見出し画像

言葉はヤバい

便利なものは、その便利さと同じだけのマイナスも生じさせるんではないか、というのが最近思っていること。

言葉はものすごく便利だけど、扱いもとても難しい。便利なものは扱いが複雑で、難しいのだ。

言葉は基本的には抽象化する道具で、ひとつの言葉に意味が大きく含まれることが多いし、その意味は現実の様々な層にあって一様に並べられなかったり、文脈でも意味が変わるから、同じ単語を使っていても、全然話が噛み合わないことがある。

噛み合わないことを目にもする。それも身の回りのレベルじゃなくて、流通にのっている対談とか論争とかで。話している人はどちらも言葉を流通に乗せられるほど言語化能力に長けた人なのに、どちらか、違うこと喋ってますよねって、ならないんだなと思う。それくらい言葉は人をケムに巻く。

喋るときは書くときほど、固定化されないから、モヤっとしててもはっきり指摘はできなくて、わたしはその場でうまく言語化することすらできないから、あとあとああだったこうだったと思ってしまう、言語化できるまでが遅いので、言えたもんじゃないんだけど、対談として文章で読むと、ああ違うことを言ってるな、とわかったりする。

言葉ってやっかいだなと思うのは、自ら名乗ることと、そうして生まれたカテゴリーに押し込めることの、方向の問題もある。

名乗りや名付けが成功するほど、その言葉は広まるのだけど、広まると、そこに押し込めようとする動きがでてきて、その言葉が権威になったりもして、思考停止を生んだりもして、それはもう言葉の持ってるバグ、ヤバさとして、意識してないといけないのかなと思う。そういう不自由さが言葉や名付けにはある。

あと、ケンカするときとか。言いたいことはそういうことじゃないのに、ただ言い負かしたいとか、より大きいダメージを与えたいとかで、思ってないことを言ってしまったり。言葉に引っ張られて、もともとはなかった感情がでてきて、行きたくないところに着地してしまったり。

苛立って、思ってもない凶暴な言葉を書きたくなったりもする。凶暴さを発露してでも思ったことを伝えたい相手は、わたしが書いたその言葉を読まないのに。

一人で考えていて、自分で自分を物語にどんどん押し込んでセンチメンタルにメランコリックになってしまうこともある。内省の物語作用みたいなもので、自分を物語に閉じ込めてしまう。それで変な方向に考えがいったり、混乱したり、衝動的になってしまったり、かなしくなったり。でも冷静に考えたら、全然たいしたことじゃなかったり。

などなど、言葉は便利だけど、なにかとマイナス面もあると思います。

だけど、ひとつの言葉でものすごく励まされたりもするから、良いと思ったことはできるだけ言葉にして伝えたいとも思う。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?