夜明けの世界にみた道は|ミュージカル憂国のモリアーティ Op.5 感想

はじめに

まずは無事全公演勝ち取りおめでとうございます。Op.1を劇場で観劇し衝撃を受けたあの日から四年と少し、物語のひとつの区切りをこの目で見届けられたこと、モリミュのある時代を生きられたことを心から幸せに思います。

舞台の美しさって刹那的だからこそみたいなところもあると思うけど、それはそれとして心動かされたことをちょっとでもこの世に留めておきたいな〜とも思うので、今さらですが自分の感想をまとめておきました。思考整理の面もあるので諸々とっ散らかっているのと、人間が書いているため当然視点にも受け取り方にも偏りがありますが悪しからず。

⚠原作(先の展開含む)のネタバレを含みます。
⚠書いた人はゆもりもモリミュもOp.5も好きなので基本的にはここが良かった好きだったという話ですが、褒め100%ではないと思います。特にキャラクターを絶賛する感想しか読みたくない方は閲覧をお控えください。


1. 総括:始まりの話

Op.5のサブタイトルは「最後の事件」ですが、個人的にモリミュの最後の事件は「始まりの話」なんだな、と感じました。
モリミュの楽曲って毎回1曲は歌詞に「道」ってワードが入っていて、特にOp.3以降は照明も道を感じさせるものが多いので、ウィリアムの「さだめの道」を筆頭に各々の道の話をしているって印象がすごく強かったんですよね。Op.5はそのさだめの道の果ての話、モリアーティプランの幕引きの話でありながら、モリアーティ陣営をはじめとした一人ひとりが、その先歩く道を見つけるための話だったように思います。運命の夜が明ける時、世界はそれぞれの目にどう映るのか。そして夜が明けたその世界を彼らがどう歩いていくのかという話。

だからこそ、原作ではもう少し先の話であるベンチのシーンをラストシーンに据えた。ウィリアムとシャーロックが橋から落ちたままの、道の終わりを感じさせるラストではなく、二人を含めた全員――貴族も市民も残された人達にも、等しく道の先があることを感じさせるラストを選んだ。
Op.3ラストナンバーのタイトルが「最後のはじまり」でしたが、シャーロックがさだめの道を変えたことで、ウィリアムにとっては「終わりの話」でしかなかった物語も「終わりで始まり」の話、「犯罪卿としてのジェームズ・モリアーティの物語を終えて、ウィリアムの物語を始める話」に帰結したんだなと思えました。
優しく寄り添うようなシャーロックの「俺達は一歩を踏み出した」という言葉の通り、これから先もこの世界を生きていく彼らの始まりがここなんだ、と思わせてくれるラストシーンが、私はすごく好きです。

2. 人の心のあり方

どこから書くか悩んだのですがまずはやはりこの話から。大火のシーン一場面一場面がどれも本当に印象的だったのですが、特に両者が共にこのロンドンを守ろうと手を取り合う場面が目に焼き付いています。市民の赤と貴族の青で断絶されていた照明が、ウッズさんがその境界を跨いで青ゾーンに一歩踏み出し貴族に手を差し伸べると市民側の光が水色に変わっていき、一瞬逡巡した貴族がその手を取ると貴族側も追うように色が変わり、最後は澄んだ水色一色になって混ざり合う……という光景がいつ見ても美しくて、毎公演大好きだな……とじんと来ていました。これがウィリアムが皆に見て欲しい生きて欲しいと願った世界なんだよなと思うから余計に。

それから、はじめは燃える邸を前にただ狼狽えていたエリンちゃんママが最後には降りかかる火の粉をものともせず先陣きって子どもたちを導いている姿とか、最初は消火に積極的ではなく場の空気に流されただけにも見えた貴族のひとりがボロボロになって火を消し止めていたのとか、そういうひとりひとりの意識が変わっていく様を見られたのも嬉しかったです。エリンちゃんママ、きっと何ひとつ自分で決める必要のない人生だったのだろうなと勝手に想像しているのですが、ああ私いま人が初めて自分で考えて何かを成し遂げる瞬間に立ち合っているんだな、と毎度胸打たれた。モリアーティプランの最終目標って階級制度の瓦解でそのために人々の心のあり方の変化が必要だったわけだけど、その心のあり方ってきっと階級の違う他者に対するものだけではなく、自分自身に対するものも込みだったんだろうなって。

一方で「悪魔は死んだ」を歌う大人達を見る少女ふたりの反応も印象的でした。「人が死んでるのになんで喜んでるの?」という本能的恐怖に「大好きな人が間違っているなんて思いたくない」という人間としての情が少し混ざる感じ(あまりにも芝居が上手い)、その感情を処理しきれないままきっと同じ思いだったであろうお互いと別れそれぞれの家に帰っていくまでの視線の交錯、それらが原作踊り子でウィリアムの言っていた「今の気持ちを大切にね」を強烈に思い起こさせるというか。
人の死を前に「この国は美しくなる」と歌われることのおぞましさと、きっとこれからの英国を担う存在である彼女達がああやって居てくれることで持てる「この国は美しくなる」という期待感のようなものが綯交ぜになった感情、未だに言葉にしきれないけどずっと記憶に残り続けているシーンのひとつです。

3. それぞれの道

Op.5はそれぞれが道を見つけるための話だった、そう感じたいちばんの理由が二幕のフレッドのソロでした。
この話をするにはまずカークランド邸の話をしなくてはいけないのですが、フレッドがウィリアムに死ぬ必要なんてない、間違っていると訴える場面がとにかく良かった……を通り越して凄まじかったんですよね。初日で既に期待以上だったのですが、東京来てからは特に。フレッドの必死さや切実さが回を追うごとに増していき、その分虚しさや絶望感も深まっていく様子に、毎公演手を握り締めながら見入ってしまいました。
その中でも「人が人を裁く権利なんてないと思っている」というウィリアムの発言にフレッドが「え……?」と零すシーン。これは初日からなのですが、彼の中の何かが崩れていくような感じにきこえて、すごく動揺したのを覚えています。
この時のフレッド、その後の「自分にはウィリアムを止められないこと」に対するショックもそうだけど、それ以前に「正義だと信じていた自分たちの行いを、慕っていたウィリアム自身に否定されたこと」そのものに対するショックも相当だったんだな……というか、私がこれまで想像していた以上のものだったんだなと、あのシーンの認識が更新された瞬間でした。Op.2からずっと「この道をあなたと」と歌ってきたフレッドがそれを否定されるの、きっと本人からしたらその道の先が急に見えなくなってしまったようなものだろうな、と思ったらものすごく苦しかった。
その上でニ幕のソロ。美しい世界に向かう兆しを目にしたフレッドが「ウィリアムさん、僕はあなたが示した道を」と歌った時、照明がフレッドの立つ場所からまっすぐ前へ伸びる道のようになっていて。怖くても苦しくてもその道を歩く覚悟を歌いながらフレッドがたしかにその道を歩いていることそのものもだし、これまでもっぱら悲劇的な要素をもって終わりへ至るものとして描かれてきた道が、未来へ向かうものとして前向きな意味で描かれているのがとにかく胸を打った。

フレッドといえばルイス、「共感してくれるのは君しかいないと思っていました」といい「他の誰にも気取られてはいけません」といい、他の仲間に聞いても無駄だと思ってたのは明らかなんですが、それでもフレッドが他の皆にもって言ったらわかりましたって言ってくれるようになったんだね……ともうそこで毎回感慨深かったです。バスカヴィルの頃だったら「無駄ですよ」くらい普通に言ってそう。別にここで了承するのもフレッドに対して丸くなったとかそういうのばかりではなく、どちらかというと「ここで無駄だと告げるより実際聞いて諦めさせた方が早い」くらいの計算はしてると思っている派閥なのですが、そこに至るだけの時間を過ごしてきたし理解を深めてきたんじゃん……と思うと。

話が少しそれましたが、実際ルイス、モランの反応も多分途中までは想定の範囲内だったんだろうなって思うんですよ。
ただ、「共に死ねるならそれで構わない」と思っていた部分もあるルイスの中で「兄さんの想いをもう無視したくない」が上回るきっかけはモランの言葉だったのだろうな、とも思っていて。「俺はその願いをかなえてやりたい」を聞いて静かに目を伏せるルイスを見ていたら、その言葉で「あの人は兄さんの命令に忠実だから」という諦めから「これがこの人の愛なんだ」という納得に変わったように思えたというか。そういう愛し方もあるってそこで理解したから、なら自分は、と考える機会だっただろうし、それがあったからこそ最後の最後に「美しい世界で生きて」というウィリアムの願いを受け取って「どんな終わりを迎えても生きてこの世界を見届ける」に至れたのだろうなと。
だってあの徹底的に与えるタイプの愛し方しかできない兄だけ見て育ったら、相手から与えられた想いをきちんと受け取るという形でその願いをかなえてやるなんて愛し方は絶対習得できないじゃないですか。 だからきっとこの時もうルイスの世界にはウィリアムだけじゃなくなったんだろうなと思ったし、ルイスがそうやって自分以外の誰かと関わって、自分のいなくなった世界でも生きていけるようになることこそウィリアムの願いだっただろうな、と思ったらもう自分でもわけがわからないくらい泣いてしまった。

ただあくまでモランはきっかけであって、やっぱりルイスが最後にあの選択をできたのはウィリアムが大事に大事に愛してきたからだよなあって思います。たしかにウィリアムだけ見て育ったら与えることじゃなくて受け取ることで相手の願いをかなえる愛し方は絶対習得できないと思うんですが、でもそれって受け取るべき愛があってこそのものというか、愛されているという実感あってこそのものじゃないですか。
「誰かひとりでも自分を、生きることを認めてくれたなら」というシャーロックがジョン君に殴られるまで気づけなかったことを、殴られなくても理解できた(言い方)ルイスは本当にえらいねって思うし、そしてやっぱり、ルイスがそのことに気づけるまで生きていて良いんだよ生きてくれるだけで良いんだよって愛を言葉にせずとも伝え続けたのは他ならぬウィリアムなんだよなっていうのがここでぶわっときて。
受け取ったその愛をシャーロックを介して返し、そして三年後には「生きることを選んでくれてありがとう」と直接言葉にして兄がしてくれたのと同じように返すことになるの、ちゃんと愛が巡っていく様があまりにも美しい。一方通行なんて成立しないってジョン君も言ってたもんね、いやジョン君がしてたのは友情の話ですが友情も一種の愛だよねということでひとつ。愛し方愛され方という意味では大事なことを作中トップクラスでちゃんとわかっているからこそ、最後にはウィリアムが示した道以上の道を自分で選んで切り拓ける強い子に育ったねって、毎公演本当に感慨深かったです。

そしてグローヴァー公爵刺殺シーンで、原作にはなかったボンドの出番が追加されていたのがすごく良かったなと思っていて。代わりにやろうかというモランの申し出をウィリアムが「これは僕がやるべきことだ」と断った時、モランに「これはウィル君が決めたことなんだ、僕らがそれを踏みにじっちゃいけないんだ」と言うのが本当に好きなんですよね。だってそれはモリミュにおける……というか、我々が生きていく上でも真理みたいなものだと思うので。
「心の部屋に」(Op.3)で本人が歌っていた通り、ウィリアムがさだめの道を行くのはアルバートが依頼したからでもなくもちろん運命なんかでもなく、ウィリアム自身が決めたこと。だからアルバートが自分がウィリアムを罪の道に引き摺り込んだと罪悪感を抱くのは違うと思うし、ルイスがあの頭脳を持つのが僕だったらって思うのも、別にウィリアムが天才だったからってだけでこうなってるわけじゃないしな、と思うんですよね。対ウィリアムに限った話ではなく、シャーロックがミルヴァートンを撃った後ウィリアムが僕の落ち度だって言ってるのも違うと思う。だから逆にジョン君が、シャーロックが自分達のためにその道を選んだことは理解しつつも俺がおまえを追い詰めた、で終わるんじゃなく、それでも人殺しというおまえの選択は間違っていたと真っ向から言えること、最終的に決めたのはシャーロックだってことを切り離して考えられているところがすごく好き。

ここでもう一度願いの話をするんですが、ルイスとフレッドがウィリアムの「美しい世界で生きて」という願いをかなえる方向にいった一方、モランと兄様は「ひとりで死にたい」って願いをかなえる方向にいったんだな、と思いました。後者はいったというかいかざるを得なかったというか。結果としては全員同じ「生きよう」だったかもしれないけど、本質が全然別……
というかまずモリアーティ陣営って全員少しずつ願ってたことが違ったわけじゃないですか。フレッドは「一緒に生きたい」ルイスは「生きて欲しい」(途中までは次点で「兄さんが死ぬなら自分も一緒に死にたい置いていかれたくない」)、モランは「心を救ってやりたい」兄様は「安息を与えてやりたい」ボンドは「最後まで支えたい」、そしてあえてこう書きますがアイリーンは「救ってあげて欲しい」(これが描かれたの本当に嬉しかった)。

モランの(死によって)救ってやりたいの裏には明らかに(自分の手で)救ってやりたい≒生きて欲しいがあるけど、そのふたつってウィリアムがさだめの道を行こうとする限り絶対に両方は選べないもので、本人もとっくにそれをわかっていて。「孤独な戦士」(Op.4)の感想で「おまえは行くさだめの道をってモランが歌う時に辿っていたはずのその道(を表す照明)がもう見えなくて、本当にモランにも誰にも手が届かないものになってるのつらい」って話をしたんですが、ルイスとフレッドの前で「あいつは俺にそんなこと望んじゃいない」「あいつが死ぬことであいつ自身が救われるなら」と口にすることでそれを再確認させられているようで本当にみててつらかった。
そこにグローヴァー邸のあれ、もはや止めを刺されるようなものじゃないですか。「ウィリアム自身が決めたこと」が補強されたの心の底から好きだしその通りだと思うけど、あれを第三者から発せられることでモランの絶望が深まっていて苦しかった。本人の言葉通りそんなことはモランだって頭ではわかっていたと思うけど、頭と心は別物なので……

「この拳はただの鉄屑」で握っているのが生身の方の手なのがあまりにもきつくて、毎回目そらしたくなりました。おまえのヒーローになりたかった、けれどそれが叶わないならこの身も鉄屑同然の役立たずだ、そうやって自分で自分を否定しているようで。
回によって若干違うのですが蹲るモランをウィリアムも眉を下げて見つめていて、けどモランが「おまえははじめから全てわかっていて」と顔を上げた瞬間わかってたよとばかりにふっと目もとがゆるみ、立ち上がった時にはうっすら微笑んでるんですよね。モランが立てたことを確認してそれから去っていくのも、モランが振り向いた時もうそこにウィリアムはいないのも、とことんやるせなかった。

自分の手はウィリアムに届かないと自覚した時、願いと心が一致していたルイスとフレッドは最終的にそれをシャーロックに託したんだなと思っているんですが、モランの場合相反する両者が裏表だったためにもうウィリアムを救えるのは、と心を殺して願いの方を死に託す覚悟を決めちゃったんだなって。そう思ったら、橋上のウィリアムから合図が出て撃つ直前、俯いてもう一度顔を上げたその目を見た時、ああもうここでこの人の心は死んじゃったんだな……としか思えなくて。この表現揶揄っぽく感じられてしまうかもと迷いつつ他に上手い表現が見つからないためそのまま書くのですが、ひとりだけ既に空き家始まってたんですよね。東京ではソロ周辺の激情が増していったぶん最後の大英帝国での自失っぷりとの対比が酷いことになっていたのと、メタですが上着の袖をおろしていたので(※初日は違ったかも)余計にそう見えた。「胸に刻まれたおまえの願い この想いは死ぬまで消えない」ってそれはさ、もう死んでる心にかけられた呪いだよ……
だから最初に「Op.5はそれぞれが道を見つけるための話だった」と書いたのですが、モランだけは最後まで見つかってないというか、自分の道を見つけられないまま最後の事件を終えてしまったから空き家でウィリアムの道を引き継ぐことしかできなかったんだな、と思いながらみていました。
あとこれは感想ではなくただの願望なのですが、袖おろした上で胸のところで懐中時計を握り締めてた回をどうにかこうにか円盤収録して欲しい(アンケに書こうね)。

兄様も死なないで欲しいという心がなかったわけじゃないと思うけど、自分自身が死のうとした過去があるぶんウィリアムの死にたいって気持ちが誰よりもわかってしまうから、生きて欲しいとまでは思えなかったんじゃないかなと思います。
Op.4の兄様って罪の意識と贖罪の意志はあれどそのためにどうすべきかは見つけられていない状態だったが故に「この身この魂を深き煉獄に落とし給え」と罪を贖う術を天に求めていたけど、今回長官の言葉で「死は終わり」「そこに償いなどない」というこたえを得てしまった。だから終わらせて良い、逃げて良いからとウィリアムをその道に送り出す決意をかためられたし、同時に生きてこその償い、煉獄の炎に焼かれることができるのだと己の歩むべき道を見出せてしまった。
いや〜〜〜ね、自分で全部負いたがる長子気質(これは長官もそう)、この似た者兄弟め……という気持ちで頭を抱えました。けど兄様がこの道を見つけたこと、その道を行くと決めたことは、必ずしも不幸とか可哀想とも言い切れないのかなとも思っていて。だってこの人からしたら、何もできない方が(あくまで本人認知の話でウィリアムはそんなこと思ってないんだけどね)きっとずっと苦しかったと思うので。

それとこれは本当に声を大にして言いたいんですが、そもそも長官が言ったのはそういうことじゃない……!
共に贖罪の道を歩もうって話をしているはずなのに伝わらなさがすごい。この兄様に三年チャーリー送り続けたんだから長官流石に人間が出来過ぎている。
それはそれとして長官とシャーロックが「死は終わりだ、そこに償いなどない/死を逃げ道にするな」「償いとは己にとって最も苦しく険しい道を行くことにこそある/償いたいならおまえにとって一番辛い道を選択しろ」「共に惑い続けよう/悩もう」と兄弟でほぼほぼ同じ話をしているのめちゃくちゃ好きです。兄弟で同じ話を兄弟にしたはずなのにどうして上の兄には上手く伝わらなかったんだ……(そういう話ではない)

4. 誰かひとりでも

モリアーティ陣営って皆それぞれウィリアムに救われた過去があって(いやフレッドはまだ推測の域を出ませんが)、それこそルイスの言う「道に迷う時生きるのが苦しい時誰かひとりでも自分を認めてくれたら」の「誰か」がウィリアムだった人たちだけど、Op.5ってウィリアムにとっての誰かはシャーロックだったというままならなさがあったと同時に、フレッドとルイスにとってはその誰かがウィリアムひとりじゃなくなった側面もあったよなと思っていて。

まずフレッド、カークランド邸の話は既に書いた通りなのですが、それを踏まえてみるとその後のルイスとのシーンも見え方が変わった……というかフレッドの見方がわかってきたというか。
そうだよな、フレッドって自分達の行いは正義だと思っていた側の人間なんだもんな、それを突然否定されたら相当ショックだよなって改めて思ったら、この後ルイスが自分の意見に賛同してくれたことできっとすごく救われただろうなあと思ったんですよね。
「誰かひとりでも自分を認めてくれたら」の発展系がジョン君の「おまえの決めた道に寄り添おう」だと思っているのですがそれに近いものがあるというか、このふたりは橋に至るまでもその後も、互いに寄り添って歩いていける相手を得たんだなって。

まあこの時点でのルイスはウィリアムや自分達が正義かどうかなんて正直どうでも良かったと思いますが、それこそがこのふたりの好きなところでもある。考えが完全一致してるわけではないところ。
そもそもルイスは計画書が出た時点でフレッドなら、って雰囲気だけど、フレッドはルイスと話すまで「できるのは僕だけ、僕がやるしかない」なので他の仲間に話すつもりはなかったんじゃないかな。けどここでルイスが自分と同じ側についてくれたから、直前にルイスに「共感してくれるのは君しかいないと思っていました」と言われているにも関わらず他の皆もと期待を持ってしまったんだろうな……とかそのあたりを思うと、結構盛大にすれ違っている。
けど考え方の違う他人同士がそれでも相手に寄り添える時があるならそれは間違いなく美しいことだと思うので、その気配を感じられたのがみている側としてもひとつの救いでした。

それと、ルイスの場合は礼拝堂で最後にシャーロックに「兄さんだけは助けてください、必ず」と告げるシーンがすごく印象深かったです。シャーロックが「任せとけ」と返した瞬間やっと息ができたようにふっと力が抜ける姿を見たら、ああシャーロックが救ったのはウィリアムの心だけじゃなかったんだなあと思って。
もちろんルイスとしては自分じゃない人間に託すしかないやるせなさもたくさんあったと思うし、みている側としてもそこは心底しんどかったのですが、ここでシャーロックが即答してくれて、自分の願いを託せたことで救われた部分も少なからずあったんだろうなと思うと胸がきゅっとなってしまった。

あと礼拝堂はどうやったって醜聞とダブるので、あの時アイリーンを救えず犯罪卿へ託す側だったシャーロックが今度はウィリアムを救ってくれと託される側、救う側なんだなあと思うとアツかったし、こういうコマ外の人間の様子がわかるのが舞台化の醍醐味だと思っているのでそういう嬉しさもありました。

一方のウィリアムとシャーロック、これは期間中の己のツイートが今読み返しても我ながらその通りだなって感じなのでそのまま再録しておきます↓

「シャーロックの執念と想いの強さがウィリアムを救ったのは間違いないけどそれだけじゃないというか、正しいことを正面から相手に伝わるまで繰り返し言えるだけの信念と経験と思考>感情な部分が絶対必要だった」

Op.5、これを節々から感じられたのがもう本っ当に嬉しかったです。だって気持ちの強さだけで救えるならモリアーティ陣営にだって救えたはずなので。

まず橋から落ちるまでのシャーロックの情緒の変化がだんだんすっと入ってくるようになっていったのがすごく良かったなあと。Op.4クライマックスのような劇的な変化というよりは、日々変わっていくシャーロックをみている中で自分の中にも染み込んでいく感じ。
もう少し具体的な話をすると、手紙明けのソロ〜橋上でウィリアムと話す時の思考と感情のバランスがだんだん変化していった感覚があったんですよね。手紙明けのソロの方は押し潰されそうなほどの感情の渦っぷりがだんだん増していって、それこそOp.4後半公演から地続きの、モリミュのシャーロックだなと思うことが多くなっていった印象。逆に橋上でのシーンは感情に振り切らない、静か動かで言ったら静、みたいな印象を受けることが増えていって、この差が本当に好きで好きで堪らなかった。

大阪の頃は手紙明けの感情そのままに橋上でウィリアムに向き合ってる印象で、それもそれで好きだったのですが……9/3マチネあたりからは手紙を読んで湧き上がった、時に涙を伝わせるほどの様々な感情をあえて抑え気味にしているような印象を受ける回が多くなっていって。感情滲む瞬間はありつつも本人がそれじゃ駄目だと思っているような、相手に伝えることをきちんと念頭に置いて思考した上で選んだ言葉だな、と感じられる話し方。どうすれば相手に伝わるのか一生懸命考えながら言葉紡ぐ感じが、ジョン君が結婚する理由を話していた時を思わせる時もあってぐっときた。大楽はそこにさらに毅然とした響きというか、正しく信念が乗っているように感じられて、ああ最終回答だな、と。

そしてラストナンバーでシャーロックがウィリアムに語る言葉が「悩もう」「生きよう」「歩もう」と、すべてふたりで共にという前提の言葉なのが本当に好きで。シャーロックの口からその言葉が出たのはやっぱりジョン君に救われたこと、「おまえの決めた道に寄り添おう」という言葉をもらった経験があったからこそだと思うので。
最後の舞台とラストシーンにいたのはウィリアムとシャーロックのふたりだけでも「俺もおまえがしたように、あいつの心を救ってやりたい」と本人が歌っていた通り、シャーロックが彼の信念を保ってここに辿り着けたのは間違いなく彼の周りの人のおかげでもあって、その人たちがもたらしたものが最後にウィリアムを救うことへ収束したんだな、と思うと胸がいっぱいでした。繰り返しになってしまうのですが、愛が巡っていく様が美しくて大好き。

おわりに

というわけで、まだまだまとまりきらないのですがOp.5の感想まとめでした。
いやまだ全然書き足りないんですけど……プロローグのシャーロックが引き金を引いてしまったシーンでシャーロック/ウィリアム/ジョン君がそれぞれ照明で四角く切り取られてたの全員孤独の部屋にいるっぽくて良かった(語弊)とか、作戦変更にあたってルイスを諭す時「彼の力になれるから」だけウィリアムを見て頼ってね、を言葉にせずとも示すボンド君超好きとか、あと橋上の座長の殺陣があまりにはや過ぎてシャーロック負けちゃうんじゃないかと展開知ってるのにヒヤヒヤした回あったよねとか……書き始めるときりがないね。

「最後のはじまり」が世に出て二年、長い長い夜が明けた世界を歩き出す彼らの始まりの瞬間に立ち会えたこと、本当に幸せだなって気持ちでいっぱいです。
大事な思い出として一生宝箱にしまっておきたい気持ちもあって、続きがみたいのか自分でもわからない日々を過ごしていたのですが、この感想書いてたら「始まったからには続きをくれ!」という気持ちが固まったので声を大にして言います。
Op.6楽しみにしてます!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?