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第12章 セカンドチャンス

 4畳半ほどの洋室は、外の寒さとは裏腹に、異様な熱気に包まれていた。
「・・・これ案外イケるな。」
明らかにしなびた饅頭をほおばり、三谷は壁にもたれかかっていた。香西は無表情で椅子に座り、机に肘を乗せ頬杖をついている。くたびれた野郎どもが三人、各々の時間を過ごしていた。時計の針は既に1時15分を指している。もう深夜だ。香西課長の書斎、というのにはあまりにも粗末すぎるこの小部屋に、長谷部たちは潜伏することになったのだが・・。
「なあ、どうするよ。」
食べかけの饅頭を片手に三谷が口を開いた。香西は聞こえているのだろうが、彼の方も向かず、天井に目を移した。
「どうするって、えー、これから?」
香西が口を開く素振りを見せないので、長谷部が返事をした。しかし、三谷の問いかけの意図は今一つわからない。
「それ以外に何があるんだよ。」
三谷は半分ほどになった饅頭を一気に口に放り込み、モゴモゴしている。
「うーん・・、とりあえず警察に相談するか?」
「いや、それはないだろ。」
長谷部の提案に三谷は即答した。
「あ、そう・・。でもさ、このままだったら俺たち消されちまうぜ?あの黒服みたいなのが他にゴロゴロいるとしたらよ・・。」
想像するだけでもゾッとする。あの連中は店の外まで普通に追いかけてきたのだ。それほどまでにカジノの存在を知られてはならないということなのだろうか・・。そんなことを考えていると、三谷は表情を険しくして長谷部に顔を近づけた。
「考えてみろよ?もし今サツなんかに相談してみろ?カジノの存在をどうやって説明するんだよ。」
「ん?普通に通報したらよくない?」
長谷部は間の抜けた顔をして即答した。それだけで全てが丸く収まるというものだ。
「馬鹿野郎!それじゃあもう二度とカジノに入れねえじゃねえか!!」
三谷がいきなり大きな声を出したので、香西は椅子から転げ落ちそうになり振り返った。長谷部もなんで怒られたのか分からず、えー・・、といった表情で、ただただ三谷の顔を眺めていた。
「新しい潜入ルートを確保しねえとな。俺と長谷部の顔も割れちまったし・・。」
「えっ、潜入ルート?」
思わず聞き返してしまった。最初、三谷が何について話しているのか、長谷部には理解ができなかったのである。
「えっ?ってなんだよ。あ、もしかしてもういい案思い浮かんだとか?」
おいおい何を言っているんだこの男は。もしかして、また『ジェスコ』に行こうというのか。
「あー、いや・・、あの、間違ってたらごめんなんだけどさ。」
「なんだよ。」
「カジノに侵入する話してる・・?」
恐る恐る尋ねてみた長谷部だったが、聞くまでもなかったようだ。三谷は満面の笑みを浮かべている。
「おう、他に何があんだよ。」
どうやらこの男本気のようだ。長谷部がいよいよ返事に困っていると、突然ノックもなしに部屋の扉が開いた。あまりに急な出来事に、香西課長を含めた三人は思わず身構えてしまった。この数時間のうちにすっかり警戒心が強くなったようである。
「・・・。」
そこには無言で女が立っていた。香西課長の娘であろうか、いや、それにしては似ていない、そこそこ端正な顔立ちをしている、が、香西のように長身であるその高校生ほどの女は、ツカツカと香西の座っている机へと近づいてきた。他の人間を避ける素振りなんて全くなかったので、圧倒された長谷部と三谷は、その女から逃げるように部屋の隅へと移動した。
「あ、ああ、これは俺の子供だ。はは、望美ってんだ、うん。」
誰にも頼まれていないのにたどたどしく娘を紹介し始めた姿は、明らかに動揺していた。と、次の瞬間、その娘である望美は、何か手帳のようなものを机に投げた。
「え・・?」
固まったままその投げられたものを覗く三人の男達。それはどこをどう見ても、『預金通帳』であった。香西課長は、おそるおそる望美の顔を見上げようとした。
「40万。」
「えっ?」
「40万あるから。それ元手に勝負してみたら?」
耳を疑うようなことを望美は口走ったのだ。ますます男達三人は固まってしまった。
「あの、これって・・?」
長谷部が恐る恐るなにか質問しようとしたのだが、何から聞けばいいのかわからない。この女、どこまで知っているんだ・・?しかし望美はそんな長谷部たちの心を見透かしているかのように、話を続けた。
「茶店で恐喝されてたところから全部聞いてたよ、多分。・・ジャスコで捕まりそうになったとき助けてあげたでしょ?」
「えっ!まじで?」
三谷は本当に驚いた顔をして、思わず素のリアクションをとってしまった。長谷部も心の中では全く同じ衝撃を受けていた。なんということだろう、全く気がつかなかった。もしかして尾行されていたのか・・?
「ど、どういうことだ?つけてたのか?」
香西課長が慌てて質問をするが、望美は呆れた顔で彼を見てため息をついた。
「つけるも何も私あそこでバイトしてんだけど・・。気がつかなかったのかよ・・・。」
まさかのまさかである。あのジャスコ4階の寂れた茶店、そこで注文を取っていたのも、レジを打っていたのも、全てこの課長の娘である、香西望美であったというのか・・。長谷部と三谷はもちろん、父である香西課長・・。きっと全く気がつかないほど動揺していたのであろう、気の毒な男である。
 望美はその後、茶店からジェスコ脱出まで、長谷部たちの、活躍(望美本人がそういっていたから仕方ない)を全て話してみせた。
「ってことはさ、あのとき何か割れるような音がしたのは・・?」
長谷部がふと、不可解だったあの紳士服売り場での出来事を尋ねると、望美は初めてニヤっと笑った。
「うん、あれはさすがにこっちもヒヤヒヤしたけど。」
なるほど。そういうことだったのか。あの茶店を後にしたときの突き刺さるような視線や、洋服のワゴンセールの中に隠れているとき、近づいてきた守衛の気を逸らしてくれたのも、全てこの望美が近くにいたからなんだ。それが分かって、ほっとした反面、この高校生、大した度胸してるな、とも感心したのであった。
「まあ私は閉店作業してたからね、別にジャスコの中歩いてても全然怪しまれないし。」
なるほど、この口ぶり、どうやらかなりのベテランアルバイターである。
「ところで、その香西課長さんの娘さんが、こんな40万も出してくれるなんて、いったい何企んでやがる?」
三谷は単刀直入にそう切り込んだ。やっと本題に戻ってきたところで、望美はいきなり声を大きくして笑顔を見せた。
「何って?そりゃあカジノときたら賭ける金がないと始まんないでしょ!」
「そりゃあそうだけど・・。」
三谷すら圧倒されるほど当たり前のことをストレートに発言してきた。なんだかこの女の言葉は、学生時代の林のような、突き刺さる物言いだった。
「見たところ三人ともあんまり現金もってなさそうだし・・、これ使って勝負してみたら?」
「うっ・・・。」
「・・・。」
沈黙だ。誰もが沈黙した。図星なのである。ここにいる男共全員、全くと言っていいほどキャッシュなんて持っていなかった。
「・・えーっと、まあそういうわけだから、これでカジノいってみよう、ね?」
予想以上に場の空気が固まってしまったので、望美は言い回しを変えて、三人に語りかけた。
「いやあ、それは分かったんだけどさ・・。」
「ん?」
「だからってそんな大金、俺たちに預けてあんたに何の得があるんだ?」
長谷部が疑問を投げかけると、またも望美は目を輝かし、喋りだす。
「単純に面白そうだからに決まってんじゃん。バイトしてた寂れた茶店の地下にカジノだよ?そんなの本当にあるんだったら賭けてみたいじゃん!」
なんということだろうか、今目の前にいるこの女子高生は、何ヶ月も働いて貯めた40万円という血と涙の結晶なんかよりも、カジノでドンと増やしたあぶく銭、それも勝つかどうかなんて全く謎の見えない金の方が、価値があると言っているのだ。
「だ、だからって、こんな怪しい男達にそれを託すのか?」
長谷部が食い下がると、望美は香西課長の方に目を移した。
「どうせ借金漬けで人生ゲームオーバー寸前なんでしょ?だったらドーンとやっちゃいなよ、失うもんなんてもうないんだから。ね?」
香西は娘の顔を見れなかった。うつむいたまま、拳を握っていた。そうか、これが若いってことなんだ。長谷部はハッとした。久しく忘れていた思考だった。そうさ、失うものなんて――いつからだろう、くだらない毎日の結果より、圧倒的に面白い冒険の方を選べなくなったのは。
「そんなチャンスが貰えるってんなら俺はもちろん大歓迎だぜ?まあ大勝ちしたら望美ちゃんに全部返して、そこから少しこずかいでも貰えるってんならなおよしだけどな!」
三谷が謙虚ながらに成功報酬をせびっている横で、香西課長はうつむいて動かなかった。さすがに自分の娘に全てを知られたうえで、金まで借りるなんて、精神的に辛いのだろう。
「香西課長・・、無理はしないでくださいよ。」
長谷部は課長の肩に手を置いた。
「どうすんの?」
望美は答えない香西にイライラしている。三谷はそれを見て諦め顔だ。
「ダメだよ、このオッサン燃費悪い車動かしてもう空っぽだからさ。」
三谷の言い方も心もとないが、もう誰が見てもそんな空気だった。しかしだ。
「・・いや・・・いこう。」
「えっ。」
香西はすくっと立ち上がり、長谷部の方をじっと見た。
「どうしたんですか・・?」
長谷部は真面目な顔をした香西課長に見つめられて焦ってしまった。
「見ちまったんだよ。」
「はい?見たって何を?」
「・・支店長を。」
その答えを聞いたとき、不覚にも、長谷部にも香西と同じ感情が生まれてきた。
「支店長は、あのカジノに出入りしてる。あの野郎、あそこで遊んでやがる。」
珍しく香西課長は語気を荒くして歯を食いしばった。微かに震えている。
「こんなチャンスがあるなんて・・ふふ、思いもしなかったぜ・・ふ、もう失うものなんてないよな、そうだよな?」
まるで自分に言い聞かせるように質問してきた香西課長は、少し不気味だったが、力にみなぎっていた。やはりそういうことなのだろうか。
「課長・・やるんですか?」
長谷部は恐る恐る聞いた。香西は今までにない悪い笑みを浮かべた。これでもう答えは出ていることは、はっきりした。
「ああ。リベンジだ。支店長を討つ。」
「討つって・・。」
事情が分からない三谷と望美はポカンとしていたが、長谷部には討ちたい気持ちが痛いほどよく理解できる。そうだ、あの支店長から長谷部も、そして香西課長はその10倍、人としての尊厳を蹂躙されてきたのだから・・。
少しばかり香西課長がおかしくなってしまったのはさておき、長谷部たちは、全会一致でジェスコへの再挑戦を誓った。その後、望美も含めて皆、未知のカジノへの期待で盛り上がった。この奇妙なメンバーで、すっかり打ち解けたのである。
「俺みたいになるなよ。」
そんな中ふと、長谷部は望美に呟いた。
「ははは、なにそれ。」
軽く流された長谷部だったが、割と本気でそう思っていた。こんな尖った女子高生もまた、あと数年たてば普通に大学に行き、普通に就活をし、退屈な日々に溺れるのだろう、それに満足するかしないかは知らないが。
その直後だった。香西課長が、長谷部の目を見て、囁いた。
「俺みたいになるなよ。」
グサッときた。いつの日からか過去を想って生きていた。自分はまだ、若かったのである。

結局そのあと寝ないで騒いだ、朝まで。いつだって自由になりたかっただけなんだ。そうだろ?

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