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第2章 旧友たち

残業で遅くなった長谷部が旧友たちのいる居酒屋に到着したのは、夜9時のことだった。
大学時代からこの店の存在は知っていたが、実際にはいるのは初めてである。入口は狭く、入るとやや薄暗い。狭く、しかし、向こうに目をやると、奥行がある店内は手前がテーブル席、奥の方に座敷席があるみたいだ。テーブル席の一番奥、そこで岡と林は既に晩酌を始めているのであった。
「おー!長谷部!遅かったな!はっは、元気にしてたか?」
長谷部に気がついた岡は、上機嫌な様子で、手を大きく振っている。いきなり大声を出した岡に驚いて、手前に座っていた林も振り返った。
「おう、久しぶりだな。」
長谷部は岡とハイタッチをし、隣に腰掛けた。岡は2年ぶり、林は一年ぶりの再会だった。
岡とは、彼がアメリカに留学する直前のクリスマスパーティで飲み明かしたのが最後だ。岡の豪邸でのホームパーティ、長谷部はそのときのことを思い出していた。
ソファに深くもたれかかった岡が、足を組み、飲めもしないのに、グラスでワインをくゆらせながら語っていたシーンが目に浮かぶ。
『いやー、ちょっと視野を広げようと思ってね!時代はグローバルだぜ?長谷部ちゃーん。』
そうか、岡もとっくに日本に帰ってきたんだなぁ・・。思い出し笑いをしていた長谷部を見て、岡と林は不思議そうな顔をしている。
「どうした?俺たちとあえてそんなに嬉しいのか?ん?」
岡は相変わらず楽しそうだった。視野は広がったのだろうか。
「長谷部、残業だったの?おつかれー。」
林はそう言いながらメニュー表を長谷部に渡した。今日は飲む気分でもなかったが、まあいいか。
「ほんとな、疲れたわ。はは。ありがとう。」
長谷部はメニューを眺めながら林をもう一度見た。少し痩せた様子で、大学時代は長かった黒髪を、バッサリ切り落としていた。目があったので長谷部は慌てて注文した。
「すみません、ねぎま2本とハイボール。」
林は小学生のときからよく遊んでいた岡とは違い、子供のころはあんまり仲の良い方でもなかった。
しかし、中学、高校と別々の中、大学がなんと同じで、岡がアメリカに行くちょっと前、3年生のときに食堂で偶然遭遇して以来というもの、たまに地元の皆で遊びに行くような仲になった。小学生の時から変わらず、真面目で頼れる優等生だ。・・たまに頭が固くて面倒だが。
しかし、岡は留学していたので、林とは、小学校卒業以来ほとんど会ったことがないはずである。
長谷部がそんなことを考えていると、
「あ、岡くんと不二家の前でばったり会ってね、立ち話してたら盛り上がっちゃって。そしたら岡くんが長谷部も誘って今日飲みに行こーって。」
なるほど。聞いてもないのに説明してくれるあたりが林の気の利くところだと長谷部は思っていた。
久しぶりの再会に、しばらくぎこちない会話が続いていた長谷部だったが、料理も来て10分もすれば、すっかり打ち解けていた。
「へー、長谷部が証券マンね~、にあわねーな、おい。株売ってんのか?」
「ん?あ、おう、」
長谷部は昼からろくに食べておらず、お腹が空いていたので焼き鳥をほおばりながら生返事をした。
「ねえねえ、やっぱり証券ってお給料いいの?」
よくある質問だな・・。しかし、林がお金のことを聞いてくるのは意外だった。
「んー、うちみたいな小さいとこはそんなもらえないよ。大変なだけ。はあ・・。」
ため息が思わず出てしまった。
「おお、リアルなため息。長谷部も社畜なんだな、ぐずん。」
岡がからかってくる。長谷部からしたら未だ働いておらず、将来継げるであろう実家の事業がある彼が羨ましかった。
「やめようぜー、仕事の話は。・・林は何してんの?」
くたびれた様子で長谷部は話をそらした。
「私はね、今、そこの市役所で働いてる。」
「えっ。」
長谷部にとっては予想外の答えだった。大学時代そんな事、一言も言ってなかったのに。
「家から10分、有休使い放題。うーむ、プライベートが充実しますねえ。」
岡は自分が一番自由なのをわかっていて、そんなことを言っている。
「まあねー、でも家帰ってから暇だよー。なんか中途半端な時間になるんだよね。5時上がりでも」
5時上がり、なんという眩しい言葉なのであろう。少なくとも今の長谷部にはこの言葉を嫉妬なしで受け止められるだけの心の寛大さはなかった。
「おまっ、5時に帰れんの?え?うそ?」
長谷部のリアクションがあまりに大きかったからか、苦笑いをする林。
「うん、毎日ってわけじゃないけど。まあ水曜日は習い事だし、早く帰れるようにしてるー。」
うそだろ、うそだろ?長谷部は世間の常識というものがわからなくなっていた。少なくとも岡は非常識だ、特別だ、ひと握りの男だ。ここまでは理解できているつもりだった。だけど、林・・。
長谷部は追加で日本酒を頼むと、そこからどんどん飲んだ。
「岡はどうすんだよ、これから。」
長谷部が聞くと岡は大げさに腕組みをして考えた。
「んー、そこなんだよな。やっぱり海外で働くのもいいなーなんて考えちゃったりしてんだけどさ、そうなると実家のこととか色々面倒じゃん?迷うよなー。」
長谷部にはどこまで本気かわからなかった。実家の事業について考えているというのがまず意外だったが、それ以上に、まずお前英語しゃべれるようになったのか?とか、働く気あるのか?とか、そんなことをツッコめずにいた。
「いいよなー、お前は、好きなことして失敗したら最悪、家つげばいいんだからさ。」
酒も回っていたので思わず本音が出てしまった長谷部。しかし、岡は気にすることもなく笑っている。
「まあなぁ、だけど自営業ってのも大変だぜ。いろいろ親戚づきあいとか面倒だしよ。世襲ってなるとどうしてもウエットでな・・ドロドロよ。」
そういえば長谷部は岡から祖父が亡くなった時の話を聞かされたことがある。遺産相続でもめにもめたとか。
「ふーん。それでもお年玉何万も貰ってきたんだからいいじゃん、親戚。それに岡はそんなのあんまり気にしないんだろ。」
長谷部は岡と10年以上の付き合いなので、なんでも言いたい放題だ。横で聞いている林が、長谷部の態度にいちいちハラハラしているのが、なんとなくおかしかった。
「もちろんよ!俺は俺の好きなことをするだけよ。結局人生一度きりだからな!ははは!」
人生一度きり――今の長谷部には笑って流すには重い言葉だった。自分は、一度きりの人生を何に使っているのだろう。ふと顔を上げると、林と目があった。林は苦笑いをしていた。少しくたびれた、そんな笑顔は、何を考えているか、長谷部にはわからなかった。

 話が盛り上がり長谷部の終電時間になった。財布を出し、会計を済ませる体制に入ると、なんだか急に虚しくなってきた。いつもそうだ。この1000円札3枚のために、それのために、平日のくだらない2時間分を我慢して働いている、そんなことを考えてしまうのだ。しかし今日は、間違いなくそれだけの価値がある再会だった。でも、それでも、なにかもやもやするものが長谷部の中にはあった。もちろん、明日も仕事だということも、忘れることのできない絶望的な要素だ。

駅まで送ってくれた二人であったが、帰り際、林が改札に入ろうとする長谷部を呼び止めた。
「あ、長谷部!来週土曜日の同窓会来るの!?」
同窓会?おい、待て、そんな事一言も聞いてないぞ。
「そうだそうだ、忘れてた!くるよな?長谷部!」
岡もニヤニヤしながら聞いてきた。ああ、そういうことか、こいつが幹事なんだな。
「お前俺呼ぶの忘れてただろ!バカヤロー。」
どうやら図星のようだった。
「わりいわりい、どーせすぐ会うと思ってたから長谷部招待するの忘れてたわ。はは。」
そう言うと岡は頭をかきながら、カバンの中から取り出したチラシを長谷部に手渡した。
「これ、ここで3月21日にやるから。空けとけよ。」
チラシを見ると、貸切OKの居酒屋の写真が載っていた。
「小田島くんのお父さんが新しく開いたらしいよここ。是非使ってくれって。」
林が写真の隅を指差しながら教えてくれた。そこに小さく写っているのは、腕組みして快活な笑顔を見せている50代くらいの、少し禿げかかった、しかしナイスミドルというのにふさわしい、そんなオヤジ。まちがいない。これは小田島の父である。
「ほえー、でもあれ?小田島の親父って銀行員じゃなかったっけ。」
たしか小田島は転勤族で、小2のときにこっちへ引っ越してきて、それからは父だけが単身赴任で日本中を飛び回っていたはずだ。
「ああ、脱サラしたんだってよ。昔から自分の店が持ちたかったらしいぜ。」
やれやれ、といった具合に岡が付け加えた。そうか、なるほど。子育ても終わり、第二の人生ってやつだな。長谷部は自分の父を想像して、落胆した。ヤツがそんなことをする姿が想像つかなかっからだ。長谷部の父は、人生送りバント、Theサラリーマン、無難に、しかし、普通の幸せを確実に掴んだような、まさに日本人のかがみなのである。
「幸せだよね。この歳になってようやく自分のしたいことができるようになったんだから。」
林は感心している。
「まあ、ちゃんと家庭持って、無事子供も巣立って、あれだな。普通の幸せプラスαって感じか。言うことないねえ。」
岡はわかったような口ぶりで解説する。と、ここで最終電車の音が聞こえてきた。
「まあそういうわけだから、また同窓会でね。」
時計を見た林はそう言って、長谷部に手を振った。
「おう、多分何もないから行くわ。」
長谷部は改札を通り、ホームへ向かおうとした。しかし、岡がなにか叫んでいるので振り返ってみる。
「そういえば三谷先生も来るって言ってたぜ!楽しみだな!!」
そうなのか。長谷部は不意に、今朝みた夢の内容を思い出したが、もう岡たちには伝えられなかった。電車がきてしまったので、二人に曖昧な笑みを向けて、頷き、ホームへと走った。
 疲れきった上に酔いが回った長谷部は、空いている席にもたれかかり、うなだれた。
「普通の幸せ、か。」
そんな独り言をつぶやくと、隣の女子大生二人組が、露骨にニヤニヤしていた。聞こえたか、まあいいか。長谷部は急に孤独な気持ちに襲われて、目を閉じたのであった。

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