『いい人』僕の人間観と今日の夢

 最近は3時間寝ると必ず目が覚めてしまい辛い日々でした。今日も2時前に目が覚めてしまいましたが何とか二度寝に成功しトータル7時間程寝ることが出来ました。
 その2度目の睡眠でとても心地の良い、今の僕にとって大切になるだろう夢をみたのでその事を書こうと思います。
 
 夢の中でのそれは、思い返すと10分ほどの出来事ですが時間の流れはとてもゆったりとした、夕日の差し込む暖かい教室で小学校の頃のクラスメイト2人と談笑している夢でした。

僕「小学校の時ってみんな仲良いよね」

亜美「私人間講座なかなか次の級に行けなくて悩んでた」
真紀「あ、わかる。大変だったよね」
僕「え、なにそれ」
真紀「なんかいい人になるには、みたいなやつがあったんだよね」
僕「自分からしたら2人とも良い奴だったよ? そもそも、いい人かわるい人かって観る人によるし…いい人から観たらいい人でわるい人から観たら悪い人でしょ」
亜美「すごいね。そう言われるとちょっと嬉しい」


みたいな会話を覚める前にしたのが記憶にあります。
 
 僕は17歳までに触れたいくつかの世界が今の僕の基礎を創ったと思いながら生きています。
 LGBT等の多様な性のコミュニティ、寮生活という親元を離れた環境、校則も何も無い自由な学校、年の離れた友達という存在。
 この夢が思い出してくれた、子供の頃の純粋な勉強への興味、意欲。

 そんな僕は16歳の時に意識的に"人を嫌いにならないように"しようと決めました。
 これは9歳頃からあった死への興味と恐怖、自己嫌悪と自殺衝動への解決策のひとつとして始めた意識でしたが、今はかなり助かったなと思っています。いい考え方かは別ですが。
 元々勉強は好きで、得意↔苦手の軸はあっても好き↔嫌いの軸はなかったので、人に関しての好き↔嫌いを、言動に対しての心地良い↔苦手での評価を意識していき、好き↔嫌いは一旦考えないというものでした。
 今はそこから更に進んで"嫌いな人がいてもいいんだ"というところまでシフトしましたが、あの頃は嫌いな人を作らないことを強く意識していたように思います。
 その影響もあり(僕がちゃんとした生活をしていないこともあり)、今では生きている人全体への尊敬の念は事ある毎に意識するよになりました。
 また、多感な時期に自由な学校、教員の元で学び、私生活では多様な性に触れ、様々な年代の人と関わった事で、今の遅れ気味な日本の中では相対的に新しい価値観をもてているように思います。

 ここで、題にもした、夢ででてきた"いい人"ですが、僕の言ういい人わるい人は定理がある訳でもなく、そこから定義が生じるわでもない漠然としたものです。
 夢で出てきた「いい人からみたらいい人、わるい人からみたらわるい人」というのは、よくある「いい人の周りにはいい人が集まる」とかそういった意味ではなく、「他者との関わりの中で、善に視線(意識)が向くか、悪に視線が向くか」といった話になります。

 とくに締まる言葉もないので最後に最近僕かしたちょっといいことを書いて終わります。
 何ヶ月か前に駅近くのコンビニのレジが全て、支払いの自動化をしました。そのレジを僕が利用していたのですが、隣のレジにいたおばあ様がレジの操作、支払い方法が分からずに困っていたので、手伝ったらとても感謝されて少し嬉しかった、というお話です。

 終わります。

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