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第4章 終点の向こう側

 激しい頭痛に襲われながら、長谷部は辺りを見渡した。シーンとした電車内。最初は真っ暗だと思っていたのだが、よく見るとぼんやり、座席や、つり革が確認できるような気がする。
「おいおい、どうなってんだよ・・・。」
長谷部は立ち上がり、携帯電話を取り出した。しかし、
「まじかよ・・。」
昼間仕事をサボってアプリゲームをしすぎたせいで、とっくに充電は切れていたのである。
仕方がないのでとりあえず、手探りで先頭車両を目指すことにした。しかしながら、どの車両にも人はいない。長谷部は座席に座り込んだ。目も冴えてきて、彼は次第に怖くなっていた。
「ここは車庫か?俺は閉じ込められたのか?どこまでついてないんだ?俺が何したってんだ?」
絶望感と恐怖からぶつぶつとよくわからないことを口走っていた長谷部ではあったが、何とかして脱出しようと考える気力はまだ十分にあった。
「少しでも灯りがあればな・・と、あれ?」
座席の背後に手をかけると、そこは窓ガラスだった。これはもしかして・・・。長谷部の予想は当たった。この電車の窓は開閉することができるタイプで、最大まで下ろすと30センチほどの隙間が空く。体の細い長谷部なら、外に出ることは可能に見えた。案外簡単に出られそうだな、とカバンを先に窓から落とし、自らも窓ガラスによじ登った。頭から外に出し、足をかけてするすると外に出る・・はずだったのだが、
「あれ?・・うっ、おい、ん?・・・うそ?」
いきなり全く動けなくなってしまった。どうやら、スーツの上着のボタンあたりが、窓枠かどこかに引っかかっているようだ。そんな感触はするのだが、体勢が体勢なだけに、何が起こっているのか確認もできない。ひたすらジタバタしてみたものの、全くの無駄だった。最終的には、暗いわ、服が引っ張られて首は締まるわ、身動き取れないわで、長谷部はすっかり宙ぶらりんになってしまったのであった。
「なんでなんだよ・・。」
長谷部はいろいろなことを考えていた。このまま始発で見つけられたら新聞に載るのだろうか、とか、自分に気が付かず電車が動き出してしまったら、柱か何かにぶつかって即死なのか、とか、今日の星占い2位だったはずなのになあ、とか、いやまてよもう日付変わってるか・・とか、しかし、いくらそんなことを考えようと、窓枠から体、三分の二だけはみ出した状態は変わらないのである。
何分経ったであろうか。あがくのにも疲れ果て、観念した様子で宙吊りになったまま、長谷部が目を閉じようとしたそのときだった。
「おい・・なにやってんだ・・・?」
男の声と共に、車内からいきなり光を当てられた長谷部は、心臓が一気に縮み上がった。頭が外に出ている長谷部には、全く近づいてくる気配がわからなかったのである。
「あ、いや、すみません、ごめんなさい、ほんとに、わざとじゃなくて、すみません、すすすみませんー!」
パニックで長谷部は、なぜかただひたすら謝り続けた。
「ちょ、ちょっと落ち着けって。おい、おい!」
光を当ててきた男は、長谷部があまりにうるさいので黙らせようと大声を出した。
「・・・はい。」
おとなしくなった長谷部を懐中電灯の灯りで照らし、窓ガラス越しに顔を観察していた。長谷部からは、逆さ吊りな上に、光を顔に当てられ、全く何者か知ることはできなかった。
「ははっ、さては出ようとして引っかかったんだな?わかった、手伝ってやる!」
男はそう言うと、懐中電灯の光を窓枠に移し、何が引っかかっているのかを調べ始めた。
「あ、あのー・・。」
長谷部はうなだれていたが、どうやら敵ではなさそうなことがわかり、本気でホッとしていた。
「多分、スーツのボタンが引っかかってて・・。」
長谷部は懸命に説明した。男はスーツの上着を引っ張ってくる。
「ボタン?ああ、これか。・・おっ、よし・・あ、ボタン取れたらごめんな。」
その直後、ブチッという音がした。それと同時に長谷部は窓から外に勢いよく落ちそうになった。
引っかかっていたものがなくなったのである。窓枠から手を離していた長谷部はまたも心臓が止まりかけ、一巻の終わりだと思った。しかし次の瞬間、男はとっさに長谷部の足をガッチリと押さえ込み、落下を阻止、何とか地面衝突はまぬがれたのである。
「大丈夫か?どっか掴むところあるか?」
長谷部は男に聞かれた通りに掴むポイントを見つけ、、何とか頭を持ち上げた。
「ありがとうございます・・あぁ、もう腕が限界だ・・。よっと。」
体勢を整えた長谷部は、そのまま地面に飛び降りた。がしかし、電車の窓枠から地面までは意外と高度があり、その上足場がデコボコしていたため、落下の衝撃で地面をのたうちまわるはめになってしまった。
「おいおい、せっかく助けてやったのに。」
男は躊躇なく窓の隙間から身を乗り出し、スルスルっと外に出た。
「あらよっと。」
長谷部の転がっているすぐ隣で、ザッという音が聞こえた。長谷部とは違い、しっかりと着地したようだ。
「ほら、しっかりしろよ。」
男は懐中電灯を使って長谷部を照らし、手を差し伸べる。長谷部はその手を取り、起こしてもらった。男は相変わらず何者かわからなかったが、なんとかなりそうだと、長谷部は安堵していた。
「ありがとうございます。・・あの、ここは?」
恐る恐る長谷部が尋ねると、男は笑い出した。
「いやー、まさか俺のほかに閉じ込められてるっ奴がいるとはな。ははは、だけど俺にもさっぱりわからん。なんなんだここ?地下か?」
どうやらこの男も長谷部と同じ被害者のようだ。そう思うと気が楽にはなったが、男のテンションの高さに、長谷部は若干引いていた。気を取り直し、あたりを見渡すと天井に壁、トンネルのような、しかし灯りも一切漏れておらず、どうやら男の言うとおり、地下の車庫にいるようだった。
「やっぱり、これって、寝てたら車庫行きってパターン・・ですかね。」
長谷部はスーツを手で払い、カバンを拾いながら男の出方を伺った。
「ああ、そうだよな。でも俺の場合は寝たふりなんだけどね。ははは。」
「え?それってどういう・・。」
男は懐中電灯をつけたり消したりして遊んでいる。ふと長谷部はスーツのボタンを確かめようとするも、やはり取れてなくなっていた。
「終点で起きたんだけどさ、何か動くのめんどくさくてゴロゴロしてたのよ。そしたら誰も声かけてくんなくてさ、このまま居てたらどうなんのかなーって思ったら、な。」
なんとこの男はわざと閉じ込められていたのか。それを知った長谷部は少し笑ってしまった。
「まあおかげで面白いことになってきたし、寝過ごすのも悪くないな!ははは。さあ、外目指して歩いてみようぜ。探検探検。」
この状況を楽しんでる素振りを見せる男を見て、長谷部はあきれると共に、少し気が楽になっていった。こうして長谷部は見ず知らずの男の探検に付き合うこととなったのであった。

 二人は線路沿いに、懐中電灯で足元を照らしながら、歩いていた。どうやら男の持っている懐中電灯は、電車内にあった非常用のものを拝借してきたらしい。長谷部と並んで歩くと、男は、身長がやや長谷部より低いくらいであった。
「ああ、そうだ、名前なんていうの?」
男が唐突に質問した。
「ああ、長谷部です。」
長谷部がそう答えると、男も笑いながら自己紹介し始めた。
「敬語いいよいいよ、どうせ同い年くらいでしょ。俺は三谷って言うんだけど、まあこれもなんかの縁かもな。よろしく。」
歩きながら三谷と名乗る男は手を差し出した。長谷部の頭には小学校の恩師、三谷教諭の顔が浮かんできて、少しにやけながら握手した。
「ん?どうした?握手は変か?」
三谷は少し照れながら、また前を向いて歩き始めた。
「いや、そういうことじゃなくてさ、よろしく。」
長谷部はもう一度握手をし直して、先ほどよりも三谷の近くを歩くことにした。それはそうと、いまだに外の光は見えなかった。
5分が経った頃であろうか、鼻歌を歌って歩く三谷の隣で、長谷部はなにか低い音が聞こえた気がした。最初は疲れて耳鳴りでも聞こえてきたのかと思っていたのだが、だんだんそれは大きくなってきた。
「~♪ん?どうした長谷部?」
長谷部はまさかと思ったが、その場でしゃがんで、レールを触った。やはり気のせいではない、振動している。
「なあ、何やってんの?」
三谷はまだ気がついていない様子だった。長谷部はゆっくりと振り返った。壁や天井が僅かに、しかし確かに、少しずつ明るくなっていくのがわかった。そう、何かが近づいてきている。
「・・・電車だ。」
長谷部が三谷の方を向きつぶやいた。
「え。」
二人は顔を見合わせ固まり、次の瞬間同時に叫んだ。
「えー!!!?」
電車は確実に近づいてきていた。長谷部たちは全速力で線路のデコボコした道を駆けぬけた。途中何度もこけそうにになりながら、しかしこけるわけには行かなかった。倒れれば確実に死ぬ。
「なんで終電終わったのに電車くんだよ!」
三谷がわめく。当然長谷部にもそんなこと知ったこっちゃない。
「知らねえよ!なんでこうなるんだよ!」
必死な二人だったが、いかんせん人間対電車。逃げ切れるわけもなく、徐々にその距離は詰まっていた。電車のライトに照らされて、前方が明るくなってゆく、長谷部たちの影が大きくなって、もういよいよか、という時に三谷は何かを叫んだ。
「右だ!右―!」
その声を聞いた長谷部はとっさに右斜め前に顔を向けた。そこには一瞬だったが、何か、もう一つ道が見える気がした。迷わずそれを信じて飛び込む長谷部と三谷、次の瞬間には壁や天井に反射して響く電車の音が、鳴り響き、全てが終わったかと、長谷部は目をつぶって丸まっていた。
しかし、音は遠ざかってゆく、長谷部が恐る恐る目を開くと、あたりはまた再び暗闇と静寂に包まれていた。助かったのだ。後ろを見ると、先ほどの線路の分岐点が見える。どうやら長谷部たちは線路の分かれ道まで走ってこれたおかげで、九死に一生を得たらしい。長谷部はそれを見てようやく気がついた。今度は完全な闇ではない。薄暗いが辺りが多少は確認できる。三谷を探そうと振り返り前へ顔を上げた。そこには、三谷の背中、そしてその視線の先には、まばゆい光を放つ駅のホームが白く輝いていた。

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