2011年3月11日の私のこと


を書き起こしておきます。

年月が経つにつれて、あの日あの時のことを忘れていってしまいそうな気がしてきたからです。もう覚えていないことも多い。こうだったと思う、みたいな文面ではありますが。

今書き起こして、これからの私に繋げてみたいと思います。


(※思い返しながら、その時の心情や光景などを言葉にして置いていきました。文章力に自信はなく、これを読んだ時にどんな影響をもたらすかわからないのですが念のため、震災の時のショックがある方、またそういった事に敏感な方は、今読むのはやめておいてもいいかもしれません。

私のことをよく知っていて、大丈夫、私のお話に興味がある…という方はどうぞどうぞ。)




その日、私は高校の卒業式でした。


まず正直学校での出来事をあまり覚えていないです。困った。

友人に聞いたら思い出すかもしれない、、、後で加筆しよう。


卒業式の後に、当時組んでいたバンドの仲間や友人と馴染みのライブハウスで集まろう。という約束をしていたはずです。

式を終えて落ち着いた頃には学校を出て、一旦荷物を置きにライブハウスに比較的近い兄の家に向かいました。兄はその日外出していたのですが、何か用事があればいつでも入ってもいいように実家で合鍵を1つ預かっていたので、荷物を置きにいくことを伝えてその合鍵をもらってきました。

兄の家にはよく出入りしていたもので。学校からいつもの流れで電車へ。

お昼すぎ、中目黒行きの地下鉄日比谷線はあまり混んでなくゆったりと座れました。電車で寝るの好きだったので、荷物抱えてうとうとしていたと思います。広尾駅に到着しドアが開いたその後でした。

電車が大きく揺れます。びっくりして起床。変な地響きのあと、電車は横に揺れ外で数人がわざと揺らしているかのような感じだったと思います。イヤホンをしていた私は揺れた時に外し、車内アナウンスで電車が停止・安全確認をする。車内が安全である。ことを知ると再びイヤホンを耳につけ音楽を聞いていたと思います。

どうやら地震であることはわかった。とりあえず待っていよう。

手に持っていたのは今でいうガラケー、携帯を開きTwitterなどをチェックする。これが当時、地下鉄の環境で電波が弱かったせいなのか、一斉に通信を使い出したせいなのか、定かではないがとにかく更新がされない。わずかに入ってくる情報と、知人からの「ちげちゃん大丈夫!?」というメッセージ。応えようにも送信もなかなかされず少し諦め気味でした。



ある程度、時間が経ちました。電車は一向に動かない。

一緒に乗車していた周りの人たちも、降りていき少しずつ減っていきました。その場の空気で「運転再開はかなり先になりそう」というのを感じ始めた頃

とりあえず外に出よう

そう思って、数時間座っていた席を立ち電車を降りる。ホームの一番端にある階段を上がると、確か、改札前には困り果てたひとが数人がいて、ざわざわとした空間になっていたと思います。

駅員さんはアナウンスを続け、質問攻めに答えていたと思います。私もその中に混ざり、駅員さんに話しかけられるタイミングが来ると、

「すみません、ここから中目黒の方に歩いていきたいんですけど、どっちの方向へ行ったらよいでしょうか。」

そうしたら、すごく丁寧にわかりやすく道のりを教えてくれました。Googleマップなどなかったか、あっても私はそれを使える状態ではなかったかと思います。駅員さんは地図を広げ、出口を出たところから進む方向を示してくれました。とっても大変な状況なのに、とても親切でいいひとだったなーと思う。少しびっくりした顔をして「大丈夫?気をつけてね」って言われたのを覚えてます。


とりあえずいくしかないな。という気持ちで出口を出る。携帯のバッテリーが切れるのは嫌だから、近くにあったコンビニで単三電池で使う携帯用充電器を買って、それから歩き出しました。あまり道中のことは覚えていないが、おそらく同じように歩いて帰ろうとする人たちがたくさんいたと思います。


だいぶ歩き、恵比寿駅付近に着いたあたりでした。駅前は特に人が多い。お店がたくさんある明るい雰囲気が目に入ると、よかった、、もうひと息、がんばろう。と。

思った直後でした、その場にいる人々の携帯から一斉に鳴り出す。大音量の警報音。

私の携帯からもバイブレーションとともにウィーンウィーンと鳴り響き、立ち止まるとなかなかに揺れていることがわかる。見渡すと街中はガラス張りのビルが立ち並んでいる。メキメキと音も聞こえる。怖い。


そこで初めて恐怖を感じました。

地下空間でほとんど情報が入ってこない、何が起きているか、あまりわからないまま過ごしていたし、とりあえずなんとかなるだろう。がんばろう。と、

要するに知らぬが仏。謎の自信を保ったまま行動していたわけだがもうそれも終わった。「これはやばいかもしれない」歩く速度も自然と上がって緊張感がさらに高まる。「とにかく早く、帰らないと」


この日、兄の家にいく予定でいてよかった。普段は持ち歩いていない兄の家の鍵を持っていたから。

見慣れた街の景色が見えてきて、安堵とともに家の鍵をあけ、中へ入った。「ひとまず安心だ」たくさん持っていた荷物を置いて、そう気持ちを落ち着かせたが、間もなく飛び込んできたテレビの映像にパニックを起こした。 部屋でひとり、ただただ恐怖にまみれて大泣きしていた。


その後の記憶はあいまい。私は処理し切れないほどのショックなことが起こると身も心も拒否し出すようで、急に寝たりぼんやりして消し去ろうとする状態になったりするので、多分寝たんだと思う。でも確かなのは、当時のネットで繋がっていた人や家族や知人とのやりとりに救われていたと。



ここまでが、2011年3月11日の私のことでした。

翌日、運転再開が遅かったか、本数が減っていたか、落ち着いた頃を見計らって電車に乗り、家族の元へ帰りました。母の実家が岩手で、山側だったから津波の心配はないことは早い段階でわかっていたようでしたが、その後も心配と不安が続く日々でした。東北方面へいく交通手段がない時期が続いてた気がしますが、母はなんとか行ける頃には実家の様子を見に行っていた気がします。


10年が経った今でも、あの日のことを思うと恐怖が蘇ります。これだけでも恐ろしく思っているのに、震源地に近い地域の方々にとっては、今の私では想像もつかないほどの恐怖をその身で受けたと思います。

私は、忘れたい記憶は忘れてしまっていいと思っています。それとは別に、忘れたくない記憶や想いがあれば、それはしっかりと心にとめておいたらいいと考えます。忘れたくても忘れられない記憶は、きっと自分の中で生き続けると思います。


あの日に起きたことを書き留めておきたかったのは、あの時私が起こした行動、想い、出来事が、いずれまた自分に必要になると思ったからです。

毎年3月11日に「命てんでんこ」という言葉を発しています。

岩手の言葉です。

検索してその意図、その言葉がある経緯、ご興味があれば知ってもらえればと思います。私は改めてこの言葉を調べてみましたが、この言葉が伝える想いとともに、批判的な解釈をされる方も多いようで。確かにわからなくもない。というか、そうだよなという気持ちになりました。

ただ、その時自分が起こす行動・判断はそれでしかない。いくら事前に想定していたとしてもその場で「そうする」と判断したことはその人自身の思いであるから、どうこういうものではないはず。それと話は別で、

「いつ自分の身に起きてもおかしくないこと」である


私はこれまでに大きな地震を経験したことがなかったわけですから、あの時何も知り得ない環境で、ただ時が経つのを待っていました。これが津波の起こる危険のある地域だったらどうでしょう。私はそのことに気づき行動できていただろうか。

実際、今住んでいる地域はハザードマップの特に危険な区域に位置しています。私はもしものことがあった時、どう行動できるだろうか。

私が電車内にいた段階で「なんとかなるだろう」と思っていたこと。今思うととても信じられません。それはあの日を経験したからこそであり、それからは家族とも「もしも」の時があったら避難する場所はここ。たとえ連絡がつかぬともちゃんとそれぞれ自分の身の安全を確保すること。さまざまなことを話し合いました。

震災後に生まれたひとにとってはこのような話をされても、当時の私のように、現実味のない、夢のような話に思うのではないだろうか。この震災のことだけではない。それはまた、まわりまわって私にも、言えるお話でもあると。


「命てんでんこ」 今あるものを無くしてしまっては何もありません。年に1度でもいい、1時間だけでも。私がもしもの時にとる行動を想定して、その時何ができるか、それまでに何ができるか。1度考えておいてすぐ思い出せるようにしておいたら、それ以外の日々、時間は存分に生きていいんじゃないだろうか。そのために私は毎年この言葉を発しています。

本当に何が起こるかわからないものです。不安と隣り合わせでも、その不安と上手に生きていけたらいいなと、そんなふうに思っています。



ここまで読んでくださりありがとうございました。

私にとっての、東日本大震災を経験した上でのお話です。きっと日々考え方は変わって、また年月が経つと違った想いも生まれてくるかもしれません、その時は上書きをしていくことでしょう。それでも今の私の想いをこちらに残しておきます。

これを機に10年前に綴っていた日記を読み返しましたが、「ギター倒れてなかった!」と当時家に帰ってすぐさまギターの安否を確認しケースにしまっていた私がいました。ほんと。


何か、心に届くものがあったらば。