日記1114

こんにちは。
今日は信号のない横断歩道をあまり左右を見ずに歩いていたら車とぶつかりそうになりました。
そこで感じたのですが、意外と生活の中で「命を他人に預けている瞬間」ってたくさんありますね。
今日は幸い、横断歩道で出会った車の運転手が気の利くドライバーだったから助かったものの、相手も私と同じくらい馬鹿だったら死んでいました。
そうでなくても人とすれ違うときに急にナイフで刺されるかもしれないし、信頼してた建築が崩れるかもしれないし、道路もいつ沈むかわからないし。無意識のうちにいろんなものを信頼して生きてるなと感じました。

それと、ロボットの責任について考えていました。ロボットは責任を負う能力を持つのかどうかを考えていたのですが、私はこの問題はロボット側の責任能力の問題ではなく、責任を課す側の気持ちの問題だと思います。
例えば自動運転の車が事故を起こしたとき、その責任を車がとれるのでしょうか。
たとえ車が自律的に判断して起こした行動であっても、私が被害者だったら車から賠償金は受け取りたくないかも。なんか責任とか賠償とかって、「加害者側の反省の気持ちや罪悪感」を形にしたものであって、それをロボットからもらってもな…と思ってしまいます。
今後ロボットに罪悪感などが芽生えたら話は変わるかもしれません。

あんまり関係ないんですが、「自動車」って自動の車って書くから「自動運転の自動車」ってすごく意味が被ってるように感じてしまいます。むしろ自動運転になることによって「自動車」が完成したといっても過言ではないんじゃないですか。

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