太田の育ち方 完結編
【最初で最後の就職活動】
専門学校を卒業前に、初めての就職活動で、どこの企業に訪問して良いのか分からず、専門学校の先生に紹介されたのが、「株式会社あおば」でした。いまでも思い出せば自分の幼稚さを笑ってしまうほど面接時の態度が悪かったのです。
何が、悪かったかと言うと、気合い入れて面接に臨んだつもりでしたが、待っている間、足を組みながら医学書を読んでいたことでした。
自分としてはやる気を見せていたのですが、もちろん逆効果でした。
そんな史上最悪の面接態度でしたが、拾ってもらい入社する事が出来ました。人生の中で、最初で最後の就職活動でした。
【知識を深めたく夜間部へ入学】
入社してからは、整骨院業務・在宅マッサージ・トレーニング指導・
スタッフ育成など、沢山の経験を積むことが出来ました。日々の仕事の中で、自分の知識を更に深めたく、柔道整復師の資格を取りに行きたく、夜間の学校を受験し入学しました。
改めての、学生生活はとても濃密な日々を過ごすことが出来ました。
8:00〜17:00 仕事
18:00〜21:10 夜間の学校での授業
3年次の国家試験前は4:00起床して、仕事の前に勉強していました。
学校と仕事の両立は家族の支えと会社の理解があってこそ可能となりました。
【分院長として幹部として】
夜間の学校に通いながらも、整骨院の勤務は続き、3年で卒業して国家資格を取得することが出来ました。
卒業後は、分院長として約2年間自分なりには頑張ったつもりです。ただ、その中で改めて自分自身の人間力の低さを痛感しました。
自分自身の性格によるもので、どうしても自分が先に立ってしまうことが多く、多くの後輩スタッフへ負担をかけてしまっていました。
こんな自分でも周りの支えのおかげもお陰もあり、分院長から幹部として、仕事をしていましたが、色々とチャレンジしたい気持ちを
抑えきれず、想いを社長に伝えて、完全独立の運びとなりました。
【性格は変えられないけど、考え方は変えられる】
とにかく、人に認めてもらいたい気持ちと人の目を気にする性格とが根底にあり、スタッフ育成が苦手でした。
決して信頼していなかった訳ではないのですが、
自分でやってしまったほうが早いとか、、、
自分がやった方が安心できるとか、、、、
結局、相手の成長の為に
「任す」 「任せる」
が、うまく出来ず伝えられず、何度も言い合いになったこともありました。
その度に、自分の人間力の低さを痛感しながらも、
社長の想いに触れて、自分なりに変わることもできました。
「頼まれごとは、試されごと」「期待されている1つ上の仕事をする」
をモットーに11年間自分なりに走ってきました。
【それでも独立したかった】
11年間勤務させてもらった会社を辞めると言うのは、ものすごい葛藤がありました。終身雇用ではないですが、初めて勤務させてもらい、なに不自由のない生活が出来ており、不安定な収入になるであろう独立には沢山の不安もありました。退職までに沢山の役職を与えてくださり、その都度期待に応えられるよう日々過ごしていました。幹部としての役割を自分なりに全うしてましたが、その中で、自分自身の実力(技術・知識)を更に高めていきたいと言う気持ちが強くなり、その時期に独立開業の話もあり、決めたことで、瞬く間に時間は過ぎて2016年11月14日に地元茅ヶ崎市に「湘南つなぐ鍼灸接骨院」を開業することが出来ました。
【4年目にして思う事】
幸い開業して、今ままで、大きなトラブルなく家族を路頭に迷わせることなく、過ごす事が出来ました。家族・患者様・地域の方に本当に恵まれて過ごす事が出来た事に改めて感謝です。
「開業して良かった」と聞かれれば、間違いなく良かったと答えられます。
それは、自分の背丈に合った、施術を提供することが出来るようになったからです。そう言うと、開業したくなる先生も多いかと思われますので、ここで一言
「無理に開業と言う道を選ばなくでも良い」思います。
それは、ただライバルが増えるから嫌だと言う観点ではなく、厳しい道なので、それなりの覚悟は必要だと思います。
施術の最初から最後までは全て自分の責任です。責任に押しつぶされそうな時もありますが、通院された患者様の症状が、施術によって1日でも早く改善される姿を見られるのが、日々の原動力となります。
ただ、単純にこの志事が好きで、施術が好きで、人が好きです。
こんな感じで、今までの経緯や思いについて、お話させて頂きました。
最後まで、読んで下さりありがとうございます。
次回は、湘南つなぐ鍼灸接骨院の特徴についてお話させて頂きます。
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