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富士吉田という新しい故郷①

富士吉田という縁もゆかりもない街に
ロフトワークの林千晶さんに
「千原くん絶対好きだと思う」と、誘われて、
足を踏み入れたのは2020年の12月。
古びた寂しさと、切なさがあり
昭和で止まったノスタルジィのある街。
僕自身は「かわいい!」そう感じた街でした。

そしてさらに今年の5月。
TGCや吉本、最近は立教大学客員教授、地域プロデュースなどを行う
永谷さんから
「千原くん絶対好きだとおもうから、なんかここでやりましょう」と
連絡があり、またまた富士吉田へ。

縁があるとはこのことか。
気がついたらお店を作ることになっていました笑。

「谷さん、メニュー一緒に考えてください」
なんて思いついたらすぐに連絡する性格で
西麻布でHOUSEというフレンチレストランを営む
京都繋がりで同世代の谷さん。
この言葉を皮切りに
たくさんの仲間を巻き込みました。

富士吉田は、本町通という商店街が中心にあります。
富士山がドカンと真ん中にみえる、
世界でも有名な商店街抜けの富士山ビュー。
商店街はほぼシャッター街と化しているものの
周りはスナックやバー、居酒屋、定食屋、喫茶店、うどん屋が網の目のように連なる。
SARUYAというホステルがあり、そこを中心にアートフェスなどの
クリエイティブな活動も徐々に増えている。
古くは機織りの町として栄え、
今でも耳をすませば織り機の音が聞こえてくる。
洋食レストランM-2は、亡くなったフジファブリックの志村さんのおすすめの店。
OLD MANS TAILORというファションブランドまである。
街並みは昭和で止まったままの、小さな呼吸が息吹いている。
「このまちをもっと知ってほしい」
「このまちに住んでみたい」
すぐにそんな気持ちになりました。

「夕月、移住してよ」
「はい!いきます!」
そんな意思疎通なコミュニケーションあるのか笑
次にれもんらいふのデザイナー夕月を移住させることに決まった。
れもんらいふの中でも一番僕に似ている。
考えずにまずやっってみる思考は、クリエイターには大事だと思っている。
富士吉田の街の人たちはあったかい。
それだけに店を経営するというだけでは意味がないと思った。
コロナの影響でリモートで仕事をすることに少し免疫があった。
デザインの仕事は離れていてもできる。
必要な時にだけ会えばばいいのだ。
その感覚を作っていくにはいい距離なのが富士吉田だ。
むしろ渋谷、富士吉田、それぞれの街での経験が
お互いのクリエイティブをたかめるのではないか?
そう思った。
2拠点のデザイン会社、東京と富士吉田を融合させた
新しいデザイン会社になるかもしれない。
新しい働き方を作れるかもしれない。

永谷さん、富士吉田市役所の勝俣さんとの定例会が始まったのは6月。
「8月末めどに何かをやりたいので千原くん、提案お願いします」
お店ってそんなに早くできるもんなんだっけ?笑
普段広告のクリエイティブをやって、ビジュアルを作るレベルの時間。
「よし、誰もが楽しめる店を作ろう」
アートディレクターとしての血が騒いだ。

「喫茶檸檬」

「喫茶店にすることにしました」
この街を歩くと朝ごはんを食べれるところがない。
コーヒースタンドがない。
東京から来た人が富士吉田の人たちとコミュニケーションする場所が欲しい。
その全てをかなえれるのは喫茶店でした。

東京のクリエイティブと富士吉田の資源と人を掛け合わせた店を目指そう。
O.D.F.Aという建築事務所の富士吉田勤務、中川くんが手を挙げ店作りが始まっていく。
本町通りに位置する廃墟になった呉服屋と魚屋をリノベーションすることになった。
「これ、震度3で左に倒れますね笑」リノベできる躯体じゃないですね。
富士吉田は富士山の麓に位置し、街全体が斜めになっている。
リノベというか建て替えに近い挑戦が始まった。

永谷さんが富士吉田に入ったのは2年前。
地方創生のプログラムづくりで、
シャッターの締まった過疎化する街をどうにかしたい。
富士吉田をもっと人が集まる街にしたい。
ポテンシャルを感じた永谷さんが、市と取り組み
ようやく議会で予算が降りた。
「初めから千原くんしか考えていなかった」
永谷さんは言う。
もっと適任がいるんじゃないか?店作り、まちづくりのプロいるよね笑。
そう思ったけど、永谷さんは初めからわかっていたんだ。
こうなることを
お店が完成した時の永谷さんの涙を見てそう思った。

お店を作るのがゴールじゃない。
美味しいご飯を食べれてうまく経営していけばいいという店じゃない。
この街を、このシャッター通りを新しいコミュニケーションの街にするのだ。
僕はアートディレクターである。
お店は作ったことがない。
でも、街にコミュニティは作れるかもしれない。
デザインで解決できることがあるかも知れない。
喫茶檸檬はコミュニケーションというアイデアであり、
富士吉田をどう未来に繋いでいくのかの始まりの
アートディレクションだ。
アーティストや、アートを突然連れてきて
期間限定的にキュレーションしてもダメだと思っている。
この街を知れば知るほど、
長いコニュニケーションの覚悟が必要だとおもう。
向かいのおっちゃん、隣のおばちゃん、近所の本屋
焼き鳥屋のおばちゃん、酒屋のにーちゃん、
たまご屋のおばちゃん、農家のおじいちゃん、
商店会、何かを目指す若者、と
この場所で「育む」が必要だとおもう。
店づくり中、前をおばちゃんが通る
「何ができるの?」
「喫茶店つくってるから来てよ」
「あら、楽しみ」
そんなやりとりが毎日たのしい。

たまたまが重なり
素晴らしいシェフと出会えた。
渡邊真希さん。
東京でシェフをしていたが出身は富士吉田だ。
彼女の丁寧さ、力強さは絶妙。
たくさんやることがある中で
谷さんと連携し、喫茶檸檬の食を支えている。
何度も涙を流しながら、戦っている。
渡邊さんを支える、岸さん、大荒れさんは
まだまだ未経験なことが多いが本当に頑張っている。
オープンというタイミングで負荷がかかる。
毎日課題や問題が沸き起こる。
今、みんなは満身創痍だ。
夕月含めいいチームにするため
僕のこれからのアイデアが不可欠だ。

さまざまな人に支えられ
昨日オープンを迎えた
喫茶檸檬。
次は、それがどんなメニューがあり
どんなクリエイティブなのか、を
詳しく書きたいと思います。

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