《ものおもい日記》0423*人間って𓏸𓏸だし。
書きたいと思ったことを、三日月と星を眺めてたら、忘れてしまった。
帰ってきてから、手を洗って、眉上にできたニキビを睨んでる間に、また忘れてしまった。
温泉みたいに湧き出るアイデア達は、その時に書き留めておかなきゃ忘れちゃう。
人間ってそんなものだよね。
丸亀製麺でかけうどんとえびの天ぷらを食べ、油が腹を駆け巡り、気持ち悪いながら、帰ってきたんだけど、
それもまた人間らしくて、食い意地張っててもはや可愛いな人間、となってしまう。
現在、私のおうちは絶賛断捨離祭りを開催している。
昔遊んだゲーム機、赤ちゃんの時のおまる、両親が結婚式の時に買った造花のブーケ、色んなものが押入れから出てきた。
「懐かしい〜」と笑ってられるものもあるが、痛く苦しい過去の産物もある。
例えば、私が不登校の時に両親が学校に提出した様々な文書や、いじめについての資料、私が大量に抜いた髪の毛、肌色が見える頭皮。
これらは、私たち家族が学校に苦しみながらも立ち向かった記録。
家に押し入られて勝手に学校に連れていかれたり、私がいない間に話し合いが行われ勝手にいじめが無かったことにされたり、不登校は自己の責任にされたり。
私はこのような話を幾度もしているから、まだ安定はしているが、そんな記録が目の当たりになれば、私も母もつらいだけ。
解決されないまま、風化されて、大人になってしまったのだから。
私の子ども時代。空白の期間。死すら考えられなかった期間。
部活で青春したり、制服のスカートを折って怒られたり、マックやスタバでテスト勉強したり、修学旅行の夜にヒソヒソ恋バナしたり。
私は何も知らない。
当たり前に、部活の話で盛り上がることは出来ない。だって学校辞めてるし。
当たり前に、学校の思い出なんて語れない。だって学校はトラウマだし。
長い期間を積み重ねて、それとなく嘘と本当を織り交ぜることはできるけど、それでも私には痛い。
みんなの当たり前を経験していない。
みんなのイメージに私は存在しない。
みんなの思い出達に私は混ざれない。
多くの人の普通を、普通だと感じ取れない自分がほとほと嫌になる。
私の根源は、まわりの「当たり前」「普通」を理解できないし、私の「当たり前」「普通」を理解されないから生まれる。
人間への不信感からはじまる。
何も期待したくないし、したって意味が無い。
私も含め、人間は誰1人同じじゃないし、「当たり前」や「普通」の経験の先にある感情や価値観すら一緒なんてありえない。
そんなの気持ち悪い。
でも人間って、孤独は嫌いでしょう?
だから同じであってほしいと思う。なんなら周りの人が一緒なら「当たり前だ」「普通だ」と託けて、仲間意識をお互いに作ろうとしている。
人間って、寂しくって可愛いんだね。
でも「当たり前」や「普通」で、省かれる人間もいるんだよ。
その人のことはお構い無しで、簡単に想像の範囲外にしてしまうんだね。
人間って、酷いんだね。
当たり前って酷い言葉、普通って悲しい言葉。
共感したり、せめて理解が出来たら幸せになれたのに。
幸せすらも個人の価値観に基づくんだから、そこに「当たり前」も「普通」も存在しないね。
何が「当たり前」で「普通」なんだろうか。どう解釈するんだろうか。
個人的な解釈ではなかろうか。
そんなこと無意識的にだってわかってるクセして、「当たり前」や「普通」を、信じて、託けて、仲間を作ったり、省いたりしてるんだもん。
改めて、人間は愛すべき酷い存在なんだ。だから寂しくって可愛い。
ここまで来るとお気づきだろう。
私の最近の口癖は「人間って𓏸𓏸だもんね。」なのだ。
過去のことは変えられないし、私個人で我慢している社会のことも直ぐに変わらない。
勝手に怒っていても人間も何もかもは変わってはくれないし、変わらないなら許しを与えるしかない。
だから人間は可愛いし酷い。そんな歪さがあるから愛すべき存在なんだ。
無理くり許容している。
ただ、人間と大きく括っている私だって、自分自身の当たり前や普通を押し付けているんだし、歪でしかない。
人間って歪。完璧なんて無理。誰も何にも傷つけないことも無理。
そんな酷さも含めて、怒ったり、悲しんだり、アプローチをかけて。
当事者なら全然笑えないけど、俯瞰してしまえば全て可愛い。(死ななきゃ、ね。)
早く達観したい。早くおばあちゃんになりたい。ふぅ。。
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