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新しいものと出会うこと

人様のエッセイを読むのが好きだ。
日々のちょっとしたことから、その人の人生の哲学みたいな内容まで。文量もさらっと読めるものから、どっしりとしたものもある。どれも、著者の生活や人生をのぞかせてもらっているようで楽しい。

Twitterやnoteができて、そういったエッセイ的な文章を読む機会が増えた。いわゆるエッセイストではない人たち、通常であれば出会うことがないであろう市井の人々の日常や生い立ちに触れる機会も増えた。
新しい人との出会いは、RTで回ってきたり、特集されているといったきっかけが多い。上手い下手ではなく、単純に好きかどうかでフォローをしたりしなかったりする。
先日、よく読む人や、同じ内容でも繰り返し読んでしまう人たちのバックグラウンドを見てみると、もともと出版関係のお仕事をされてた方が多くて、「やっぱり書き方の妙があるんかな」と思っていた。
けれど、当然出版関係や書籍に関する仕事を生業にしていないけど、大好きな人たちもいるわけで。何か共通点があるのか、それとも特にないのかしら、と考えていたら、それっぽいものを発見した。
みんな、読書家なのだ。

やっぱりインプットが豊かだとアウトプットも豊かになっていくのだ。
自分も見習っていろんな本を読みたいと思うし、大好きな本もたくさんあるのだけど、どうにも昔から「新しい物語」が苦手だ。
共感羞恥心(という名前があることをここ数年で初めて知った)がある上に、その感情の揺れにあんまり強くないこともあって、新しい物語に入り込むのが結構ハードルが高い。
新しいお話では、主人公や自分が感情移入しやすいキャラクターにものすごく酷いことが起きるかもしれないし、過去の自分の辛かった気持ちを呼び起こすような内容が入ってるかもしれない。というのが、知らぬ間にものすごいブレーキになってしまう。
けど、物語を読むことが大好きだから、そのブレーキと戦いながら新しいものを読んでいくのだ。
読み始める前、特に購入するところのハードルが高くて、買ってしまえばこっちのもの。読み始めるとページをめくる手が止まらない。そして、また一つ「私の知ってるお話」が生まれて、私の世界は豊かになっていくな、と実感する。

このハードルがもっと低ければ、もっともっとたくさんのお話に出会えてるんだろうなぁ、と思うと悔しく思うこともかなりある。もっとさらっと読めればいいのに、と思いつつも、ここまで毎回きちんと受け止めようという謎の姿勢で読む人もめずらしいのかもしれないし、それはそれで稀有な経験なのかもしれない。

おいしくお酒飲みます!ビール!