『肉』について考える

『肉』の訓読み知ってますか?
常用外で『しし』と読むらしいです。
『にく』は音読みなんですね、よく音読みと訓読みを間違える漢字に挙がるので知っていた人も多いと思います。

でも、このことを初めて知った時不思議に思いませんでしたか?
だってそれだけで意味が伝わるのが訓読みで伝わらないのが音読みって大人に教わったから。実際に今の子供たちも同じような認識でいるようです。

僕は気になりました。訓読みとはなんなのか。そして調べたらすぐに分かりました。大和言葉にあるものは訓読み、だそうです。
ですが、僕はただ調べて答えがわかってそれで終わりにするような簡単な人間ではありません、めんどくさいやつなので更に疑問が生まれます。
『にく』が音読みということは、大和言葉を使っていた人たちの生活に肉という言葉、そして概念も昔々には無かったということになります。
言葉と概念は深く結びついていて、右左と言う方向を表す言葉を持たない部族は常に方角を正しく認知し記憶しながら生きているなんて面白い話もあります。

そこで僕の立てた仮説はこうです。
日本には古くから多くの神がいて八百万の神なんて言葉もあります。そんな日本の文化の中で、山犬、鹿、牛、馬などの様々な動物、そしてその死骸を『肉』という一括りで見るという考えがなかったのではないかと。

実はこの考えは半年ほど前からあったのですが、最近新しい仮説が、しかも上のものより至極真っ当そうなものが僕に投げかけられました。それはもう自分でもなんで思いつかなかったんだろうというぐらい。

十日ほど前、新宿にある「どん浴」という足湯Cafe&barで呑んでいる時にこの話をした相手からその仮説は出ました。
「稲作文化だったから肉を食べなかったんだろう」
なんで僕はこんな簡単なことも思いつかなかったんだ。

みんなの考えを教えてください。

どん浴、凄くいいところでした。ご時世的に経営難らしいので興味あったら行ってみてください。


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