見出し画像

運動神経ってなんだろう

陶芸家の友達が、足が遅いし球技も苦手だから自分は運動神経が悪いと思ってたけど、ロクロをまわして成型ができる、そのための安定した体勢を保てるこの技能はなんらかの運動神経じゃないかと今は思う、と言っていた。

子供とボルダリングの壁がある遊び場に何度か行っていたら、けっこう高くまで登れるようになった。その写真を見て、運動能力の高くないうちの実家勢は「すごい運動神経!」と言うのだけど、夫いわく「娘は運動神経は良くない」。

運動神経。運動神経。運動神経ってなんだろうか。良かったら、悪かったら、なんだっていうんだろう。

娘は登っていくのが好きみたいだから、その先にある発展系を紹介してあげたいと思う。できることが増えていくのは楽しいことだから、次のステップを一緒に考えられたらと。そこで運動神経が良いとか悪いとかは、だから何なのか?というのが、よくわからない。

大人になって、足の速さが問われるシーンはないけれど、膝を痛めないランニング、疲れない歩き方、山の登り方とかは知りたくて、習える場があったらいきたい。ヨガや筋トレはやっているけれど、学校で食事と関連させた座学も込みで学べたら、小学生からそれをやっていたら、さらに良かったと思う。

大学の体育にはヨガも気功もあって楽しかった。球技もあって、やりたい人、得意な人はそれをやっていて、それで良かった。小学校からそれではいけないんだろうか。

運動会で、手を繋いで走るのがいいとは思わない。それでは、足の速い子はつまらない。順位をつけていいと思う。大事なのは、それが絶対的な尺度じゃないっていうこと。尺度はいろいろあると知っていること、伝えること。

運動神経って何なんだろう。体育ってもっと楽しくてもいいんじゃないかな。運動能力を測る以外の価値観が、運動教育の中にもっとあっていいんじゃないかな。タイムを競ったり、勝ち負けがあったり、それはそれで学ぶこと、身につくことがあると思うけれど、自分の身体との対話的な体育も、小さい頃から学べたらいいよね。

夫はサッカー少年で、今もフットサルをしているから、小さい頃の体育がそのまま大人になってもつづいている、体育にそんなに違和感を持たない人だと思う。

ヨガをしているわたしは、どうして体育にヨガはなかったのかなと思う。運動神経はよくわからないが、体幹が重要だというのはわかる。良い職人は体幹が鍛えられている。料理するにしても、子供を抱っこするにしても、生活の中で、体幹の重要性は感じる。

運動能力の高い低いに関わらず、身体を動かすのは楽しい。義務教育の体育をきっかけに、生涯にわたる運動の習慣が身についたら。そういう教育がなされたら。それってとっても良いよね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?