境に恵まれていたのかもしれない、と思うのです。

塾に通ったり、塾長先生の厚意で昼間に一緒に勉強したり。

それは自分だけの力ではできなかったことで、恵まれているからできたことだと感じます。

さて日頃、大学に通っていると、大学に通っている人とばかり会うせいか「大学生はいっぱいいる」「大学進学は当たり前」と勘違いしてしまいます。

実際は、そんなはず無いです。
大学進学率は女子50.9%、男子57.7%ということで半分程度です。

もちろん全員がご両親にお金を出していただいているわけではありませんが、大学進学が当たり前の選択肢のひとつに入っているのは、たったの半数です。

決して当たり前では無いけれど、私は運が良く大学に通えている。
その多くの人に支えて、繋げてもらった運を私利私欲で使うことは疑問なのです。

私は多くの人に繋げてもらった運を、自分でたらふく味わうのではなく、周りの人と分け合って増やしていきたい。(還元したいって言ってる。)

自分だけが美味しい誕生日ケーキより、みんなで食べる誕生日ケーキの方が幸せなのと同じように、そういう運の使い方をしたい。

私は運良く、学びたい憲法を学ぶために大学に行けた。

だから、憲法や人権論の考え方を伝えて、1人でも多くの人の心を安らげる情報を届けたい。

私は運良く、生きづらさや不登校の活動を始められ、ライターとしての仕事もできるようになった。

だから、その活動で得た情報をわかりやすい形や届けたい形にして、1人でも多くの生きづらさを抱える仲間に安心できる情報を届けたい。

そんなものなのです。自分だけで掴み取ったわけじゃないからこそ、恵まれた分をお裾分けすることが大切だと思っています。

まだまだできていることは多くありません。
自己満足なのではないか、なんて毎日反省の日々だったりもします。

でも社会人になって、社会活動をおこなう際に、またお裾分けできる幅が広がっていければなと思います。

未来はこうだよと指し示すロールモデルや、色々な知識をみにつけたヒカリテラスのお姉さん。

まだまだ生きてなきゃいけませんね。
出世払いはたんまり。お裾分けもいっぱいできちゃう。

ゆるやかぁに生きていきます。

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