見出し画像

考えたくないことを考える

わたしは富山に住んでいて、実家は神奈川にある。可愛い孫を会わせられなくて、一緒に愛でられなくて嫌だなぁなんて思っていたけど、事態はもっと差し迫っていて、万が一親が重症化したら、会えないまま別れることになるのかと思って驚いた。

何かあったときに神奈川へ行くことはできる(戻ってきたときには2週間自宅待機)。でも感染症で入院している場合は会えないから、行ってもできることがない。だから入院だけならここにいて、回復を祈ることになるだろう。

そこからさらに悪化したら。それでも会うことはできない。一人だったら、ガラス越しでも防護服を着てでも近づくことが許されるところまで近くに行きたいけど、小さい子どもが家にいる今、それも難しい。わたしが感染源になって子どもに何か起きることは、誰にとっても望むべきところではないから。

となると選択肢は「移動しないで家にいる」しかない。このことについては、いちおう親とも夫とも話してそういうことになった。ただそれは、真面目に話すのも不吉で失礼な感じもあって、真剣な会話にはならなかった。

あとはその場にならないとわからない。覚悟を決めておくことなんてできないと思う。

とはいえ、ないやろとも思っている。行動変容させないといけない事態であり、できることはできる限りやっているけど、かといって、お互いが死ぬ可能性が普段よりも高まっているとは思ってない。

別れるのが自分のほうの可能性だってあるけど、それはCOVID-19があってもなくても確率的にあんまり変わらない気がする。万が一の要因は事故や他の病気やその他にも色々あって、親にしてもそう。常にそういう可能性のなかで生きている。

何かあったら確実にタダでは済まない高速道路を便利さと引き換えに運転するとか、わたしはいつも狂気の沙汰よなと思って怯えながら手に汗握ってしまうのだが、それでも運転しているし。

ウィルス怖いというよりも、いつだってそういうリスクの中で生きてるんじゃないのかということのほうを、強く感じる毎日。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?