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第16章 リベンジマッチ

 目の前の光景に圧倒されていた長谷部だったが、ふと、視界に見覚えのある背中を捕らえ、目を細めた。間違いない、二階部分の隅でスロットマシンに興じていた猫背の中年は、香西課長そのものだった。
「絶妙なタイミングだなおい。」
香西の元へ歩いていくと、やっぱりといえばやっぱりなのだが、残念ながら、負けているのは明白だった。相変わらずこの男は悲痛な面持ちをしている。
「課長。お待たせしましたっ。」
スロットの音がうるさかったのもあり、わざと大きめの声で話しかけたのだが、思いの外、香西課長は驚き、床にコインをぶちまけてしまった。
「ヒィ!・・は、長谷部か。あぁ、びっくりした・・。」
「すみません、驚かせるつもりはなかったんですけど。」
とかなんとか話しつつ、床に散らばったコインを拾いながら、再会を喜び合った二人であった。
「無事潜り込めたようでよかったが・・あれ?三谷君は一緒じゃないのか?」
そうだ。香西課長に指摘されて思い出した。三谷とはぐれてしまったのだった。
「それがですね・・三谷はさっき、ちょっと・・・ん?」
長谷部が事の経緯を説明しようとしていたちょうどその時であった。カジノの中心地点あたりが、強烈な照明で照らされたのだ。眩しくて一瞬何があるか分からなかったが、すぐにそれが何か、長谷部にも香西課長にも分かった。これは・・・特設リングである。どこからどう見ても、ボクシングやプロレスなどで使われる、アレである。
「なんだなんだ?」
カジノ内にいた他の客もどよめき、皆の視線は一斉に特設リングへと注がれた。そこに一人の黒と白の縞々の服に蝶ネクタイを装着した、中年の男が現れ、照明を一身に浴び、笑みを浮かべている。
「レディース&ジェントルメン!本日もジェスコへお越しいただきまして、誠にありがとうございます・・・さあ今宵も始まります、このカジノのメインイベント・・ファーイト倶楽部!!」
「ファイトクラブって・・?」
しかし長谷部がつぶやこうとすると同時に、その声はかき消された。地下カジノ、ジェスコ中の富豪たちが、一斉に歓声を上げたのだ。大学の学園祭とかで、学生が叫びまわっていたそれとはまた違う、中高年の雄たけびが飛び交うその景色は、なんとも例えがたい、異様な熱気に包まれていた。その尋常じゃない盛り上がりの中、司会者の男は、マイクで何かを紹介している。周りの声がうるさくてあまり聞こえなかったのだが、どうやら今から試合が始まろうとしていることは、誰の目から見ても明らかであった。
「これも賭けの対象なんだろうな・・。」
「ですね・・。」
すっかり会場のテンションに取り残されていた長谷部と香西であったが、心の中では、いよいよワクワクし始めていた。決して普通に生きていたら見るこのできない非日常、大多数の人間が知らない未知の世界、そしてそれが自分の育ってきた街の地下に存在していて、毎日こんな熱狂していたという事実。遂にそこに、自分がいる。そう思うとギャンブルに勝ったわけでもないのに、この世の何かを手に入れた気分に浸れたのであった。が、そんな異常な感情も、数秒後には消し飛んでしまうのであった。
「それでは赤コーナー!本日の挑戦者!カモーン!!」
ハイテンションな音楽がかかり、奥から男が一人歩いてきた。現れたのは、そう、間違いない、マスクを被った三谷である。
「すごいなこりゃ・・あれ?長谷部?どうした。」
いきなり無言になり固まった長谷部に気がつき、香西が声を掛けた。長谷部は黙ってリングに上がるマスクマンを指差した。
「うそだろ三谷・・。」
「えっ?」
「三谷だよ・・・。」
二回言われて、ようやく香西課長は理解したようであった。まさかな、と思いながらも、二人の顔は次第に、ひきつっていった。
「どうする?」
「とりあえず下に降りましょう・・。」
香西に事の詳細を説明しながら、二人は本物の三谷かどうか確かめるために、群衆をかき分け最前列へ陣取った。しかしやはり、このガニ股、浅黒い肌の色。マスクから見える鋭い眼差し、どこからどう見ても彼にしか見えないのである。そのマスクマン三谷の紹介は、全然関係ない経歴の紹介であった。おそらく本物のレスラーは今頃まだ、控室のロッカーで眠っているのだろう・・。三谷はしっかり本人になりきり、パフォーマンスも怠っていなかった。とんでもない度胸だな、と、このときばかりは長谷部はもちろん、きっと香西も尊敬していたに違いない。
「さてさて、続きまして青コーナー、現在22連勝中です、このファイトクラブの絶対的チャンプ!イマニー・ザ・グレート!!カモーン!」
一通り紹介も終わった後、いよいよ対戦相手のコールがかかった。どうやら今から現れるのがチャンプなようだ・・・三谷もケンカとかは決して弱くはなさそうだが、いかんせん敵は22連勝中の地下ファイトクラブのチャンピオンなわけで。ハラハラしながら青コーナーから入場するチャンピオンを見つめていたのだが、その姿が照明に当たり明るみに出ると、二人とも顔を見合わせて固まった。試合用の黒いパンツ一枚に上半身は裸だったが、190センチはあるであろう、その圧倒的なサイズに筋骨隆々とした肉体、そして何より、照明が反射して黒光っている、そのサングラスを見れば一瞬でわかった。この男は・・あの黒服だ。
「おいおいまじかよ・・長谷部、こいつってあの時の?」
「はい・・あんだけクラッシュして、まだくたばってなかったのかよ・・。」
こいつは本当に人間なのだろうか。コペンから投げ出されて電柱にぶつかりペシャンコに潰されたのではなかったのか?時速60kmは出ていたはずである。どう考えてもおかしい。
 ウイイイーン・・・。歓声の中、機械音がリング周辺に響き渡り、天井から金網が降りてきた。4mはある金網は側面のみならず、頭上もを囲っている。それはリング全体をちょうど覆うサイズで、そこに立っている三谷とチャンプ(黒服)、そしてレフェリーは、観客たちから隔離された。これでもう、リング外に逃げることはできなくなったのである。これがいわゆる、『金網デスマッチ』というやつか。ガシャンっ。金網が床に触れ、完全に降りきったのをレフェリーが確認すると、いよいよ準備は整ったようだ。リングの隣に設置してある巨大液晶パネルに、この試合に出場する両名の写真と経歴が華やかに映し出されていた。どうやらこの会場に集まっているほとんどは、もう既に、かけ金の支払いを済ませているようだった。数人の富豪のみが、通常だとブラックジャック等のカードを受け持っているであろうディーラーの元へ、馬券(どう表現すればいいのか素人の長谷部にはわからなかった)を買い急いでいる。
「どうします?」
その列を眺めながら、長谷部は意見を求めた。普通に考えてここで黒服に賭ければ、ほぼ確実に儲かるだろう。・・倍率は低いだろうが。
「どうするってお前・・、三谷には悪いがそりゃ黒服に・・・。」
やはり香西課長も同じ意見で、残りの資金30万円ほどを握りしめ、列に並んだ。香西が並んでいる間、長谷部は三谷の様子が気になり、金網のギリギリまで近づき、確認した。間違いない、何度見てもやはりあれは三谷そのものだ・・・。リング内を凝視しているとふと三谷と目が合ったような気がした。長谷部が声は出さないで大きな口を開け、ミタニッ、と呼びかける素振りを見せると、三谷はどうやらこちらに気がついたようで、金網に向かって歩いてきた。いったい何をするのかと思いきや、外の観客に向かってパフォーマンスを始めたのだ。コーナーポストによじ登り、胸を叩いて腕を上げ、毅然とアピールする姿は、完全にプロのレスラーそのものだった。そんなマスクマンを眺めながら、あぁ、だからプロレスなのか、とくだらない事が頭によぎっていたその時だった。三谷はコーナーポストから大きくジャンプしたのだが、着地に失敗し、長谷部の目の間で大きくこけて倒れたのであった。それを見た会場からはドッと笑いが溢れている。おいおい、大丈夫かよ・・・。いよいよ本気で心配になってきて、目の前の倒れた三谷に目線を合わせようと中腰になったとき、
「俺に賭けろ。全額だ。」
耳を疑った。しかし、三谷はそう言ったのだ。その声は、おそらく他の客には聞こえていない、僅かなボリュームだったが、確かに三谷は長谷部の顔を睨み、そう命令したのである。三谷はすぐに起き上がり、頭をかきながら、リング中央へと戻って行った。
「なんてこった・・。」
長谷部は人ごみをかき分け、猛ダッシュした。途中、富豪達の高価な靴を踏んでしまった感触がゾッとさせたが、今は立ち止まっている場合ではない。呼び止められたかどうかも確認せず、突き進んだ。群衆の隙間から香西課長が見える。ちょうど封筒から残りの金を数えて、全てディーラーに差し出しているところであった。
「ちょっと待てっ!!」
長谷部が大きな声をあげると、ディーラーは顔を上げ、香西課長もこちらを振り返った。長谷部は急いで駆け寄り、怪訝な顔をしている香西課長から現金を摘み取り、目の前のディーラーに叩きつけた。
「挑戦者に30万?だっけ?・・まあこれ全部、よろしく頼みます・・!」
ディーラーも、香西課長も、その場に居合わせた他の客すらもポカンと口を開け、その時の長谷部を見ていたに違いない。自分自身、どうしてそんなことをしたのか、全く
分からなかったが、とにかくその時は、ここで博打に出なければいけない気がしたのである。勝負師の勘というか、良く言えばそんなものだ。しかし当然、三谷が勝つ根拠なんてものは全く答えられないのだが・・・。
 香西課長は、試合が始まるまでの間、ずっと長谷部を責め続けるか、一人でブツブツ何かを口走っていた。俺の30万が、とか、もう終わった、とか、そのような類の言葉を。そんなこんなで試合開始時刻は迫り、モニターにはオッズが表示された。その画面を見た瞬間、香西課長は腰を抜かしてしまったのか、その場に座り込んでしまうのであった。
「うっそー・・まじかよ・・・。」
見間違いかと思い何度も画面を確認したが、それは紛れもなくホンモノだった。チャンプの3分以内の勝ちに1.5倍、10分以内の勝ちに1.08倍と、圧倒的に三谷に賭けている客は少ないのである。そして三谷が単純にチャンピオンに勝った時の倍率は・・・なんと57倍。30万円かけたら、1710万円になる計算だ。
「香西課長、祈りましょう、信じるしかない・・。」
実際、長谷部も、このジェスコ内にいる他の富豪同様、三谷は数分以内にペシャンコに潰されてしまうものだと考えていた。せめて命だけでも助かれば・・というのは決して大げさではない。ここは地下カジノなのだ。死んでしまってもそのまま埋められるか港に沈められるか・・きっとなかったことにされるに違いないのである。
 パチンッ。急にカジノ内は真っ暗になり、その後、金網の中に吊るされた、シーリングライトが、リング内を眩く照らした。いよいよ試合開始である。
「頼む、頼むぞー・・。」
カーンッ。どこからともなく景気の良い音が聞こえ、三谷と黒服、二人は睨み合った。そのままリング内をぐるりと一周回る両者。と、最初に仕掛けたのはやはり黒服だった。ズンズンと三谷向かって距離を詰め、それに合わせ後ろに下がる三谷を、金網付近まで追いつめると、間合い1.5mあたりから一気に走り出し、その巨体からは考えられない高速ラリアットを繰り出した。
「ヒィ!」
三谷はヒラリとそれを右にかわし、また距離を開けた。黒服の腕は金網を突き抜けていた。
「おいおい、アミアミの意味よ・・。」
最前列で見ていた長谷部は手汗びっしょり、足はガクガクだった。一瞬でも俺でもこんな場面が訪れたらうまく立ち回れると思っていた自分がいたが、そんなの無理である。これはあれだ、川に飛び込むとき、外から見てると気持ちよさそうで簡単に見えるが、いざ飛び込む瞬間、当事者になったら、その高さに足が震えて、身動きがとれなくなるあれだ。
「へいへい、こっちだこっち。」
三谷は笑顔で黒服を手招きまたも攻撃を誘った。今度は動かず三谷の前に立ちふさがっている。
「デクの棒めが・・オーケー、わかったよ。」
ため息をついて肩をすくめた三谷、次の瞬間黒服めがけてダッシュ、黒服もそれに合わせて腕を出そうとする、そこで、
「うおおぉ!」
三谷は触れるか触れないかの瞬間でジャンプし、黒服の顔面めがけて膝蹴りを入れようとした、が、それには身長差があまりにも大きかった。完全に黒服の間合いに脚が入ってしまい、左手で三谷の右足はガッチリとキャッチされてしまった。次の瞬間、
「フンッ・・!」
そのまま片手で三谷をブン投げたのだ。マットに叩きつけられた三谷は、ボールのようにバウンドした。どうやらこの地面はそこまで固くないらしい。悲鳴を上げてはいるものの、三谷はすぐに起き上がり、踏みつけようと追撃する黒服を避け、体勢を立て直した。
「ちくしょう、こいつ・・。」
三谷は近づいてくる黒服にくるりとUターンし、背を向け走り出した。
「うわーー!」
逃亡する三谷はそのままフェンスによじ登り始め、それを黒服も追い、登り始めた。
「こりゃすごい絵面だな・・大丈夫かよ・・。」
すごい速さで天井付近まで到達した三谷。追っていた黒服だが、流石に猿のようなフットワークにゴリラは追いつけないというものだ。
「ハハ、ルール無用のデスマッチだったなおい?」
と、三谷は不敵な笑みを浮かべると、いきなり天井にぶら下がっている照明に向かって、本気のグーパンチを叩きこんだ。パリーンッ、ガシャン。
「いってえ、クゥ・・!」
割れたガラスは飛び散り、一部黒服にもヒットした、が、それはかすり傷にもならず、黒服は速度を変えず、ズンズンと登り詰めてくる。
「くー!」
三谷は痛そうにしつつ、同じように4つぶら下がっている照明を順番に破壊していった。うんていのように金網の天井を移動しながら。最後の照明のみになったときには、黒服も追いつき、天井にぶら下がっていた。
「なんだか不気味になってきやがったな。」
香西課長は消え入るような声で呟いた。リングを、この会場を現在照らしている灯りは、もうこの白熱灯一つだけなのだ。薄暗くなっていくリング上・・そして。
パリーンッ。遂に暗闇が訪れた。場内からどよめきが起こる。次の瞬間。
「グワアアアアアァぁ!!」
闇に響き渡ったドスの効いた叫び声。これは・・どっちの悲鳴だ・・?
「三谷!」
長谷部が思わず呼びかけると、カジノ内の通常照明が点灯した。そこに浮かび上がってきた光景はなんと、
「クウゥゥ・・!」
目をおさえて転げている黒服だった。その隣でサングラスを拾った三谷が見下ろしている。
「はっは、オッサンよ、こんなもんかけてたらそりゃ暗くなったら何も見えねえだろうよ。」
どうやら黒服は照明が落ちていったとき、グラサンのせいで何も見えなくなっていたようだ。そこに三谷が奇襲を・・?
「なんと・・目が弱点だったのか?」
香西課長の震えもいつの間にか止まっていた。よく漫画やゲームで、強力なボスの弱点は、その風貌の特徴から推測できるが・・今回もそのパターンだったってことか?
「うーん・・。」
何か釈然としない長谷部だったがこの際まあいい、三谷、やっちまえ。
「うらあ!」
三谷はすぐさま、うずくまる黒服に腕挫十字固めを綺麗にきめ、完全に、技あり一本!状態に追い込んだのであった。
「ひゅー、あいつ柔道やってたのかね。」
香西課長も今やすっかり感心してしまっているようだ。これで勝負あったかのように見えたが、次の瞬間――
「ぐおおおおおおお!」
黒服は立ち上がった、腕に絡まる三谷ごと、だ。
「えええええ嘘だろおおおおいい――!」
そしてそのまま三谷をぶら下げたまま、黒服は自らの腕を無理やり曲げたのだ。通常ではありえない、完璧にきまった腕十字を外すなんて――黒服の肘の力が三谷の背筋力を上回ったとでもいうのか・・。
「三谷!外せ!!」
長谷部はつい叫んだ。黒服、こいつは三谷を地面にたたきつけてそのまま押しつぶそうとしている。
「こいつは・・まずい・・・!!!」
三谷も長谷部の声が届いたのかそうでないのかは分からないが、同じ事を感じたらしい。サッと関節技を自ら解き、後ろへジャンプした。
「ちっ、この怪物がよぉ・・。」
三谷の声を聞いた黒服は、三谷に向かって突っ込んできた。どうやらもう、視力がないようだ。
「おっと、あぶねぇ。」
三谷は突撃する肉弾をヒラリとかわし、黒服は金網へと突っ込み、いよいよ身動きが取れなくなってしまった。
「はっはっは・・・こりゃいい。」
三谷は未だかつてないくらいの悪い笑みを浮かべ、胸より上が金網の外へ出てしまい、もがいている黒服に歩み寄った。
「まだやるかい?」
三谷がそう聞くも、黒服は言葉にならないうめき声を叫ぶだけだった。三谷はやれやれと言わんばかりに首を振るが・・・そこでまさかの香西課長が一喝した。「そいつは人間じゃねえぞ!油断すんな!!」
長谷部はハッとした。そうだ、こいつは殺しても死なないような奴だ。三谷も思い直したようで、
「わかってるって・・!」
黒服に向かって飛びかかり、通常の格闘技で禁止されてる背骨への強烈なエルボードロップを仕掛けた。
「グウウウウゥゥ・・!」
「オラオラオラァ!死ね!」
その後も間髪入れずにバッキバキに腰が折れるまで踏みつけ、頭突きし、執拗に攻撃し続けた。骨の砕ける音すら、観客の耳に聞こえてくるほどに、場内は静まり返っていた・・。
「なあ、長谷部。」
「はい、課長。」
「三谷が敵じゃなくて、良かったな。」
「ええ、そうですね。」
「だよな。」
これではどちらが悪者か分からない、そんな場面に差し掛かってきたころ・・・。
カンカンカーン!ゴングは鳴ったのであった。

ガラスの破片が見えたって?
結果でオーライ
勝てば誰でもヒーローさ

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