お金のかからない娯楽とお金が入ってくる娯楽
常にご機嫌であっても退屈は退屈だ。しかし、お金のかかる娯楽は一般的には『浪費』と呼ばれる。
お金はすぐにどこかへ行く。羽どころかジェットエンジンがついている。
奨学金という名前の借金がある身で、派手にお金を使うことはできない。というか、ない袖は振れない。
そこで娯楽は、『お金を支払って楽しむ娯楽』以外の二つの選択肢に分けられる。
1,お金を支払わない娯楽
2,お金が入ってくる娯楽
お金を支払わない娯楽
厳密には回線の費用があるため完全無料とはいかないが、ネット上には無料で閲覧できるコンテンツが無数に存在する。
文章、イラスト、漫画、動画、ゲーム。今ほど無料にあふれた時代は、これまでになかっただろう。
それに、オフラインの世界でも図書館はいつでも無料だ。
大きめの公園で景色を楽しむのもいい。
ベッドで毛布に包まって惰眠を貪るのだって、立派な娯楽だ。
お金が入ってくる娯楽
「そんなものあるのか」という声が聞こえてきそうだが、まあようするに仕事だ。
お金を生み出す行為が、仕事であるか娯楽であるかという違い。
仕事は辛くて厳しいものという思い込みを捨てる。
というか、そんな仕事はしなくていい。
辛く厳しい仕事がどうしても必要だったら、誰かが勝手にやるから、しなくていい。
楽しい娯楽を仕事にする。
いつまでも延々とやれる遊び、もしくは生活の中でどうしてもやることをついでに仕事にしてしまう。
前者はYoutuberのいう「好きなことで生きていく」だし、
後者はえらてんさんが書いた「しょぼい起業で生きていく」でいう、「生活の資本化」だ。
まずは前者について語ろう。
メルカリで不用品を売るのは雑貨屋さんごっこ。
ブログや小説を書くのは作家ごっこ。
動画を撮影してYoutubeにアップすれば芸能人ごっこだ。
アルバイトをしてフリーターごっこもいい。スーツに身を包み、普通のサラリーマンをすることだって「社会人ごっこ」という立派な娯楽だ。
肝心なのは、あくまで娯楽であるということを肝に銘じておくこと。一瞬でも辛いと思ったら、無責任だろうがなんだろうがサッと手を引く。
お金と引き換えに働くという約束をしたなら、果たす義務はある。しかし、それ以降の仕事を請けなければいい。
娯楽だから寝食を忘れて夢中になるのもありだし、飽きたらいつだってやめていい。
気まぐれにネットを回遊するように。TwitterからInstagramへとアプリを変えるように。
かろやかに、それでいて当たり前に仕事という娯楽を切り替えよう。
私の例でいうと、おもしろそうなのはなんでもやりたがる。
小説を書くし電子書籍を作って売るし編集長もやる、宗教作るしアプリも作るしネット上の国も作る。
この前はお茶を一杯おごってもらってお悩み相談もしたし、モーニングコールサービスも最近始めた。
これを「めちゃくちゃ仕事してる人」と捉えるか、「めちゃくちゃ遊んでる人」と捉えるか。
私は後者のスタンス。
次に、生活の資本化について。
規則正しい生活を送れるということを、一種の才能と考えてみる。
どうしても朝起きれない人のためのモーニングコールサービスが面白そうなので、さっそくジモティーで登録した。
眠りが浅く、目覚ましの二重掛け程度ですっきり起きられるから、ついでに電話もしてしまおうという魂胆だ。
散歩にでかけたついでに美しい風景を写真にとって、販売する手法もいいよね。
自転車運動ついでにウーバーイーツで宅配バイト、なんていうのも含まれる。
好きなこと、得意なことよりもっと掘り下げた、「普段当たり前にしていること」。
これも立派な才能の一つなので、どうお金に換えようかと考えてみることすら無料の娯楽になる。
まーなんというか、「何事も楽しんだモン勝ち」みたいなところもあるよね。
それにしても楽しめることをガンガン見つけていくのはエキサイティングで楽しい。
「そんなエネルギーないし、いらない」って人は、イヤなことをしないようにするにはどうすればいいか考えよう。
辛いこと苦しいことから距離を置いて、心穏やかに生きよう。
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