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今日は創立記念日

れもんらいふができた日から12年がたちました。まさかウィーンでその日を迎えるとは思いませんでした。
今日は、このあとウィーンの映画祭でアイスクリームフィーバーの上映があります。
まだ何も自分の仕事というものがない12年前の僕からすると想像出来なかったことが起きています。
2011年10月、原宿の神宮前交差点、今はなきコープオリンピアAnnexの2階、 PRCという代理店の間借り、ふた席から始まったれもんらいふ。初のアシスタントは、大井佳名子さん。社長としてもアートディレクターとしても未熟な僕を支えてくれました。次に入ってきたのは鳴尾仁希さん。大阪から上京しやってきました。その2人は今は、それぞれの道で立派なアートディレクターになっています。さまざまな大きな仕事をしています。思えば創業2ヶ月後のれもんらいふの忘年会は、そのメンバーたちと、前の事務所のアシスタント4人、原宿六畳一間、畳ボロアパートの我が家、小さなこたつでやったのを思い出します。そして2012年の春、まだ学生だった永瀬由衣さんが入ってきます。このメンバーがれもんらいふの骨格をつくり、共に戦っていくのです。
ZUCCaや、キャロウェイ、ファッションブランドのカタログ制作から始まったれもんらいふは、雑誌装苑の表紙、Zoffの広告、舞台のポスター、映画のポスター、アーティストのCDジャケットと、ものすごい勢いで仕事の幅が広がっていきます。2017年には、桑田佳祐さんのアルバム「がらくた」のデザインまで到達します。
がむしゃら、という言葉が相応しい。とにかくがむしゃらに仕事と出会いの幅を広げ、いつのまにかクリエイティブを育む大切な仲間が出来上がっていき、東京カルチャーのど真ん中に立っていました。
桑田佳祐さんの仕事、僕の夢を見届けた永瀬由衣さんが、自分の夢を追うため2022年退社します。僕も次の夢、映画監督を志します。まさにその時期はコロナ禍でした。
仕事は止まり、デジタルの波とコロナの渦でデザインの仕事の質も変わっていきます。紙のデザインの時代ではない。永瀬由衣さんが辞めたタイミングで、れもんらいふの第1期は終わったように思います。
がむしゃらから、しっかりの時代へ。
徹夜して、終わったら飲みに行って、社員旅行して、また徹夜して、、、今思うと楽しい日々でした。永瀬由衣さんという存在と、僕との間にあったのが、がむしゃられもんらいふでした。2人で積み上げた空間こそが、れもんらいふだったようにおもいます。
今、れもんらいふは、デザイナーがいません。事実上僕1人です😆
ずっといてくれる経理の鈴木と僕だけです😆
近年のれもんらいふを支えた佐藤百実さんが9月末で退社し、すこし休んでみようと思いました。
映画というプロジェクトもありました。アイスクリームフィーバーを作るという4年半は怒涛でした。新しいことに取り組む楽しさと苦しさ、映画という巨大な商業構造の中で悩み、なんとか7月14日に、公開という答えをだしました。
セオリーを崩す、作り方を変える。お金より面白さ、そんなことを目標にし、12年やってきたことをアイスクリームフィーバーにぶつけました。そして、その答えは、正しかったのか、間違っていたのか、まだわかりません。
2作目、3作目と作り上げて、時が経てばアイスクリームフィーバーとはなんだったのかが見えてくると思っています。映画は今まで作ってきた広告のようになくなりはしません。ずっと育まれていくと思っています。
今日の上映がまた映画の未来を変えるのです。

来年2024年春、れもんらいふは原宿神宮前交差点、新しい商業施設「ハラカド」に場所を移します。偶然なのか必然なのか、そこは、れもんらいふ創業の場所です。
しっかり、と書きましたが、12年の間に家族もできて、1人の身体ではなくなりました。
今、僕の精神やれもんらいふを支えているのは家族です。奥さんのアドバイス、環境づくりや、子供たちの存在です。
がむしゃら時代に培ったものは大きい。ただ、またがむしゃらに戦うのも違う。培ったことを活かす、新しいれもんらいふを目指さなくてはいけません。
12年で育まれた仲間たち、技術、結果、デザインは僕の財産です。それをまた育みながら、活かしていくフェーズです。
今日創業日、渋谷から遠く離れたこのウィーンで、迎えることができたのは何かの暗示。客観的に、れもんらいふを見つめ直すいい機会です。
10月10日からまた新しい戦いがはじまります。
未知のプロジェクトにも挑戦します。
新しい仲間が3人加わります。
楽しみでしかありません。
また新しいれもんらいふを作る気持ちです。
みなさん、ここからまた一癖も二癖もある、れもんらいふを楽しみにしててください。

創立記念パーティ、レスリーの乾杯
創立記念パーティの挨拶

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