「なんでもいい」と言う人間

「夕飯何がいい?」
「なんでもいいよ」
たぶん、どこにでもある会話だろう。
僕は幼少期にこれでよく母に怒られた。理由は簡単、偏食だったから。
「なんでもいいって言っていいのは何が出てきても残さず食べられる奴だけだ」

彼女にも怒られた。
「デートどこ行く?」
「どこでもいいよ」
僕は空間や時間を共有出来ればそれで満足してしまう人間だった。
そして実際はどこでも良くはなかった。絶叫系アトラクションが苦手だから。

「志望校どうする?」
「どこでもいい」
大人になった僕はこの会話を目の当たりにしてとても驚いた。
どこでもいいはずがない、少なくともどこにでも行ける学力はない。
そして思い出す上二つの会話。

「なんでもいい」「どこでもいい」こんな台詞を言うことの無責任さと贅沢さ、現状から離れたくない、先を見れない人間の言葉。
昔の僕がどれだけ周りを振り回して無責任に生きていたか。

「なんでもいい」を言っていいのは何が起きてもそれを受け入れることの出来る、受け入れる体制を今までの努力で築いてきた人間だけだ。

「なんでもいいよ」と爽やかに言える、そんな資格のある格好いい人間になりたい

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